第5話 理

「……っ」


 ベルが薄い瞼を押し上げると、そこは色彩の死絶した「白」の世界だった。  上下も、奥行きも、自分が立っている地面の感触さえも定かではない。果てのない虚無に放り出されたような錯覚に、ベルの喉が震えた。


「……ここは……どこなの?」


 その問いに答えるように、あの重苦しい「声」が再び脳髄を揺さぶる。


『目覚めたか、人の子よ』


 逃げ場のない圧迫感。全方位から注がれる冷徹な視線。ベルは、輪郭を失った白い空間に向かって叫んだ。


「……あなたは、何者なの? 姿を見せて!」


 刹那の沈黙。やがて、声は無機質な響きを伴って答えた。


『私は、この世界の理(ことわり)であり――其方たちが「神」と呼ぶ概念そのものだ』


「……神……」


 その言葉を反芻する。理不尽な恐怖に襲われながらも、ベルの心の一部は、パズルの最後の欠片が嵌まったような納得感に支配されていた。  あの禍々しい祠。生気を吸い上げる宝玉。そして、里の裏山にあった「偽りの試練」。そのすべてが、この存在へと繋がっていたのだ。


「……ねえ」


 ベルは肺の奥まで空気を吸い込み、震える声を研ぎ澄ませた。


「あなたが……外の世界へ旅立ったみんなを、殺したの?」


 白い空間が、わずかに波打つ。


『肯定しよう。そして其方も、先達と同じ路を辿ることになる』


 神の声には、一片の慈悲も、罪悪感もなかった。


『殺す、という表現は不正確だ。私はただ、其方たちが蓄えた魔力を回収しているに過ぎない。火の消えた灯(ともしび)が尽きるように、命が失われる。ただそれだけの事象だ』


「……そんな、勝手な……」


 ベルの脳裏に、あの朽ち果てた小屋と、血で綴られた『タスケテ』の文字がフラッシュバックする。


『魔力を吸い尽くした後の器は、あの小屋へ戻してやった。だが、魂という核を失った肉体は、やがて動かなくなる。それを其方たちは「死」と呼ぶのだろう』


 淡々と語られる残酷な末路。ベルは、爪が食い込むほどに拳を握りしめた。


「……どうして。どうして、そんな残酷なことができるの?」


『この箱庭は、有限だ。何もしなければ、いずれは砂の城のように崩壊する。世界を維持するためには、定期的な「魔力の補給」が不可欠なのだ』


 神は、冷酷な真実を突きつける。


『そのために、魔法使いという種を育てた。外の世界への憧れを植え付け、熟した果実を収穫するように、この場所へと送り出させたのだ』


 すべては、世界という装置を動かすための「燃料」に過ぎなかった。  憧れも、努力も、仲間たちと語り合った未来も。  ベルの胸の奥で、氷のようだった恐怖が、灼熱の怒りへと変質していく。


「……そんな理由で……みんなの人生を、踏みにじったの……!」


 ベルはゆっくりと顔を上げた。その瞳には、すでに涙を乾かすほどの強い意志が宿っている。


「……ねえ、神様」


 静かな声が、無垢な白の世界に染み渡る。


「じゃあさ……」


 一瞬の溜め。そして、彼女は言い放った。


「あなたを殺せば、もう生贄なんて必要なくなるよね?」


 世界が、軋んだ。


『……ほう。其方、私を屠(ほふ)ると言うか』


 次の瞬間。  ベルの細い身体から、銀色の魔力が爆発的に噴き出した。  ひび割れる白い空間。里での十六年間、そして里の試練を打ち破るために磨き上げてきた、彼女だけの「抗う力」。


(……これが、私のすべて)


 恐怖は消えない。けれど、それ以上にベルの魂は昂(たか)ぶっていた。


「……私は、もう選ばない。選ばされるのは、真っ平よ」


 光を帯びた瞳が、姿なき神を射抜く。


「誰かのために生きるんじゃない。ましてや、あなたのような存在に捧げる命なんて、一分(いちぶ)だって持ってない」


 ベルは、はっきりと言葉を刻みつけた。


「――あなたを倒して、私は「本当の外側」へ行く!」


 空間が大きく、激しく激震する。  神は――その概念的な気配の中に、初めて愉悦に似た笑いを見せた。


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