第1話 後編

第五節


悠介は、美波と同じ目線になるよう、その場に屈み込んだ。

「美波さん。……提案があります」


悠介は、先ほど開いていたアカウントを見せた。

晴人と名乗るアカウントの投稿が大衆の関心を惹いていた。

「俺が不甲斐ないばかりに、美波を傷つけた。自分のプライドを優先させて、彼女の投稿に付き合わなくなった。それが、綻びのある投稿につながり、それが原因で匿名の誰かに脅されるまでの結果になった。俺は、二度と彼女を傷つけない。全力で支えていく」悠介は読み上げる。

投稿には、脅迫めいたことが書かれたDMのスクショも一緒に上げられている。悠介が作ったものだ。

美波は戸惑う。「プライドの高い彼が、そんなこというわけ…」

「事実です。元の家で、やり直そう。その時は、全力で手伝うとも言ってます」

悠介はDMでのやり取りを見せる。

「それに、これは美波さんにとっても悪い話じゃない。告発よりはむしろ勝算が高いとも考えてます。一度は仲違いをした夫婦が、再度力を合わせて再起する。強い女性、男性の献身的なサポート。……これは一つの『ドラマ』になります。互いに泥を塗り合うより、共犯者として稼ぐ方が合理的だと思いませんか?」


美波の瞳にかすかな光が戻る。悠介の提案は救済などではない。夫婦仲が完全に修復されたわけではない。美波は、夫婦仲の再構築よりも、自分の承認欲求を選んだ。それでも、表面上は綺麗に夫婦という形にパッケージングしなおされた。


午後4時、二人はマンションを後にした。悠介は、4時半にアポを取り付けていた営業先へと向かう。午後丸々をサボる度胸はなかった。


悠介は仕事を全て片付け、来栖へ報告するべく、事務所に足をむける。

ビルの前のガードレールにもたれかけるようにして陽葵がいた。

「美波さん。マンションをひきはらって。元の家に戻るってさ」

「それは、よかったじゃないか」

「キラキラした生活にこだわっていたのに、なんであっさり引き払っちゃったんだろう」

「マンションを借り続けるのが不安になったんじゃないか?稼ぎも落ちてたんだろうし」

「旦那様は、美波さんの活動をホントは応援してたの?」

「ローンを一人で払うのが大変だったんだろう。プライドより実利をとったんだな」

「どっちもお金目当てじゃん」

「……そういうものだ。本音で話すだけじゃ、何も解決しないこともある。でも、互いに告発し合うより、建前の中でも二人が仲良く暮らしていける可能性があるんだったら、そっちの方がいいじゃないか」

陽葵は目を丸くしている。陽葵の顔を見て悠介は、考えなしに口を開いていた自分に気がつき驚いた。

「というのは建前で、落ち目のインフルエンサーから報酬をたくさんいただいたんだ。稼いで貰わなきゃ寝覚が悪いだろ」取り繕うように言葉を続ける。

今度こそ陽葵は、嫌そうな顔をする。

「私、ホントに美波さんのファンだったんだよ。テキストじゃ鳥肌は立たないし、彼女のアカウントには嘘はあったかもしれないけど、それ以上にホントがあった」

陽葵は自身のスマホをこちらに向ける。フォロー中と書かれた美波のアカウントのトップページがあった。

「さっき、投稿してたよ。今までの謝罪と、新しい表明と。批判もあったけど、大抵は好意的かな。真壁くんの作戦通り」

陽葵のスマホに映る美波のアカウント画面には、もうフォロー中の文字はなかった。

「さっきの真壁くんのカッコつけ発言から鳥肌が止まらないの。中に入ろ」


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第六節

事務所のドアを開けると、換気扇の唸る音に混じって、来栖が贔屓にしているチームの勝利を報じるラジオの絶叫が鼓膜を震わせた。 デスクでは来栖が、今度は皮の代わりに「タレのついたつくね」を頬張りながら、満足げに目を細めている。モニターには、美波の最新投稿――『本当の私と、彼との再出発』というタイトルの、少し画質の粗い、しかし「本物」を感じさせる夫婦のツーショットが映っていた。

「見事な火消しだ、真壁ちゃん。泥沼のマウンドを見栄えのいい砂場に作り替えちまったな。卑怯で、それでいて誰も文句が言えねえ、完璧な二重底の解決策だ。お前のその、救いようのない『適応能力』には恐れ入るよ」

「……褒め言葉として受け取っておきます。結局、誰もが望む『ドラマ』を提供したに過ぎませんから」

悠介は営業鞄をソファに放り出し、深い疲弊とともに身を沈めた。 来栖は万年筆を指揮棒のように振り、ラジオの音量を少しだけ落とした。

「いいか、これがプロのリリーフだ。真実がどうあれ、観客(フォロワー)が納得して拍手できりゃあ、それでゲームセットなんだよ。美波も、あの旦那も、地獄の縁で手を組み直して『共犯者』になった。……ま、一番の黒幕は、このシナリオを書いたお前だがな」

悠介は答えず、目を閉じた。 隣では、陽葵が机に放置されていた空き缶をゴミ箱へ放り投げた。乾いた金属音が響く。彼女はソファの端に座り、黙って悠介を横目で見ていた。

「真壁くん。あんた、さっき言ったよね。本音で話すだけじゃ解決しないこともあるって」

「……言ったかもしれないな」

「それ、自分に言い聞かせてるように聞こえた。……あんたさ、本当は『真実』を一番怖がってるんじゃないの?」

悠介の指先が、わずかに止まった。形状記憶された笑顔が、一瞬だけシステムのバグのように歪む。 「……意味が分からないな。私はただ、一番効率的で、摩擦の少ない道を選んでいるだけだ」

「ふーん。まあ、いいけど。……いつか、その分厚いメッキを全部剥ぎ取って、あんたが自分の本当の顔で泣くところ、私が一番近くで見ててあげるから。覚悟しときなよ、真壁くん」

陽葵は不敵に、それでいてどこか危うい微笑を湛えて立ち上がった。 彼女は悠介の正面に立つと、至近距離で彼を凝視する。 逃げる間もなく、彼女の手が悠介の胸元に伸びた。

「ネクタイ、歪んでる。……あんたの性格みたいに」

ぐい、と。 乱暴な手つきで結び目を引き直される。首元が絞まり、一瞬だけ呼吸が止まった。 至近距離で交わった陽葵の瞳は、修正液のような白さと、硝子細工のような透明感で悠介の「空っぽな中身」を覗き込んでいた。

「……じゃあね、真壁くん。」

陽葵はそのまま、翻した髪の香りを残して事務所を出て行った。 来栖は、冷めた焼き鳥を一本、悠介に差し出した。

「いい女だろう?」

「……ええ。最悪ですよ」

悠介は、差し出された焼き鳥を口に運んだ。 濃すぎるタレの味が、嘘ばかり吐いていた喉に、ひどく生々しい実感を伴って響いた。 窓の外には、藍上原市の夜景が、無数の小さな「体裁」を纏って静かに輝いている。

(真実なんて、いらないんだ)

そう念じるほどに、ネクタイを絞め直された首筋の熱が、自分の喉元に詰まった「飲み込めない本音」のように疼いた。 二十九歳の彼は、それ以上考えるのをやめ、事務所の冷え切った空気を深く吸い込んだ。


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