第4話 土の王と戦の糧
魔導飛行艇『アルゴス』が雲海を抜け、大陸の西端へと降下を始めた時、ロイの目に飛び込んできたのは一面の黄金色だった。
そこは、戦乱の大陸という言葉から連想される荒廃とは無縁の、豊かに実った麦畑が広がる平和な土地だった。
「ここが、エレノア共和国連邦の一国……」
ロイが呟く。着陸地点には、すでに一団が出迎えに来ていた。だが、煌びやかな正装の騎士団ではない。麦わら帽子を被り、
タラップを降りたロイたちの前に、泥だらけの作業着を着た初老の男性が進み出た。背丈はロイの腰ほどしかないが、その瞳は陽光のように温かく、深い知性を宿している。
「客人は久しぶりだ。戦時下のため大したもてなしはできないが、ゆっくりされよ、異国の王子よ」
彼こそが、この地を治めるハーフリング族の王、タフリンだった。
「あなたが……王、ですか?」
ロイは思わず聞き返してしまった。王冠もマントもなく、その手は土で黒く汚れていたからだ。
タフリンはロイの驚きを愉快そうに笑い飛ばした。
「王が畑仕事をするのがおかしいかね? ここの民にとって、土は命だ。命を育てる苦労を知らずして、どうしてその命を守る指揮ができようか」
◇
歓迎の宴といっても、それは村の公民館のような場所で、採れたての野菜やパンを囲む素朴なものだった。だが、その味はロイが王宮で食べたどんな料理よりも力強く、生命力に溢れていた。
「美味い!」
ドワーフのガガンがジョッキを飲み干し、エルフのシルフも新鮮な果物に目を細める。
タフリンは彼らに酒を注ぎながら、ロイの質問に答えた。
「王は肩書きで偉いのではない。ついてきてくれる国民がいるから、先頭に立っていられるのだ。国民の生活を知らずして、王は務まらんよ」
ロイは言葉を失った。アレフの王宮では、王は玉座に座り、民を見下ろすのが常だった。だが、この王は違う。民と同じ目線で、同じ汗を流している。
「……僕は、理想ばかり語っていたのかもしれません。平和になれば、それでいいと」
ロイが沈痛な面持ちで言うと、タフリンは穏やかながらも鋭い視線を向けた。
「ロイ王子。君の目指す和平、誰もが武器を置く世界……それが一番だと、私も思うよ」
タフリンは窓の外、夜風に揺れる麦畑を見つめた。
「だがな、この戦争は昨日、今日で始まったわけではない。すでに多くの血が流れている。連邦の民も、帝国の民も、互いに大切な者を奪われた。その憎しみと悲しみの上に、今の戦況がある。お互いに今更、止まることなど出来はせんのだ」
「止まれない……そんな……」
「無理に止めようとすれば、その反動で国が割れる。和平とは、単に剣を収めることではない。流れた血の意味を、どう鎮めるかという難題なのだよ」
◇
翌朝、ロイは早朝からタフリンと共に畑に立っていた。
「王子が農作業とは、物好きだな」と笑う農民たちに混じり、慣れない手つきで麦を刈る。
腰は痛み、手にはすぐに豆ができた。だが、その痛みが不思議と心地よかった。自分が「生きている」という実感と、この麦が誰かの命になるという実感が湧いてきたからだ。
休憩中、タフリンが水筒を渡してくれた。
「我らハーフリングは争いが苦手でな。前線には出ん。だが、こうして食料を送り、連邦の腹を満たすことで貢献している」
「……タフリン王は、帝国が憎いですか?」
ロイが恐る恐る尋ねると、タフリンは意外な答えを返した。
「憎くはないな。私はな、この戦に負けてもいいとすら思っている」
「負けてもいい!? 国が奪われるのですよ?」
ロイは驚愕した。
「覇王アンドレアが、この国の自治をある程度でも認めてくれるならばな」
タフリンは遠く東の空を見上げた。
「あいつは苛烈だが、悪いやつではない。自身の理想とする『恒久平和』のために、鬼になっているだけだ。その統治下に入っても、民が飢えず、笑って暮らせるなら、看板が変わるくらい些細なことかもしれん」
ロイの脳裏に、マクマリスの言葉が蘇る。『どちらの正義に味方するかは、君が決めるのだ』。
連邦の一員であるタフリンでさえ、帝国の王を完全な悪とは見なしていない。
「これは私の考えに過ぎん。この連邦は八つの国の集まりだ。その国の数だけ考えがある。どれも、その場所で生きるもの達にとっては真実なのだよ。その目で見てくるといい。多様な意見に触れることで、お前さん自身の器が大きくなるだろうて」
◇
数日間の滞在で、ロイの手は少しだけ荒れ、顔は日に焼けた。
『アルゴス』の出発の時、多くの農民が見送りに来てくれた。彼らはロイを「王子様」ではなく、共に汗を流した「仲間」として手を振ってくれた。
「タフリン王。教えていただいたこと、決して忘れません」
ロイが頭を下げると、タフリンはニカリと笑い、一袋の麦の種をロイに渡した。
「迷った時は、思い出せ。どんな立派な理想も、まずは土を耕し、種を蒔かねば実らないということをな。焦るなよ、ロイ」
『アルゴス』が再び空へと舞い上がる。
眼下に広がるパッチワークのような畑を見下ろしながら、ロイは麦の種を強く握りしめた。
戦争を止める。それは単に「やめろ」と叫ぶことではない。タフリン王が土と向き合うように、人々の心にある複雑な根と向き合い、一つ一つ解きほぐしていく地道な作業なのだと、彼は理解し始めていた。
「次は、どんな国が待っているんだろう」
ロイの瞳には、以前のような漠然とした希望ではなく、現実を見据える強い光が宿っていた。
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