第六話 四天

──元中六年(1389)冬


 その頃、美濃では土岐康行ときやすゆきが兵を挙げたと、断片的な報せが届いていた。世に言う土岐康行の乱である。

 都からは遠く、戦の規模も定かではない。だが乱は乱を呼び、主を失った者、居場所を失った者が、各地で蠢き始めていた。

 吉野山中、旧い修験道の行場を転用した砦に、武装集団が陣取っていた。北朝に背いた一族郎党が各地で蜂起した騒ぎはすでに鎮まっていたが、その余波は山間に残っている。乱に乗じて略奪を始めた者たちが、ここに集まっていた。

 砦は即席にしては守りは整っていた。丸太を打ち並べた柵が外周を囲み、正面には仮設の門が一つ。 中には二十余名。元は武士もいれば、野伏上がりもいる。荒くれ者の集まりだが統率はなく、油断もあった。

 いや、南朝の兵にこそ油断があった。少数だと見縊ってしまい、正面から当った南朝兵は手痛い返り討ちに遭った。確実に、指揮を行った橘綱重たちばなつなしげの判断誤りであった。

 対して敵は南朝兵を破り、却って一体感が生まれた。

「帝が憂慮されておられる」

 藤原定衡より影刻に命が下った。

「真四郎、任せて良いか?」

 影刻が立ち上がった。

「どこへ行く?」

「御在所の裏手が気になるのだ」

「隠番を付けるか?」

「いや、俺ひとりで大事ない。砦周りに伏勢がいると見た。隠番に対処させてくれ」

「気を付けよ」

 真四郎の言葉を受け、影刻はこの場に似つかわしくない笑顔を見せた。

 影刻を見送った真四郎は表に出て、斥候の務めた隠番より状況を確認し、反復した。

「……門は一つ。見張りは四」

 視線の先、敵の正門には焚かれた松明が二本、見張りが交代で立っている。

「無明丸」

「おう」

 無明丸は、すでに前に出ていた。

 背丈ほどもある棍を肩に担ぎ、足音を殺す気もなく進む。

「門を頼む」

「任された」

 次の瞬間だった。

 ──ドン、と鈍い音が山に響いた。

 敵の正門が、内側から潰れた。扉ではない。支柱ごと、棍で叩き折られている。

「なっ──!」

 見張りが叫ぶ前に、無明丸の影が被さった。

 棍が振り下ろされる。刃ではない。だが、鎧越しでも衝撃は逃げ場を失う。一人、二人、まとめて地に沈んだ。

「門は破りもうした」

 門が消えた。それが、合図だった。

「椿」

 真四郎の声が届く前に、椿はもう走っている。

 正門突破の混乱に気を取られ、内側の指揮役が声を張り上げた、その瞬間。

 ──す、と影が滑った。

 大刀が振るわれたとは、誰も気づかなかった。首が落ちたあとで、ようやく血が噴き出す。

「指揮、落とした」

 椿は振り返らない。

 次の敵へ向かう。逃げ惑う者の動線を読み、最短で詰め、斬る。一撃。必ず一人。

 敵陣が、ざわつき始めた。

「砦を捨てよ!」

「裏だ、裏へ行け!」

「火を放てっ!」

 だが──松明が、一本、消える。次の瞬間、もう一本。

 松明をたかが苦無ごときに落とされた。

「……火が」

「何も見えない!」

 気づいたときには、遅い。

 暗闇のなか、更に苦無が敵の首元に吸い込まれる。朧火の投げ技は正確無比であった。

 砦は沈黙した。

 南朝神衛衆最強と謳われた真四郎が、剣を抜くまでもなく鎮圧された。

 死者十余。残りは逃走か、無力化。 また、砦周りに敵の伏勢もいたが、隠番により全て排除されていた。

「……あっけない」

 無明丸が棍を肩に戻す。

「これでいい。これ以上は、ただの殺しだ」真四郎は言った。「撤収する」

 短い命令だった。


 御在所の裏は、静かだった。砦の喧騒は岩壁に遮られ、風の音だけが落ちている。

 影刻は足を止めた。砦側とは異なる呼吸が、そこに揃っている。

 ──四人。いや、五。

 闇に溶ける足運び。互いの間合いを知っている。

 便乗の荒くれではない。

 影刻は、雉裂小烏丸を抜かなかった。一歩踏み込み、影に影を重ねる。

 最初の一人は、音を立てなかった。気づいた時には、もう倒れている。

 次の刃が来る。遅い。影刻は半身で受け、柄で顎を打った。骨の鳴る音が短く響く。

 三人目は距離を取った。判断は正しい。だが、影刻の踏み込みはさらに内側だった。

 斬った数は数えない。息も乱さない。

 最後の一人が、退こうとした。 影刻は追わない。影が先に届く。

 すべてが終わった時、御在所の裏には、何も残らなかった。血の匂いすら、風が攫っていく。

 影刻は刃を収め、踵を返した。砦の方角を、一度も振り返らなかった。

 この日の闘いは存分に南朝神衛衆の働きを見せるものとなった。

 仔細を聞いた帝の覚えも目出度く、小頭の四人を「四天」と褒め称えたという。

 しかし、此度の出来事に影を差した者もいた。南朝兵の指揮官である橘綱重は、勅賞の場にいる影刻を遠くからただただ睨むだけであった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る