第4話 贄(にえ)

 ベルは震える足で朽ち果てた小屋の外へと這い出した。  夜の帳はどこまでも深く、空気は氷のように冷え切っている。肺に吸い込むたび、喉の奥が刃でなぞられたかのように痛んだ。  そして――。  月明かりの下に晒されたその光景を目の当たりにした瞬間、彼女は言葉を失った。


「……っ……これ……」


 小屋を取り囲むように、無数の石の墓標が整然と並んでいたのだ。  あるものは風化し、あるものは名前を刻むことさえ許されず、ただ沈黙を守っている。その足元には、かつて持ち主がいたことを示す残骸が、無残に散らばっていた。  泥にまみれ折れ曲がった箒、ボロボロに引き裂かれたローブ、片方だけの靴。


(間違いない……これは、里を旅立ったみんなの……)


 胸が締め付けられるような激痛に襲われる。  ここで、何かが起きた。何かが、彼らの未来を無慈悲に刈り取った。その残酷な事実だけが、死の静寂の中で際立っていた。


 そのとき、ベルの肌が粟立った。


「何……この魔力」


 大気がひりつき、産毛が逆立つ。  小屋の中にいたときには、決して感じることのなかった――いや、「隠されていた」巨大な魔力の波動が、夜の闇をじわりと浸食し始めていた。  ベルは本能に導かれるように、魔力の奔流を辿って顔を上げた。  視界の先、荒涼とした岩山の頂に、異質な「何か」が鎮座している。


 ベルは弾かれたように箒に跨った。  夜空を切り裂き、岩山へと急行する。近づくにつれて、魔力は密度を増し、重く、淀んでいった。


「……っ……気持ち、悪い……」


 胃がひっくり返るような不快感。平衡感覚を狂わす眩暈。  それでも、ベルは奥歯を噛み締め、墜落しそうになる箒を必死に御した。


「……絶対に、諦めない……!」


 ついに辿り着いた頂上には、ひとつの祠があった。  里の裏山にあった古びた石造りのそれとは、対極にある存在。  純白の石材を惜しみなく使い、精巧な彫刻が施されたその姿は、神々しいまでの美しさを放っている。


「……綺麗……」


 不意に漏れた言葉と同時に、内臓を掴まれるような強烈な吐き気が込み上げた。  美しすぎる外見とは裏腹に、そこから溢れ出しているのは、おぞましいほどに歪んだ魔力の渦。


(この祠……まるで、呼吸をしているみたい)


 祠の中央には、意匠を凝らした台座が据えられていた。  その上に鎮座しているのは、淡く不気味な光を放つ――一粒の宝玉。  すべての魔力が、この一点から湧き出している。  ベルは唾を飲み込み、強張る指先をゆっくりと伸ばした。


「……この石に、手がかりがきっと……。」


 指先が、冷徹な宝玉の表面に触れた、その瞬間――。


 ――低く、重い轟音のような「声」が、頭蓋の内側に直接響き渡った。


『……オマエが、今代の「贄」か』


「っ!!」


 ベルの身体が、極寒の氷に閉じ込められたように硬直した。  心臓が肋骨を突き破らんばかりに跳ねる。  贄――。  その忌まわしい言葉の真意を悟ったとき、彼女の目の前で、世界の真実が音を立てて崩れ去った。


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