第十話:不合理で、幸福な三角形

 卒業式。


 それは教育という名のシステムにおいて、個体が次のフェーズへと移行するための形式的な出力儀礼だ。  


 校庭に舞う桜の花びらさえも、僕にとっては気流の乱れを示す可視化されたノイズに過ぎない……はずだった。


「燈君、卒業おめでとう! はい、これ、私からのプレゼント」


 右側から、春の陽光をそのまま形にしたような笑顔が突き刺さる。  


 永遠が僕に手渡したのは、僕が好んで使っている文房具の特注品だった。彼女は僕が「物への愛着」を非合理的だと断じていることを知りながら、それでも僕がそれを拒めないことを確信して微笑んでいる。


「九重。……次は、私の番よ」


 左側から、静寂を纏った気高い声が僕を捉える。  


 栞は、僕の卒業証書を当然のように自分の脇に抱え、僕の左腕を自らの腰に引き寄せた。


「あなたの進学先の履修科目、そして通学経路の最適化は既に終わっているわ。……あなたは明日からも、私の視界から外れることは許されない」


 栞の言葉には、もはや「提案」の余地など微塵もない。それは確定した未来に対する無慈悲な宣言であり、僕という存在を永遠に繋ぎ止めるための、静かなる誓いでもあった。


 左右からの、逃げ場のない熱量。  


 僕はため息を一つ吐き、自らの論理的な敗北を、改めて噛み締める。    


 と、その時。  


 校門の近くで、見慣れた、けれど以前とは劇的に異なる「空気」を纏った男を見つけた。


「……佐藤、か」


「よう、九重。……何だよ、相変わらずだな、お前は」


 そこには、かつて僕に向かって「爆ぜろ」と呪詛を吐き続けていた佐藤が立っていた。  

 だが、今の彼に以前のような殺気はない。それどころか、その隣には、以前、僕の知らないところで永遠と栞によって「整理」されていた、あの後輩の女子生徒が寄り添っていた。


「先輩、あんまり九重先輩を睨んじゃダメですよ? 今日の佐藤先輩、すごくかっこよかったんですから」


 後輩の女子生徒が、佐藤の腕を恥ずかしそうに掴む。佐藤は鼻の下を伸ばしながら、「へへ、そうか?」と相好を崩していた。


「……佐藤。その後輩との関係性は、どのような論理的帰結によるものだ?」


 僕が問うと、佐藤は一瞬だけ、鋭い目つきを僕に向けた。


「論理だの何だの、うるせえよ。……俺はな、お前を見てて悟ったんだ。お前みたいな『選ばれすぎた地獄』にいる奴を妬んでも、時間の無駄だってな。俺は俺で、手が届く範囲の幸せを大事にすることにしたんだよ」


 佐藤は後輩の頭を乱暴に、けれど優しく撫でると、僕に向かって不敵に笑った。


「じゃあな、九重。……お前はそのまま、その二人の『完璧な楽園』に一生飼い殺されてろ! もう爆ぜろなんて言わねえ。お前はもう、爆発する自由すらねえんだからな!」


 佐藤と後輩が、幸せそうに連れ立って歩いていく。  

 周囲のノイズから切り離され、小さな「普通」の幸せを掴んだ彼らの後ろ姿は、僕の目には驚くほどシンプルで、効率的に見えた。


「燈君、佐藤君も幸せそうだねぇ。……私たちも、負けてられないね」


 永遠が僕の右腕に、より一層深く、自らの存在を刻み込むように密着してきた。


「ええ。……九重。他人の自由を羨む必要はないわ。あなたは、私たちが用意したこの不変の三角形の中で、最も安定した安寧を享受すればいい」


 栞が僕の耳元で、甘く、けれど拒絶を許さない強固な声で囁く。


 僕は悟った。  


 佐藤は「自由」を選び、僕は「管理」を選んだ。  


 どちらが生存戦略として正しいのか、今の僕にはまだ計算できない。    


 けれど、右から伝わる永遠の柔らかな執着と、左から僕を縛る栞の気高い確信。  


 この二つの引力に挟まれて歩く日々が、僕にとって、どんな高度な数式よりも美しい「解」であることは認めざるを得ない。


 桜吹雪の中、僕たちは三人並んで歩き出す。    


 僕の論理は、完膚なきまでに敗北した。  


 けれど、その敗北の果てに見つけたこの「不合理な幸福」を、僕はもはや手放すつもりはなかった。


「……わかった。君たちの引力に従おう。……ただし、明日の朝食のメニューについては、少しだけ議論の余地を残してくれ」


「ふふ、いいよ! 燈君が一番好きなもの、私が作ってあげる」


「献立の調整は私が。……九重、あなたは黙って味わえばいいのよ」


 二人の声が、僕の左右から心地よく響く。    


 僕たちの三角形は、明日からも、その次の明日からも。  


 完璧に調律されたまま、不変の日常を刻み続けていく。

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僕の論理は、二人の愛に勝てない 淡綴(あわつづり) @muniyu

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