“ あの人から連絡があったのは、アタクシがようやく仕事に慣れた頃でした。自分は研究室の後輩に当たる者だが、貴女の作品を読んで感銘を受けたと……卒業記念に同期と作った文芸誌が、資料棚に残っていたんです。

 アタクシったら単純で嬉しくなってね。耳障りな蝉の音が、祝福の歓声のように聞こえたのを覚えていますわ。すぐお返事を出して、文通を始めました。似た分野を研究していることもあって、話題には事欠きませんでした。

 あの人も、先生のことを心底尊敬していましたのよ。どんな分野にも精通していて、なにを訊いても答えが返ってくる。なぜ先生が作家として大成しないのか不思議で仕方ないと……アタクシも同じに思っていました。

 えぇ。アタクシたちは気づいてなかったんです。知識を蓄えるのは得意でも、自分で新しいことを思いつく才能を持たない先生の苦しみに……先生はいつもお優しかったですから、その立場を利用して学生のアイデアを自分のモノにしようと企む悪党だとは、まったく思いもよらないことでした。


 半年ほど経って、アタクシたちは初めて顔を合わせることになりました。あの人が自分の小説を、是非読んで欲しいと言ったんです。先生に褒められたから、文学賞に出すつもりだと。アタクシ、ヒヤリとしましたわ。それで、あの人が自分の二の舞にならないよう厳しい意見を言うつもりで、読みましょうとお返事したんです。

 所詮は素人の書くものだから、粗を探せばなにか出る。それをすっかり指摘して、少しでも心構えをさせてやろうと思ったんです。

 神谷町の喫茶店で待ち合わせました。そしたら中学生みたいな童顔が向かいに座って、声変わりもしないような澄んだ声で喋り出したものですから……アタクシ笑ってしまいましたわ。手紙の印象とまるで違ったんですもの。少し世間話をして、それでようやく本人だと信じたくらいです。

 人って分かりませんわね。あんな無邪気なナリでいて、その文章の強烈なこと……先生も驚かれたでしょう。あぁどうかしら、先生も悪党の本性を隠してらっしゃったから、同じ穴の狢であの人の素質なんか、見抜いてらしたかも知れませんわね。ホホホ……。

 とにかく、心の臓を刺されたような衝撃でしたわ。センパイ風を吹かせていたのが恥ずかしくなって、恐縮して感想を伝えました。粗探しする余裕もなくって、きっと受賞する。間違いない。そう言ってしまいました。

 嫉妬せずに済んだのは、アタクシがもう文学をやらなくなったからか、才能に圧倒されたからか、どちらか分かりませんけれど。こういう人が受賞するんだと、そのときはかえって救われた気持ちでいました。

 あの人ははにかんで、そう言ってもらえて安心した。これは自分の最高傑作だから、きっと期待に応えると言いました。あのときの嬉しそうな顔、いまでも思い出しますわ……壇上でその笑顔を浮かべる、彼の華々しいデビューを何度も想像しましたもの。


 でも結局、候補にすら残らなかった。アタクシ焦りました。絶対に彼の才能を潰してはいけない。なんでもいいから、勇気づけなければと思いました。ええ。アタクシは彼の作品を読んで一瞬で虜に……ファンになっていたんです。

 思い切って家を訪ねたら、あの人、呑んだくれていました。自分は間違っていた、もう終わりだとめそめそ泣いているの。アタクシ必死になだめたんですけれど、終いには自分も泣き出してしまいましたわ。彼に同じ挫折を味わせてしまった。あのとき素直に褒めず、無理にでも難癖をつけてやればよかった、そう後悔しました。

 あの人はしばらく、なにもできなくなったんです。アタクシはずっと寄り添って、毎晩のようにお出掛けに誘いましたわ。恵比寿の屋台や、墨田川の花火なんかも観に行きました。彼の気が紛れるように、なるべく楽しく過ごしたんです。

 アタクシたちはそのうちねんごろになりました。あの人が大学を出てからも、アタクシは彼が小説に向き合えるように支えました。パトロンとまではいきませんけれど……彼もそれに応えるように執筆を続けてくれました。掌編を書いて、小さな賞に出すんです。佳作を取るだけでも、アタクシは正解したような幸せな気分になれました。

 穏やかな、幸せな日々でした。先生が例の文学賞を受賞なさるまでは。


 その日、彼は嬉しそうに、雑誌に載った先生の写真を見せてきたんです。

 間抜けなアタクシたちはお祝いする気持ちで先生の受賞作を読みました。ええ。ついぞそのときまで、ふたりとも先生を恩師だと思っていたんです。バカなことに。

 読み終わってアタクシ、口が聞けなくなりました。紛れもない盗作だと確信しました。細かなところはもちろん変わっていましたけれど、かつてアタクシが作品の根底に敷いた理論や表現、そしてあの人の手法や独自の文学理念……審査員たちが気づかなくても、書いた本人には分かります。先生の作品は、ただの焼き直しでした。

 あの人は恨めしそうに、帯に書かれたコメントを睨みつけていました。「我々に文学の魂を取り戻した傑作」……非道い所業だと思いました。先生はアタクシたちの魂を拝借して、まるっきり自分の手柄にしてしまわれたのですから……”


 コーヒーがなくなったことに気づき、台所へ立つ。ケトルから立ち昇る湯気を眺めて、ぼんやりと考えた。

 難しい問題だ。アイデアに著作権はない。いくら最初に素晴らしい思いつきをしても、それが世に知られなければ意味はない。こと文学において、“発案者”としての栄誉は最初に話題となった作品に奪われる定めなのだ。

 きっと、先生に悪意はなかったはずだ。優秀な教え子から学び、真摯に執筆した結果、やっと評価される作品を書き上げた。寧ろ二人の無念を晴らしたくらいの気持ちだったかも知れない。だとすれば、なんともやるせないすれ違いではないか。


“アタクシ、どうやって先生に仕返ししてやろうかと考えましたわ。けれども、あの人は違いました。彼はひとこと“くだらない”と言っただけ。それからは触発されたように次々と新作を書いては、手当たり次第の公募に出し始めたんです。まるで、自分がホンモノだと示すように……アタクシも彼に倣って、過去に縋るのは辞めようと思い直しました。彼が作品を書き続けてくれることの方が、なにより大事でしたから。


 けれど、この世は残酷ですわね。間の悪いことに、すぐあの恐ろしい技術が現れました。人工知能……人の専売特許に思われた創作がまさか、真っ先に侵蝕されるだなんて誰が想像できたでしょう。

 絵や音楽に始まって、文学も取って代わられた。法が整備されたおかげで、いまでこそ創作者の立場が守られておりますけれど、当時は黎明期でしたから。


 あの人の荒れようといったら凄まじいものでした。誰にも盗まれない、唯一無二の表現が必要だと取り憑かれたようになって、そうして死の間際まで、書斎に籠って書き続けたんです……ええ。アタクシは彼が日々弱っていくのを知りながら、放っておきました。

 非情だと思われますか? でもね先生、アタクシは彼を信じていたんです。出逢ったときと同じ。アタクシは、あの人に夢を託したんですわ。

 先生の盗作すらお咎めのなかった文学界で、人工知能が模倣した作品を量産するようになって……他になにを信用できますか? 世間では、生き残れない作家はニセモノだなんて声も出ています。だから、アタクシたちは真っ向から戦うんです。模倣されない魂を、本当の唯一無二を作ると……あの人は、自分の人生を賭してそれを完成させてくれました。

 この手紙で先生にお伝えしたいことというのは、実はそれなんですの。先生は自分だけの、誰にも真似できない作品を書いてみたくはありません? ねぇ先生、気になるでしょう。あの人の理論があれば、それが書けるんですわ。

 アタクシ、あの人の書斎に遺されたものを片っ端から読みました。そうして彼の理論を完璧に理解して……きっと、これを世界が知らないままでいるのは、大きな損失だろうと思うんです。先生ほど有名な方に書いていただければ、間違いなく、埋もれずに済みますでしょう? 

 誤解なさって欲しくないのは、アタクシが先生の盗作を引き合いに出して、それを許すから書けと脅しているつもりではないということですわ。名義なんてどうでもいいんです。アタクシたちの魂が誰にも知られず消えてしまう方が、よっぽど報われない……だから、喜んで先生に教えて差し上げるんですわ。


 かわいい教え子の頼みですもの。先生、きっと書いて下さいますわね?”

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