第11話 白竜の試練

 カーラが操るワイバーンの背で、ロイは風の音に負けないよう声を張り上げた。

「契約……つまり、ドラゴンに認められなければならないということか?」

「その通りよ」

 手綱を握るカーラが振り返らずに答える。

「ドラゴンは誇り高い生き物。ただ強いだけの人間には背中を預けない。彼らは魂の色を見るの。契約には『試練』が必要で、その内容はドラゴンによって千差万別よ」

 眼下には、鏡のように静まり返った巨大な湖――ガスピ湖が見えてきた。

「これから会うのは、白竜シャヴォンヌ。先代の乗り手は、エレノア共和国連邦の初代議長、エレノア様よ」

「エレノア……連邦を作った人か」

「そして、覇王アンドレア様の実の妹君でもあるわ」

「なんだって!?」

 ロイは驚愕した。大陸を二分して争う帝国の王と、連邦の創設者が兄妹だったとは。

「二人は共にドラゴンライダーとして、かつてはこの大陸の空を駆けていた。エレノア様が水の都へ嫁ぎ、連邦を立ち上げてからも、シャヴォンヌはずっと彼女の傍にいたわ。……あの日、彼女が不慮の死を遂げるまではね」

 カーラは寂しげに目を伏せた。

「この帝国で、覇王の側近である四天王になれるのは、ドラゴンの試練を超え、契約できた者だけ。シャヴォンヌはエレノア様の死後、誰とも契約せず、この湖で眠り続けている。……心してかかりなさい、ロイ」


    ◇


 ガスピ湖の湖畔に降り立つと、その白竜は待っていた。

 鱗の一枚一枚が真珠のように輝き、その瞳はサファイアのように深く澄んでいる。優美でありながら、圧倒的な威圧感。まさに「貴婦人」と呼ぶに相応しい佇まいだった。

『……久しぶりですね、カーラ。そして、其処なる人間は?』

 声ではなく、直接脳内に響く美しい思念。

「お久しぶりです、シャヴォンヌ。彼はロイ。覇王の命により、貴女の試練を受けに来ました」

 シャヴォンヌの瞳がロイを射抜く。

『兄上の差し金ですか。……良いでしょう。ですが、私の背に乗るということは、あの方――エレノアと同じだけの重荷を背負うということ。その覚悟、試させてもらいましょう』

 次の瞬間、ロイの視界が白一色に染まった。


    ◇


 気がつくと、ロイは見知らぬ戦場に立っていた。

 目の前には、鎖に繋がれた一人の少女がいる。そして背後からは、魔王軍の大群が迫っていた。

『この少女は無実です。ですが、彼女を助ければ、貴方は追いつかれ、世界を救うという大義を果たせずに死ぬでしょう』

 シャヴォンヌの声が響く。

『契約を結び、力を得るためには、時には非情な決断も必要です。さあ、彼女を見捨てて私のもとへ来なさい。そうすれば、貴方に世界を救う力を与えましょう』

 少女が涙ながらに助けを求めている。剣を握るロイの手が震える。

 目的のためなら、小さな犠牲は許されるのか? いや、違う。

「……断る!」

 ロイは少女の鎖を剣で断ち切った。

「目の前の無実な命一つ救えずに、世界など救えるものか! 僕は、彼女を守って戦う!」

『愚かな。それでは死にますよ?』

「構わない! それが僕の信念だ!」

 迫りくる敵軍に向かってロイが剣を構えた瞬間、世界が霧散した。


    ◇


 場面が変わる。今度はアンドレア城の謁見の間だった。

 玉座にはシャヴォンヌが人の姿をとって座っている。その足元には、傷ついたガガン、シルフ、そしてマクマリスがひれ伏していた。

『よくぞ第一の試練を超えました。その潔癖な正義感、エレノアに似ています』

 シャヴォンヌは冷ややかに微笑む。

『ですが、王となるには清濁せいだくを併せ呑まねばなりません。この者たちは、貴方の「王道」の邪魔になる不純物。ドワーフの粗暴さ、エルフの理想論、魔王の危険思想……今ここで彼らを切り捨て、私だけに忠誠を誓いなさい』

 渡されたのは一本の短剣。

『さあ、過去を捨てなさい。そうすれば、私は貴方のものとなりましょう』

 ロイは短剣を受け取り――それを床に叩きつけた。

「ふざけるな」

 ロイはシャヴォンヌを睨みつけた。

「彼らは僕の仲間だ。僕の未熟さを支え、導いてくれた恩人たちだ! たとえドラゴンの力と引き換えでも、魂までは売らない!」

『私よりも、彼らを取るというのですか?』

「ああ、そうだ! 自分の正義を曲げてまで得る力など、僕はいらない!」


    ◇


 再び世界が変わる。

 そこは、懐かしい故郷、アレフの王宮だった。

「ロイ、どうしたの? 朝食が冷めてしまうわよ」

 優しい声。死んだはずの母が生きて笑っている。

「今日は剣の稽古をつけてやろう。腕を上げたそうだな」

 父、アレフドリア王も健在だ。

 窓の外には、平和な島国の風景が広がっている。魔王軍の侵攻も、戦争も、何一つ起きていない完璧な世界。

『ここには苦しみも、悲しみもありません。貴方が望んだ平和そのものです』

 シャヴォンヌの甘い囁きが聞こえる。

『もう戦う必要はありません。永遠にここで、愛する人たちと暮らすのです……』

 あまりにも幸せで、暖かな日々。ロイの目から涙が溢れる。ここにいたい。ずっとここに。

 だが、ロイは知っていた。これは偽りだと。

 この安らぎの外側で、今も仲間たちが傷つき、世界が悲鳴を上げていることを。

「……ごめん、母さん。父さん」

 ロイは食卓から立ち上がった。

「ここは、僕が生きるべき場所じゃない」

『戻れば、苦難と絶望が待っていますよ? それでも行くのですか?』

「行くよ。現実がどんなに残酷でも、僕はそこから逃げない。仲間と共に、本当の未来を掴み取るために!」

 ロイは王宮の扉を力強く押し開けた。


    ◇


 光が溢れ、ロイは現実のガスピ湖畔に戻っていた。

 息を切らし、膝をつくロイ。その目の前に、シャヴォンヌが静かに顔を寄せる。

『……見事です』

 その声には、先ほどまでの冷徹さはなく、深い慈愛が満ちていた。

『非情になれず、裏切れず、安寧にも浸れない。貴方は不器用で、愚直なほどに人間らしい』

 シャヴォンヌがゆっくりと頭を垂れた。

『かつてのエレノアもそうでした。だからこそ、私は彼女を愛した。……良いでしょう、ロイ。貴方のその魂の在り方、私が背負いましょう』

『我が名はシャヴォンヌ。今日より私が、貴方の翼となります』

 ロイが震える手で白竜の鼻先に触れると、眩い光が二人を包み込んだ。

 契約の証である紋章が、ロイの右手の甲に刻まれる。

「ありがとう、シャヴォンヌ。……行こう、エレノア様の遺志を継いで!」

 湖畔で見守っていたカーラが、満足げに口笛を吹いた。

「やるじゃない。さあ、これで役者は揃ったわね。……待ってなさい、ディネルース」

 白き翼を得た若き英雄の誕生。

 反撃の狼煙のろしは、今、高らかに上がろうとしていた。

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