第五話 朧火

 元中五年(1388)。 冬の気配が、吉野の山に忍び寄っていた。

 神衛衆の陣に、ひとりの老爺が姿を見せた。不知火しらぬい――先代影之の代より小頭を務めてきた、最古参のひとりである。

「長く居すぎましたな」

 それが、願い出の第一声だった。 年齢は、六十を越えている。もはや前線に立つことはなく、それでも陣の隅に在り続けた存在だった。

 真四郎は、その言葉をすぐには受け止められなかった。

「……まだ、教えを請いたいことがある」

 不知火は、首を振った。

「もう、教えることはない。それに──」

 老爺は、背後を振り返った。 そこに、ひとりの少年が立っていた。

「こやつが、孫の祥吉しょうきちでございます」

 年の頃は、十五。背丈は低く、表情には緊張も畏れもない。

「名は、聞いている」

 影刻が言った。 不知火の孫が、影のように動くこと。いつの間にか背後に立ち、いつの間にか消えていること。

「……俺を、小頭に加えてくれるんか?」

 祥吉は、不知火と影刻を交互に見て、率直に訊いた。 真四郎が、眉をひそめる。

「言葉遣いに気をつけよ」

 少年はきょとんとし、それから小さく頷いた。

 不知火は、そこで一歩退いた。

「この子に、技は教え尽くしました。そして、私を越えたかと。あとは──火を、渡すだけです」

 火。 それは技でも、役でもない。

「なるほど、それでもまだ人の上に立つ器ではない。しかし、不知火がおらなくなるのなら、お前の技量、喉から手が出るほど欲しい」

 影刻が真四郎を見た。真四郎は頷いた。

「今日から」影刻が、静かに口を開いた。「お前は、不知火の孫ではない」

 祥吉が、影刻を見上げる。

「祖父から火を受け、朧火おぼろびと名乗れ」

 理由は語られなかった。役目も、命じられなかった。不知火は、何も言わず、ただ一歩下がった。 そこにはもう、老爺の影はなかった。

 その日、神衛衆に新たな小頭が加わった。 火力は、小頭の中で最も低い。だが動きは軽く、刃も影も、追いつけぬ。そこに残るのは、不知火の技だけだった。 刃を交えず、音も残さず、ただ「何かが起きた」痕跡だけを残す。 無明丸が力なら、椿が刃なら、朧火は──兆しだった。

 真四郎は、まだ少年の姿をした朧火を見て、小さく息を吐いた。影刻は、何も言わない。

 こうして、四つの異なる火が、同じ場に揃うことになる。 その力が発揮されるのは、そう遠くないことであった。

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