小夜嵐の中で目を閉じ耳を塞いで生きてきた。

西しまこ

消えた輪郭

 煙草のにおい。

 先輩は高校生だけど、煙草を吸う。大人になった気持ちがして、何だか好き。

「ねえ、動画撮っていい?」いいよと答える。先輩のことが好きだから。たぶん。好きってよく分からないけど、先輩としているときは、あの人のことを忘れられる。

 先輩は慣れた手つきでスマートフォンをセットして、慣れた手つきであたしの服を脱がす。もう何度目かのこの行為。先輩はあの人と違って、性急で真っ直ぐな熱でねちっこくないから好き。その代わり何度でもする。でもいいの。

 これはあたしの意志だから。

 煙草の味がする舌。先輩とするようになって、キスが少し好きになった。先輩はあたしの胸を触るとすぐに挿れる。その早急さがいい。しつこく触られるのは好きじゃない。痛くて、閉ざしていた心が開いてしまうから。

 筋肉質の細い身体を抱き締める。

 ずっとこのままだといいのに。

「ねえイクときはイクって言って?」「ん」

 イクってよく分からない。

 だって本当は何も感じないから。あたしはいつも相手に合わせて「イク」と言う。先輩が喜んでくれるなら嬉しい。

 終わったあと、裸のままベッドに寝転んでいたら、先輩があたしの裸の写真を撮った。不意打ちで何枚も。あたしの内面が写らないならば、いくらでも写せばいい。

 撮り終わると、スマートフォンをタップして、これまでの映像を確認しているらしかった。顔がにやにやしている。

 あたし以外の女の子の動画や写真もその中にあるんだろう。先輩があたし以外の女の子ともヤっているのを、あたしは知っている。「つきあおう」と言った、その同じ口であたしの好きな煙草のにおいのするその口で、色んな女の子に同じことを言っている。バレていないと思っているところがかわいくて、あたしは微笑んだ。

 あたしの身体の中には真っ黒いどろどろしたものが詰まっている。同級生たちは皆きらきらしているけれど、あたしの生は既に老年であたしの性はもはや嵐になぎ倒された。そういう明けない夜の嵐のようなものを隠して、先輩のスマートフォンの中には他のきらきらした女の子と同じようなあたしがいるといい。

 先輩の部屋のベッドで、裸のままだらだらしていると、ドアが勢いよく開いて、派手な化粧をした女の子が、よく分からないことを怒鳴りながら入ってきた。

「浮気者!」「この女は誰よ!」「あたしがいるのに!」

 先輩はうろたえながら、下着一枚でその女の子を宥めようとしている。あたしは黙って、裸のままそれを眺めた。

「あんた! 人の男を取って、何が楽しいのよ!」別に楽しくないし、取ったりもしていない。そもそも、誰のことを、本当には自分のものにしたりは出来ない、ということを、この女の子は知らないんだろうか。

 不自然なほど長くて濃いつけまつげの目から、女の子は涙を流した。マスカラが涙で滲んで、ピンクのチークは頬の上気と涙とで崩れてしまっている。それでもなお、彼女はあたしに怒鳴り続けたので、あたしは面倒くさくなってしまう。怒鳴っても何も変わらないのに。

 あたしは床に落ちていたショーツを履きブラをつけ、制服を身につけた。

「帰るのか?」先輩がほっとしたように言う。あたしは軽く頷き、そのまま二人の横を通り過ぎていく。二人が抱き合っているのがちらりと見えた。あたしが相手するはずだった、何回分かをやってくれてありがとうと思う。崩れた化粧の派手な女の子は、先輩の肩越しにあたしの顔を見て勝ち誇ったような目をした。

 別にどうでもいいよ。面倒くさいことは嫌い。

 先輩とするのも暇つぶし。

 黒い嵐が少しでも宥められるのなら、それでよかった。

 一人でいると、あたしの中にある黒いコールタールのようなものが、穴という穴からじわじわ出てくるような気がしてしまう。実際出ているのかもしれない。あの黒さの中で窒息してしまいそうな恐怖が嫌なだけ。

 あの人よりも太いアレに貫かれると、なぜだかその瞬間だけ、あたしはもしかして高校生だったのかもしれないと思える。先輩の熱が伝わって黒くて冷たい嵐の中で凍えているあたしはほんの少しだけ熱を取り戻す。

 もちろんそんなのは幻想だ。

 家に帰るとすぐに現実に連れ戻される。

 家の中にはあの人がいて、あの人の視線を感じると高校生であるあたしもほんの少し熱のあるあたしも、消え去る。ああ、あたしは黒いどろどろの中で溶けているのだ。

 夜は怖くていつも眠れない。嵐が来るから。

 布団の中にいるとあの人が潜り込んでくる。ねちねちしたその感触。はあはあという息遣い。何もかもが気持ち悪くて何もかもがどうでもいい。あたしは夜の嵐の中で黒くて冷たいところにいくことを学んだのだ。早く終わるといい。先輩みたいに。どうしてとかももう考えない。だってどうでもいいのだから。だけど、あたしの股の間から出ているものが、先輩が残したものだといいと思う。そうだったらいい。もしもそうだったら、それは黒くないから。あたしの中に一つでも黒くないものがあるといい。

 あたしの輪郭は既に溶けている。

 そうしてそれは黒くてどろどろとしていて、白い身体の中でうねりを帯びている。生も性もその中で一緒に混じり合ってぐるぐるしている。思考は散漫に飛び散り、刹那の情の欠片だけがある。だけど近頃ではそれすらも危うい。ああ、あたしはもう既に生を終えているのだということが分かる。

 かつては確かにあった「あたし」はどこに行ったのだろうか。あたしにも同級生みたいに、未来を夢見る人生があったのだろうか。

 あたしには未来はなく過去すら一秒ごとに打ち砕かれて、一瞬の今だけしか存在しない。それはいつでも暗い中にあるので輪郭すらわからない。

「ねえ、動画が出回っているの、知ってる?」学校に行くとクラスメイトが心配そうな、でも好奇心に満ちた顔であたしに言う。動画? 「SNSで拡散されているの。動画も、あと写真も」そう言って彼女はあたしに、それを見せた。

 先輩とヤっている動画だった。写真はあたしの裸だった。

 あたしはこんな顔をしているのだと奇妙な思いでそれを眺める。

「ねえ、大丈夫? 皆見てるみたい」大丈夫か大丈夫でないか。そんなことを考えたらあたしはここにいることも難しい。ふと周りを見ると、皆があたしを見ていた。男子たちは好奇の視線であたしを見る。頭の中であたしの制服を脱がし裸にしているのだろう。そんなのどうでもいいよ。本当にどうでもいい。

 お昼休みの時間担任に呼ばれて、校長室で担任と学年主任と校長と話をした。例の動画と写真の件だった。事実確認をされ、それから動画や画像がある理由を聞かれた。つまり、隠し撮りではなかったどうかだ。保護者に連絡をすると言われた。保護者と再度一緒に話しましょうと。保護者? あたしの胸はぎゅっと締め上げられる。あたしに保護者などいない。だけど、ここにいる一見善良そうな顔をしている人間にはそんなことは分からない。あたしは黙って俯いていた。「今日はもう帰りなさい」担任の中年の女性が心配そうに言う。周りの好奇の視線があるから言うのだろう。帰ったところであたしは同じ目に遭うだけ。どれほどの差があるというのだろう。

 どこもかも黒い嵐が吹き荒れていて、あたしは黒い溶けたあたしを搔き集めることしか出来ない。

 時間を潰して帰ると、あの人は既に家にいてあたしの髪を掴みあたしを殴りでも見える部分は殴らずに見えない部分に痣をつけ、あたしの部屋にあたしを引き摺って行き昨日と同じようにあたしの服を脱がした。

 スマートフォンがあたしとあの人との行為を撮っている。

 あの人は自分もしていることを先輩がして、それで怒っている。あの人のスマートフォンやパソコンの中には、小学生六年生からのあたしの裸とあたしとあの人との行為がものすごくたくさん入っている。最初の頃は泣いていた。でも涙ももう枯れてしまった。窒息しそうになる。怖い。でも怖いと思うと立っていられない。姉がいた。最初は姉だった。でも姉は高校に入学してしばらくしたら姿を消した。そうしてあたしの番が来た。それだけのことだ。姉は今どうしているのだろう。分からない。家の中にはあの人がいてあの人の妻がいて、あの人の妻はかつては母という名だったような気がするけれど、まるで出来の悪いAIロボットのようにそこにいるだけだ。

 あの人は学校に行き、校長を殴った。教育がなっていないと。あたしは笑いそうになる。どの口が「教育が」などと言うのだろう。昨日あたしを舐めたその口で。あの人は先輩もあの派手な化粧の女の子も訴えると言った。動画も写真もあの女の子が拡散したからだ。先輩のスマートフォンから情報を抜き取って。

 でもあたしはこういうことも知っている。

 あの人はあたしと先輩との動画を入手してそれを見ていることを。

 ネットに上げられた動画や写真は永久に消えない。そんなことは誰だって知っている。あの人は学校側が削除させましたと言った動画と写真を探し出して、自分のパソコンに落としたのだ。それを見て興奮してあたしの服を脱がす。だけど訴えると言う。

 先輩の煙草のにおいが懐かしかった。

 性急なそのやり方も。先輩自身の寂しさを紛らわすようなその手つきも。でももう先輩とは、あんなふうには二度と会えないのだろう。

 先輩と肌と肌を密着させていると、先輩の寂しさや悲しみがあたしの中に入り込んで来た。先輩の心の中にも、あたしに似た嵐があるような気がした。先輩があたしに惹かれたのは同じものを感じたからだろう。先輩が、あの派手な化粧の女の子に惹かれるのは自分と正反対のものを持っているからだろう。

 まるで、晴れた空のような。

 そんなものがかつてあたしの中にも存在したとは思えない。

 あたしは同級生をいつでも眩しく見つめる。太陽と青空があって、きらきらしているから。

 先輩の煙草のにおいがしたような気がした。

 






                 了

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小夜嵐の中で目を閉じ耳を塞いで生きてきた。 西しまこ @nishi-shima

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