第七章 仕入れルートの確立——エルフの森へ
領主の許可を得てから、二週間が経った。
店はさらに忙しくなっていた。村人だけでなく、近隣の村々から、さらには領都ウェルテンベルクからも、患者が訪れるようになった。
噂は広がっている。「安くて効く薬を売る、不思議な店がある」と。
しかし、健太の頭を悩ませているのは、在庫の問題だった。
「このままだと、あと一ヶ月で主要な薬が底をつく」
夜、事務所で在庫リストを見ながら、健太は呟いた。
エルフィナが、対面で資料を整理しながら答えた。
「異世界産の薬の開発は進んでいるが、まだ十分ではない。解熱剤と胃腸薬は代替品ができたが、鎮痛剤と抗炎症剤はまだだ」
「原材料が足りないのか?」
「そうだ。必要な薬草のうち、いくつかは近隣では採取できない。特に——」
エルフィナは一枚の紙を健太に見せた。
「——この『月光草』という植物。強い鎮痛作用を持つが、エルフの森でしか自生していない」
「エルフの森……」
健太は地図を広げた。
エルフの森は、村から北に三日ほどの場所にある。エルフィナが追放された、彼女の故郷だ。
「行けるか?」
「行くこと自体は可能だ。しかし——」
エルフィナの表情が曇った。
「——私は追放された身だ。森に入れば、捕えられる可能性がある」
「それでも、行く価値はある?」
「ある」
エルフィナは迷いなく答えた。
「月光草だけではない。エルフの森には、他にも貴重な薬草が多数自生している。安定した仕入れルートを確保できれば、生産能力は大幅に向上する」
健太は考え込んだ。
リスクは高い。しかし、このまま在庫が尽きれば、患者を救えなくなる。
「行こう」
健太は決断した。
「俺とリーネで行く。エルフィナは——」
「私も行く」
エルフィナが割って入った。
「危険だと言っただろう」
「だからこそ、だ。私がいなければ、森の中を案内できる者がいない。それに——」
彼女は窓の外を見た。
「——百年以上、避けてきた。いつまでも逃げ続けるわけにはいかない」
健太は、エルフィナの横顔を見つめた。
そこには、覚悟があった。
「……分かった。三人で行こう」
翌日。
三人は村を出発した。
店は、村長と数人の村人に任せた。簡単な症状なら対応できるよう、マニュアルを作成しておいた。
「何かあったら、無理せず『また来てください』と言ってください。俺たちが戻るまで、一週間ほどかかります」
「分かりました。道中、お気をつけて」
村人たちに見送られ、三人は北へ向かった。
旅は順調に進んだ。
街道沿いには宿場町がいくつかあり、そこで食事と宿を取ることができた。
しかし、街道を離れ、森に近づくにつれて、空気が変わってきた。
「瘴気が濃くなっている」
二日目の夕方、エルフィナが言った。
確かに、空気に何か——重苦しいものが混じっている。健太は胸の奥に、微かな圧迫感を覚えた。
「これは、森から漏れ出している瘴気だ。五年前までは、こんなことはなかった」
「瘴気病の原因と関係があるのか?」
「おそらく。瘴気は、何かの——」
エルフィナは言葉を切った。
前方に、人影が見える。
「止まれ!」
鋭い声が響いた。
木々の間から、数人のエルフが現れた。弓を構え、矢を三人に向けている。
「何者だ。人間が、この森に何の用がある」
リーダー格らしいエルフが、冷たい声で問うた。銀色の髪に、透き通るような青い目。しかし、その表情は厳しい。
健太が口を開こうとした瞬間、エルフィナが前に出た。
「私だ。エルフィナ・シルヴァーリーフ。追放された者が、故郷に戻ってきた」
エルフたちの間に、動揺が走った。
「エルフィナ……お前は——」
「追放の掟を破っている。分かっている。しかし、伝えなければならないことがある。長老に会わせてくれ」
「馬鹿な! お前は異端者だ。森に入る資格など——」
「瘴気のことだ」
エルフィナの声が、森に響いた。
「森を蝕んでいる瘴気。その原因を、私は突き止めつつある。長老たちにも、知る権利がある」
エルフたちは、顔を見合わせた。
しばらく沈黙が続いた。
やがて、リーダー格のエルフが弓を下ろした。
「……付いてこい。ただし、人間には目隠しをする」
「なぜ?」
リーネが問うた。
「森の奥への道は、部外者に教えられない。それが掟だ」
健太とリーネは、黙って目隠しを受け入れた。
どれくらい歩いただろうか。
足元の感触が何度も変わり、空気の質も変わった。最初は湿った土の匂いだったが、やがて甘い花の香りが混じり、そして——清涼な、澄んだ空気に変わった。
「着いた。目隠しを外していい」
布が取り払われると、健太は息を呑んだ。
そこは——別世界だった。
巨大な樹木が、天を衝くようにそびえている。その幹には、無数の灯りが輝いている。よく見ると、それは家——エルフたちの住居だった。木の中をくり抜いて作られた、有機的な建造物。
空中には橋が渡され、エルフたちがその上を行き交っている。
足元には、苔むした石畳。その間を、小さな川が流れている。水は透き通って、底の小石が見える。
「これが……エルフの里か」
健太は呟いた。
「美しい……」
リーネも、呆然とした様子で周囲を見回している。
「こちらだ」
案内のエルフに促され、三人は里の中心へ向かった。
長老会は、最も大きな樹の中にあった。
螺旋状の階段を上り、広間に入ると、十人ほどの老エルフが半円形に座っていた。
中央に座る老エルフが、エルフィナを見つめた。
「エルフィナ・シルヴァーリーフ。百年ぶりだな」
「はい。ライハルト長老」
「追放の掟を破って戻ってきた理由は?」
「瘴気です」
エルフィナは、一歩前に出た。
「森に広がる瘴気。その原因を、私は突き止めつつあります」
老エルフたちの間に、ざわめきが走った。
「突き止めつつある、だと?」
「はい。瘴気は——自然発生ではありません。何者かが、意図的に発生させている」
「証拠は」
「まだ、確証はありません。しかし、瘴気病の患者を分析した結果、共通のパターンが見つかりました。血液の組成が変化し、特定の魔力反応が検出される。これは自然の病気ではなく——」
「魔法によるものだと?」
「はい。何らかの呪術、あるいは古代の魔法が関与している可能性があります」
長老たちは、互いに顔を見合わせた。
しばらく沈黙が続いた。
やがて、ライハルト長老が口を開いた。
「……エルフィナ。お前が追放された理由を覚えているか」
「覚えています。魔法を否定し、魔力を使わない薬学を研究したからです」
「そうだ。しかし——」
長老の目が、鋭くなった。
「——今、お前は『魔法が関与している』と言った。矛盾しているのではないか」
エルフィナは、首を横に振った。
「矛盾していません。私は、魔法を否定したことはない。魔法だけに頼ることを、危険だと主張しただけです」
「同じことではないか」
「違います。魔法には、魔法にしかできないことがある。しかし、魔法以外の方法でできることもある。両方を使い分けることで、より多くの問題に対処できる——それが私の主張でした」
長老は、黙って聞いている。
「瘴気病は、魔法が関与している。だからこそ、魔法だけでは対処できない。魔法と、魔法以外の方法を組み合わせなければ——」
「分かった」
長老が、手を上げて遮った。
「お前の主張は理解した。しかし、それは今日の問題ではない」
「では、何が——」
「お前が連れてきた人間だ」
長老の視線が、健太とリーネに向けられた。
「彼らは何者だ。なぜ、エルフの里に連れてきた」
健太は、一歩前に出た。
「失礼いたします。私は薬師寺健太と申します。エルフィナ殿と共に、薬の研究を行っている者です」
「人間が、エルフの薬学に関わるだと?」
「私の国では、魔法を使わない薬学が発達しています。その知識と、エルフィナ殿の薬草学を組み合わせれば、新しい薬を作ることができます」
長老たちの間に、ざわめきが広がった。
「魔法を使わない薬学……そのようなものが、本当に存在するのか」
「存在します。実際に、私はそれを用いて、多くの患者を治療してきました。領主閣下にも認められ、営業許可を得ています」
健太は、懐から書状を取り出した。
「これが、その許可証です」
長老の一人が書状を受け取り、内容を確認した。
「……本物のようだ。ヘンリック伯爵の印がある」
「私たちがここに来た目的は、薬草の仕入れです。特に、月光草を必要としています」
「月光草だと?」
「はい。強い鎮痛作用を持つ植物だと聞いています。それを用いれば、より効果的な鎮痛剤を作ることができます」
長老たちは、再び顔を見合わせた。
ライハルト長老が、深いため息をついた。
「……月光草は、我らの聖域に自生している。部外者に採取させることはできない」
「では、交易という形ではいかがでしょうか。私たちが必要な量を伝え、エルフの方々に採取していただく。対価として、私たちの薬を提供する」
「お前たちの薬?」
「はい。瘴気病に効く可能性がある薬を、開発中です。完成すれば、この森の瘴気を抑えることもできるかもしれません」
長老たちの表情が、わずかに変わった。
瘴気。それは、エルフたちにとっても深刻な問題なのだろう。
「……しばし、協議する。お前たちは、外で待て」
広間を出て、待合室のような場所で待つこと一時間。
やがて、呼び出しがかかった。
再び広間に入ると、長老たちの表情が少し柔らかくなっていた。
「協議の結果を伝える」
ライハルト長老が言った。
「月光草の交易は、条件付きで許可する」
「条件、とは?」
「エルフィナ・シルヴァーリーフ。お前を、我らの代表として任命する。交易の窓口として、また——」
長老は一度言葉を切った。
「——瘴気病の研究者として、里への出入りを許可する」
エルフィナの目が、見開かれた。
「それは……追放が解除されるということですか」
「完全な解除ではない。しかし、瘴気の問題が解決するまで、お前の行動を制限しないことにする。これは——」
長老の目に、複雑な感情が浮かんだ。
「——我らの過ちを認めることでもある。お前を追放したことで、我らは貴重な視点を失った。その結果、瘴気に対処できなかった」
「長老……」
「礼は要らん。成果で示せ。瘴気病を解明し、森を救え。それがお前の——お前たちの務めだ」
エルフィナは、深々と頭を下げた。
「……分かりました。必ず、成果を出します」
健太とリーネも、それに続いて一礼した。
帰路。
三人は、大量の月光草と、その他の薬草を携えて森を出た。
エルフィナの足取りは、来るときよりも軽かった。
「百年以上、ずっと——」
彼女は、振り返って森を見た。
「——ずっと、認められることはないと思っていた。私の考えは異端で、誰にも理解されないと」
「理解されたんだ」
健太が言った。
「長老たちも、認めた。君のやり方が必要だと」
「ああ。だから——」
エルフィナは、健太とリーネを見た。
「——これからも、よろしく頼む。私は、お前たちの仲間だ」
リーネが、嬉しそうに頷いた。
「はい。私たちも、よろしくお願いします」
健太は、二人の笑顔を見ながら思った。
——仲間が増えた。仕入れルートも確保できた。
次のステップは、生産能力の向上だ。そして——販路の拡大。
やることは山ほどある。しかし、一つずつ進んでいる。
「帰ろう。店が待っている」
三人は、村への道を歩き始めた。
異世界の夕陽が、彼らの背中を照らしていた。
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