第6話 神を殺す者
白い空間が、ねじれるように歪んだ。 その中心に、神を名乗る者が姿を現す。 まるで純粋な魔力そのものが形を得たような、白い粘土細工の化物。二つの目だけが黒く、それ以外は鼻も口も存在しない。それはとても神と呼べるような姿ではなかった。 だが、その無表情な顔が、ベルには確かに笑っているように感じられた。
『愚かだな、贄よ』
声は空間全体を震わせ、ベルの耳ではなく魂に直接響く。
『其方がどれほど魔力を磨こうと、神である我に勝てるはずがない』
圧倒的な魔力の奔流が、物理的な圧力となってベルを押し潰そうとする。全身の細胞が悲鳴を上げた。
(……まともに戦りあったら、無理!)
一瞬で理解した。魔力量も、存在の格も、あまりにも違いすぎる。
「……だから」
ベルは、強く箒を握りしめた。
神が、ゆっくりと白い腕を振るう。 空間そのものが粘液と化したような、どろりとした白い奔流がベルを飲み込もうと迫った。
「……っ!」
ベルは箒を急旋回させ、紙一重でその攻撃をかわす。
(見た目は鈍重そうに見えるのに、動きは速いし正確にこちらを狙ってくる……!)
回避するベルを追って、神の魔法が白い空間を切り裂くように襲いかかる。
回避に徹するベルの脳裏に、里での試練が蘇った。
(本質を見抜かなければ、勝てない。この世界は、見えているものが全てじゃない!私は、それを知っている!)
ベルは空間を蹴るように高く跳び上がり、箒を神へと投げ捨てた。
『無駄だ。そんな事をして何になる?』
神は冷たく告げ、避けようともしない。箒は神に弾かれ、背後に落ちていく。だが、その言葉こそがベルの望むものだった。
「無駄かどうかは、その身で確かめて!」
ベルはローブの奥から、一枚の薄いマントを取り出した。それは彼女が旅立つ前に、こっそりと用意していた「姿を隠す」魔法がかけられた特別なものだ。
「――今!」
ベルはマントを纏い、瞬時にその姿を空間から消した。
『……消えた?魔力すらも…!』
透明化したベルは、神の死角へと回り込む。 そして、先ほど投げ捨てた箒に、自らのマントを覆い被せ神の眼前へと飛ばした。 ベルが念じると魔法が解け、突如、空中に浮遊する「マントを纏った箒」が姿を現す。 神の動きが、わずかに止まる。
『……ならば…そこか』
瞬時に神が背後へ巨大な魔法を放つ。 その一瞬の、ほんの僅かな隙。神の意識が攻撃に集中したのを見計らい、ベルは全力で魔法を放った。
ベルは跳んでいた。 神の真上、白い空間の曖昧な一点から、ベルの声が響いた。 透明を解いたベルが、神の身体の中心にあった「宝玉」めがけて、渾身の魔法を放つ。 そう、マントが無くても姿を隠す魔法をベルは使えたのだ。神の前であえてマントを纏い消える事で、透明になっている時、姿も、魔力も消えると神に錯覚させた。 そして透明になっていたマントが現れた時の視界外、つまり背後にベルがいると確信した神は攻撃を放った。 全てはベルの思惑通りとも知らずに。
(これが……私の……ありったけ!)
「――砕けろッ!!」
ベルの魔法が、神の白い粘土細工の身体の中心に据えられた、宝玉へと直撃した。 光と衝撃が、神の身体から迸る。白い空間そのものが悲鳴を上げ、引き裂かれるような音を立てた。
神の身体に、最初に小さなひびが走った。
『……これは』
初めて、神の声が揺らいだ。
『面白い……』
そのひびは、瞬く間に全身へと広がり―― 白い身体が、崩れ落ちていく。まるで脆いガラス細工のように。
ベルは、息を切らしながら立っていた。
「……勝った……の?」
勝利の実感は、まだ薄い。 なぜなら、この世界の真実を、知ってしまったからだ。
(……里に、戻れる?)
長老の顔が脳裏に浮かぶ。何年もの間、旅立った仲間が誰一人帰ってこないことを知りながら、何もせず見送ってきた人。
(……どうしても、信じられない……)
とても里に戻る気にはなれなかった。
完全に崩れ去る寸前、白い塵と化した神の声が、最後にベルの心に語りかけた。
『見事だ、魔法使いよ』
『オマエは、確かに我を殺した』
『……そして』
崩壊の瞬間まで、神の声は微かな満足感を滲ませていた。
『オマエならば……「神」を、殺せるかもしれない』
「……え?」
ベルは眉をひそめた。
「何を言っているの……?」
その瞬間、まるで雷に打たれたように、言葉の真意が胸に落ちた。
――この世界の神。
この世界。
「……世界は……」
「一つじゃ、ない……?」
神は、答えなかった。 ただ、薄い笑いのような気配を残して――完全に、白い塵へと消え去った。 そして、ベルもまた、魔力を使い果たし、意識を失ってしまう。
ベルが意識を取り戻したとき、彼女は岩山の頂上、あの祠の前に倒れていた。 粉々に砕け散った宝玉の破片が、足元に散らばっている。 魔力は、もう感じない。この世界を維持していた、あの巨大な魔力の奔流は、完全に消え失せていた。
「……戻ってきた……」
ひとまず、この場所から離れようとした、その時。
――ぞわり。
空間が、奇妙に歪む。 ベルが振り返ると、祠があった場所に、次元のうねりが生まれていた。黒い渦が、空間そのものを食い破るように広がっていく。 そして、頭に響く声。
『神を殺し……世界を救いたければ……』
『……進め』
それは、今までの神の声とは違う、別の存在からの響きだった。 ベルは迷わなかった。 世界が一つじゃないなら、神も一人じゃない。 もし、自分の世界と同じような地獄が、どこかで繰り返されているなら――。
「……放っておけるわけない」
箒を強く握り、ベルは、その黒い渦の中へ、躊躇なく踏み出した。
不安と、恐怖が入り交じる心。 それでも、揺るぎない信念を胸に。
ベルは、新たな世界へ旅立った。
箱庭の魔女 〜神に捧げられるはずだった私が、世界の嘘をぶち壊すまで〜 @roku_ky
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