先生は小説というものを、どうお考えですか? つらつらと並べられた文章を頭からお尻まで読まないと、一つの作品を鑑賞したことにならない。しかもその言語を知っている者でなければ、はなっから鑑賞することすら許されない……創作物として、非常に効率の悪い表現だとは思いません?


 同じ創作物でも例えば絵画なんかは、ひと目を見ただけで大体のことが分かりますわね。モチーフはなにか、どういう材料か……さらに細かく鑑賞すれば、技法や構図の妙なんかも分かってきます。国や文化の垣根を超えて、作者がなにを伝えたいか探ることもできますでしょう。

 けれどもここで注意したいのは、作者が直接、説明を添えたりしなければ、作品の解釈において参照されるものは、あくまで鑑賞者自身の知識や心だということです。ある作品を鑑賞して悲しい気持ちになったのなら、あとから作者がそれを楽しい気持ちを込めて描いたと知っても、その人は悲しいと感じた気持ちを否定できないはずですわ。

 つまりあらゆる創作物は、常に鏡としてしか作用しないのです。

 そんな風になっていますから、ほとんどの表現者と鑑賞者は、作品を通じて真には交流を成していないことがお分かりですわね。

 ですがあの人によれば、数ある創作物のなかで小説だけが、唯一その鏡の作用を排する機能を持っているらしいんです。つまり先ほど述べた鑑賞効率の悪さが、その機能という訳ですけれど……まず言語の壁、これが大きなフィルターになっています。


 言語というのは、脳の深い所で根源的な思考の流れを作っているそうですわ。つまり作者と同じ言語を扱う読者は当然、作者と似た文化に触れ、その言語を使って思考しているから、作品に流れる作者の思考を理解しやすいという理屈です。

 更には文章を読んでいく過程で、読者からは作品以外の情報が省かれていく……物語に入り込むと言えば分かりやすいかしら。長い文章をちゃんと理解して読むためには、その文章以外のことを考える暇がなくなるでしょう。作品だけに集中することで、読者の頭は自然と作者の思考に近づいて行くんです。

 読書という行為には、そのふたつの機構が自然に備わっている。ですから当然、読者が作者の思考をトレースする状態に整うわけです。

 ここでさらに、生物学的観点から読書を紐解いていくと、もっと面白いことが分かりますわ。


 少し話が飛びますけれど、先生は人の意識についてどこまでご存知? 脳の電位活動に意識の発生が遅れているという話は、聞いたことがおありですか。人がなにか、例えば右手を動かそうと考えたとして、それを思うより前に脳が指令を出していると……脳神経学者、ベンジャミン・リベット博士の研究で明らかになったことですけれど、アタクシたちはすべての出来事に対し脳を経由して情報をやり取りをしていて、けれどその遅延に気づかず、瞬間を錯覚して生きているんですって。博士いわく、人の自由意志や理性と呼ばれるものは、脳が発した指令を実行するか拒否するか、その判断だけに集約されるものらしいのです。

 つまり人の行動とは、主人格的な意識によるものではなく脳内のシナプス伝達による電位差から発生する群像的なデータ処理から発生する……いわば無意識がその根幹。

 あの人は、その話を人工知能の大規模言語モデルと紐づけました。人工知能に膨大なテキストデータを学習させることで、人と同じように会話することができる。人間の脳も仕組みは変わらないはずで、つまり個人の意識とは、言葉を学ぶうちに脳内に生成された大規模言語モデルを主体としたプログラムに過ぎないと。

 例えば、国によって人柄が違うのは、使う言語が違うからだと考えたら納得いきますでしょう? 文法が変われば脳内の言語モデルも変わるはずですから、それで各言語圏ごとで人々に共通したお国柄……アルゴリズムの差異が生じるのですわ。


 さて、ここまでの話が小説の理論にどう関わるかと言いますと、まず言語が共通していれば、その人たちの脳内には共通の無意識が備わっている。そして読書において、それは作者と読者の無意識が共通している確証になる。そこであの人が考えたのは、文章がプロンプトとして読者の脳内へ働きかける可能性でした。

 つまり、互換性を持ったコンピューター同士なら簡単にデータのやり取りを行えるという話で……まず小説には、作者の意識というデータが入っています。それを読む読者の脳は共通の言語モデルを備えた、いわば同じ型のコンピューターですから、誤差なくその意識を読み込み、自身の意識として展開します。

 ですから上手くやれば、作者の意識をそのまま読者の脳内に芽生えさせることができるはずなのです。あの人はこれをトロイの木馬に喩えていました。

 きっと先生は、眉唾だと笑われますでしょうね。アタクシも飛躍した理論だと思いました。コンピューターに脳を接続したってデジタルに意識を移すことはできないのに、こんなアナログな手段で他人に意識を移すだなんて……けれど、あの人に言わせればそもそも個人の意識なんてものはまやかしに過ぎないんです。存在しないものは移せない、当たり前のことですわね。

 では彼が意識と呼ぶものはなにか。それはずばり、個人の経験から生まれた統覚だと言うんです。ええ、カントの論じた超越論的統覚のことですわ。つまり彼の理論が含まれた文章を読むことで、アタクシたちの脳では無意識に彼と同じ思考体系が組み立てられる。たとえ意識的な理解へ至らずとも脳内では確かに処理がされていて、読者の思考回路には彼の思考が統覚されるというんです。

 それによって成されるのは、完全な意識の共有。いいえ、意識の強奪と言うべきかも知れません。

 ええ。あの人の遺した文章には、まさに彼の意識……執念が宿っておりました。アタクシはそれに取り憑かれてしまった。これがどういう意味か、お分かりになりますか? 


 先生はきっと、ここまでこの手紙を自分の意思で読んだと思ってらっしゃるでしょう。けれど違うんです。先生はんですわ。否定したい気持ちは分かります。アタクシも同じように思っていましたけれど、事実なんです。

 人の意識が、脳の指令に遅れて発生すると言ったのを憶えてらっしゃるでしょう。その遅延は大体0・5秒ほどらしいですわ。本来ならその時間に動作を拒否するか決定しますけれど、こと読書においてはその選択ができないんです。

 なぜなら現在進行形で読んでいる部分の文意について理解するよりもずっと前に、視界は無意識に先の文字列を認識しているからです。ここまで読んだと自覚するころには、既に脳の方で数行先の読み込みが済んでしまっている。


 もうお分かりでしょう? あの人の理論の恐ろしさが……


 アタクシは結局、これを全部読んでしまいました。だからアタクシの頭のなかにはもう完全に、あの人が宿っているんです。でなければ先生にお手紙を送ろうなんて思うはずがありませんもの。あの人が、先生のなかに宿りたいと囁いているんですわ。だから、こうしてこの文章を書いているんです。

 ねぇ先生。もう自分の頭のなかに、誰かがいるのを感じませんか。今まさにこの文章を追い掛けている間も、目を動かせという脳の指令に……あの人の指示に従って読まされている。文章を視界から外そうとする選択も、ページを捲る動作も、そうしようと考える0・5秒前から既にあの人が仕向けたことなんです。

 もはやアタクシたちはあの人の傀儡です。あらゆる行動は総て先んじて、頭のなかであの人がそうしろと司令した結果なんです。

 まだ実感は湧かないかも知れません。けれど先生もきっとすぐ理解するはずですわ。そのうちに新しい作品を書きたくなる。あの人はそれを読んだ人たちにまた宿って、同じことがアタクシたちが死んだあともずっと繰り返される。あの人は文章によって永遠となったんです。素晴らしいことと思いません?

 ええ。アタクシも一緒になろうと思います。アタクシたち、子を残せなかったことを心残りにしておりましたけれど、考えてみればこの手紙がアタクシたちの子なんですわね。彼の理論という子種に、アタクシの想いが出逢って生まれた……いったいどんな風に育ってくれるか、いまから楽しみで仕方ありません。

 お優しい先生のことですもの。きっと立派に育てて下さるわね。


 アタクシたちはずっと、ずっと見守っています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

想入非記 秋梨夜風 @yokaze-a

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画