第3話

入学から三日が経過した。


俺はこの短い期間で、既にクラス内で孤立した存在として定着していた。誰も俺に話しかけず、俺も誰にも話しかけない。完璧な悪役像を確立しつつある。


だが、それだけではない。夜な夜な資料室に忍び込み、魔王軍に関する記録を読み漁っている。この世界の歴史、戦争の記録、魔法の理論。すべてを頭に叩き込む。


原作知識だけでは不十分だ。ゲームでは描かれなかった細部まで把握する必要がある。


そして今日、学園で最初の大きなイベントが起こる。


「では、今年の学園祭実行委員を決めたいと思います」


ホームルームで、マリア先生が切り出した。学園祭は二ヶ月後に開催される、王立学園最大の行事だ。


「実行委員長には、各クラスから一名ずつ推薦されます。Aクラスからは――」


マリア先生が教室を見回す。生徒たちがざわつく。


「エリーゼ・レグナント様を推薦します」


即座に声が上がったのは、エドワードだった。周囲の貴族たちが賛同するように頷く。


「私も賛成です」


「エリーゼ様なら、素晴らしい学園祭になるでしょう」


次々と賛成の声が上がる。だが、それは本心からではない。王女に取り入るための、打算的な推薦だ。


エリーゼは困ったような表情を浮かべている。


「私は――」


「待ってください」


突然、別の声が響いた。ユリウスだ。


彼は立ち上がり、周囲を見回す。


「確かにエリーゼ様は素晴らしい方ですが、実行委員長は大変な役職です。ご本人の意思を確認せずに推薦するのは、失礼ではないでしょうか」


正論だった。だが、貴族たちの顔色が変わる。


「平民の分際で、何を言っている」


エドワードが鋭い声で言う。


「エリーゼ様が実行委員長をお務めになるのは当然だろう。王女なのだから」


「ですが――」


「お前に発言権はない。黙っていろ」


ユリウスが言葉を詰まらせる。周囲の貴族たちも、彼を睨みつける。


この光景、原作で見たことがある。ここでエリーゼは、建前上ユリウスに感謝しつつも、実行委員長を引き受ける。そして、貴族派と平民派の板挟みになり、苦しむことになる。


だが――


「待て」


俺が口を開く。教室中の視線が俺に集まる。


「ヴァンハイム様?」


エドワードが怪訝そうな顔をする。


俺は立ち上がり、エリーゼを見る。彼女も、困惑したように俺を見返す。


「王女だからといって、特別扱いされると思うな」


冷たく言い放つ。教室が静まり返る。


「この学園では、実力で評価されるはずだ。身分で役職を決めるなど、愚かしい」


「ヴァンハイム様、何を……」


エドワードが抗議しようとするが、俺は続ける。


「エリーゼ・レグナント。お前は、実行委員長をやりたいのか? 自分の意思で答えろ」


エリーゼは驚いたように目を見開く。周囲の貴族たちも、俺の発言に唖然としている。


王女に対して、なんという無礼な物言いだろう。だが、これが俺の役目だ。


「私は……」


エリーゼが口を開きかけたが、言葉が続かない。


「答えられないなら、推薦を取り下げろ。本人の意思のない推薦など、無意味だ」


「ヴァンハイム様、いい加減に……!」


エドワードが怒りの声を上げる。だが、エリーゼが手を上げて制した。


「待って、エドワード様」


彼女は深呼吸をして、俺を見つめる。その目には、驚きと――何か別の感情が混じっていた。


「アレクシス・ヴァンハイム様の仰る通りです。私の意思を確認せずに推薦されることは、確かに不本意でした」


教室がざわつく。


「ですので、今回の推薦はお断りさせていただきます」


「エリーゼ様!」


貴族たちが驚きの声を上げる。だが、エリーゼは毅然とした態度を崩さない。


「実行委員長は、本当にその役職を望む方が就くべきです。私は、別の形で学園祭に貢献したいと思います」


「し、しかし……」


「これは、私の意思です」


エリーゼの言葉に、誰も反論できなかった。


マリア先生が困ったように眉を寄せる。


「では、他に立候補される方は……?」


しばらく沈黙が続いた後、一人の生徒が手を上げる。


ユリウスだった。


「僕が、立候補します」


「お前が!?」


エドワードが嘲笑するように言う。


「平民のお前が、実行委員長だと? 笑わせるな」


「ですが、誰も立候補しないなら……」


「平民ごときに務まるわけがないだろう。身の程を知れ」


周囲の貴族たちも、同調して笑う。


ユリウスの表情が曇る。だが、彼は引かなかった。


「それでも、僕は立候補します」


その瞬間、俺は立ち上がった。


「いいだろう」


全員の視線が、再び俺に集まる。


「平民でも、実力があれば認められるのがこの学園だ。ブライト、お前がその実力を証明できれば、文句はない」


「ヴァンハイム様、何を言って……」


エドワードが抗議するが、俺は無視する。


「ただし」


俺はユリウスを見据える。


「失敗したら、二度と生意気な口を利くな。平民らしく、隅で大人しくしていろ」


ユリウスは唇を噛んだ。だが、その目には決意が宿っている。


「わかりました。必ず、成功させます」


「期待していないがな」


そう言い捨てて、席に座る。


内心では、計画通りだと思っている。原作でユリウスが実行委員長になるのは、もっと後のイベントだった。だが、今ここで彼にその機会を与えれば、より早く成長できる。


そして、エリーゼも――無理な役職を押し付けられることから解放された。


授業が終わり、昼休みになる。


俺は一人、屋上へ向かった。ここなら、誰にも邪魔されない。


屋上の端に座り、持参したパンを齧る。孤独な昼食だが、気にならない。元々、一人でいることには慣れている。


「失礼します」


突然、声がした。振り向くと、エリーゼが立っていた。


「……何の用だ」


警戒しながら問う。原作では、この時期にエリーゼと二人きりになる場面はなかった。予想外の展開だ。


「先ほどは、ありがとうございました」


エリーゼが深々と頭を下げる。


「何の話だ」


「実行委員長の件です。あなたのおかげで、断る口実ができました」


彼女は顔を上げ、微笑む。だが、その笑顔はどこか寂しげだった。


「礼を言われる筋合いはない。当たり前のことを言っただけだ」


「いいえ、当たり前ではありません」


エリーゼは俺の隣に座る。驚いて距離を取ろうとしたが、彼女は気にせず続ける。


「私は王女です。だから、いつも周囲の期待に応えなければならない。自分の意思よりも、立場を優先しなければならない」


彼女の声は、静かだった。


「ですが、あなたは私に『自分の意思』を問いました。立場ではなく、私個人の考えを」


「それが、何だ」


「嬉しかったんです。私を、一人の人間として見てくれたことが」


エリーゼは空を見上げる。青い空に、白い雲が流れている。


「王女として生まれてから、誰も私の本心を聞いてくれませんでした。みんな、私の立場しか見ない。私が何を考え、何を感じているかなんて、誰も興味がない」


俺は何も言えなかった。彼女の孤独が、痛いほど伝わってくる。


「だから、ありがとう。アレクシス・ヴァンハイム様」


「……勘違いするな」


俺は冷たく言い放つ。


「俺は、お前に親切心を持ったわけじゃない。ただ、貴族たちの茶番が気に入らなかっただけだ」


「それでも、嬉しかったんです」


エリーゼは微笑む。その笑顔は、さっきまでの社交的な笑みとは違う、本物の笑顔だった。


「もう行け。俺の邪魔をするな」


「はい。では、また」


エリーゼは立ち上がり、屋上を去っていく。その背中を見送りながら、俺は小さく溜息をついた。


まずい。彼女に好印象を持たれてしまった。


原作では、アレクシスはエリーゼに嫌われることで物語が進む。だが、このままでは――


いや、大丈夫だ。これから俺は、彼女にもっと冷酷な態度を取る。一時的な好印象など、すぐに消える。


そう自分に言い聞かせながら、パンを食べ続ける。


その日の放課後、俺は再び資料室に向かった。


薄暗い部屋の中、古い書物が整然と並んでいる。俺はその中から、魔王軍の記録を探す。


「魔王軍の侵攻は、原作では三年後に始まる」


小さく呟きながら、ページをめくる。


「だが、その兆候は既に現れているはずだ。国境付近での魔獣の出現率増加、謎の失踪事件……」


記録を読み進めると、確かにそれらしき報告が残っている。だが、まだ政府は深刻に受け止めていない。


「このままでは、原作通りになってしまう」


どうすれば、この国の戦力を強化できるか。どうすれば、ヒロインたちを守れるか。


頭を悩ませていると、背後で物音がした。


誰かいる。


振り向くと、暗闇の中に人影が見える。


「誰だ」


警戒しながら問う。人影が一歩前に出る。


月明かりに照らされたその顔は――リリアだった。


「ヴァンハイム様……?」


彼女は驚いたように俺を見つめる。


「なぜ、こんな場所に……」


「それは、こちらの台詞だ」


俺は素早く読んでいた書物を閉じる。魔王軍の記録を見ていたことは、隠さなければならない。


「私は、剣術の歴史について調べていて……」


リリアは本を手に持っている。確かに、剣術書だ。


「そうか。なら、邪魔はしない」


そう言って、資料室を出ようとする。だが、リリアが声をかけてきた。


「あの、ヴァンハイム様」


「何だ」


「今日、エリーゼ様を助けてくださって……ありがとうございました」


俺は立ち止まる。


「助けた覚えはない」


「いえ、あれは助けたんです。エリーゼ様、本当は実行委員長をやりたくなかったんだと思います」


リリアは真面目な表情で続ける。


「あなたは冷たいことを言いましたが、結果的にエリーゼ様を救いました。だから……」


「勘違いするな」


俺は冷たく遮る。


「俺は、誰も助けていない。ただ、貴族たちの偽善が気に入らなかっただけだ」


「でも――」


「お前のような甘い考えでは、騎士にはなれんぞ」


リリアの表情が強張る。


「騎士は、冷徹に現実を見なければならない。感情に流されていては、大切なものを守れない」


「私は……」


「お前の剣、見せてみろ」


突然の要求に、リリアは戸惑う。


「え?」


「腰に差している木剣だ。見せろと言っている」


リリアは恐る恐る木剣を抜き、俺に差し出す。


俺はそれを受け取り、刀身を確認する。使い込まれた跡があるが、手入れは行き届いている。


「毎日、素振りをしているな」


「は、はい……」


「だが、フォームに無駄がある。お前の剣は、力任せだ」


リリアの顔が紅潮する。


「そ、そんな……」


「認めたくないなら、一生そのままでいろ。どうせ、お前程度では騎士団には入れん」


木剣を突き返す。リリアは悔しそうに唇を噛む。


「私は、必ず騎士団に入ります」


「口だけなら、誰でも言える」


そう言い捨てて、俺は資料室を出る。


背後で、リリアが小さく呟く声が聞こえた。


「見ていてください……必ず、証明してみせます」


その決意に満ちた声を聞きながら、俺は廊下を歩く。


ごめんな、リリア。だが、これがお前を強くする。


原作で、リリアは自分の弱さに絶望して死を選んだ。それを防ぐためには、今のうちに彼女を鍛えなければならない。


厳しい言葉で、彼女の闘志を煽る。それが、俺にできる唯一の支援だ。


その夜、俺は自室で計画を練っていた。


ユリウスの成長プラン、エリーゼの政治的危機への対処、リリアの剣術強化、そしてまだ出会っていないカトレアへのアプローチ。


すべてを同時進行させなければならない。


「時間がない」


三年後には、魔王軍が侵攻してくる。それまでに、すべての準備を整えなければならない。


だが、確信がある。


この計画は、必ず成功する。


そして、誰も不幸にならない未来を――


窓の外を見ると、月が美しく輝いている。


「みんな、幸せになってくれ」


小さく呟き、俺は再び資料に目を落とす。


悪役として、孤独に戦い続ける。


それが、アレクシス・ヴァンハイムの使命だった。


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2026年1月12日 21:00
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悪役令息を完璧に演じきったら、ヒロイン全員が真相に気づいて病んでしまった件 〜俺はただ、お前たちの幸せな未来のために憎まれ役になっただけなのに〜 kuni @trainweek005050

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