第六章 領主の館——プレゼンテーションの技術

召喚状が届いたのは、朝のことだった。


 健太が店を開ける準備をしていると、馬に乗った使者が現れた。鎧を纏い、胸には紋章を描いた旗を掲げている。


「薬師寺健太殿か」


 使者は馬上から見下ろすように言った。


「ヘンリック伯爵閣下より、召喚状をお届けする。三日以内に領主の館へ出頭せよ」


 そう言って、羊皮紙に蝋印を押した書状を投げてよこした。


 健太はそれを受け取り、内容を確認した。リーネが横から覗き込む。


「これは……」


「ああ。ついに来たな」


 健太は予想していた。店の噂が広がれば、いずれ領主の耳に届く。そして、領主が動けば——製薬ギルドも動く。


「店長さん。どうしますか?」


「行くしかないだろう」


 健太は書状を畳んで、ポケットにしまった。


「逃げても何も解決しない。正面から交渉する」


 三日後。


 健太、リーネ、エルフィナの三人は、領主の館へ向かった。


 村から馬車で半日の距離。街道を進むにつれ、風景が変わっていく。貧しい村々から、次第に豊かな農地へ。やがて、石造りの城壁が見えてきた。


「あれが、領都ウェルテンベルクです」


 リーネが説明した。


「ヘンリック伯爵の居城がある街。人口は一万人ほど。この地方では最大の都市です」


 健太は城壁を見上げながら、考えを巡らせた。


 ——一万人。俺の世界の感覚だと、小さな町だ。でも、この世界では大都市なんだろう。


 城門を通過し、街に入る。石畳の道。木骨造りの家々。市場の喧騒。通りを行き交う人々。


 活気がある。村とは違う、都市の空気。


 しかし、よく見ると——。


「咳をしている人が多いな」


 健太は呟いた。


 確かに、道を歩く人々の中に、咳き込んでいる者が目立つ。顔色が悪い者もいる。


「瘴気病の影響でしょうか」


 エルフィナが言った。


「この規模の都市なら、患者数も相当でしょう」


 ——この街にも、薬が必要だ。


 その思いを胸に、健太は領主の館へ向かった。


 領主の館は、街の中心にある小さな城だった。


 城というより、邸宅に近い。石造りの三階建て。正面には大きな紋章が掲げられている。


 門番に書状を見せると、すぐに中へ通された。


 廊下を歩きながら、リーネが小声で言った。


「店長さん。気をつけてください。ヘンリック伯爵は、製薬ギルドとの繋がりが深い方です」


「知ってる。だから、ここに呼ばれたんだろう」


「はい。おそらく、ギルドからの圧力を受けて——」


 リーネの言葉は、扉が開く音に遮られた。


「お待たせしました。どうぞ、こちらへ」


 案内役の執事が、大広間へと導いた。


 大広間には、すでに数人の人物が待っていた。


 正面の椅子に座っているのが、領主だろう。五十代くらいの男性。髪は白く、顔には深い皺が刻まれている。しかし、その目は鋭い。


 領主の横には、豪華な服を着た太った男がいた。金の鎖を首からかけ、指には宝石の指輪を光らせている。その態度は傲慢で、健太たちを見下すような視線を送ってきた。


 ——あいつが、製薬ギルドの人間だな。


 健太は直感した。


 他にも、数人の役人らしき人物がいる。彼らは好奇心と警戒が入り混じった表情で、健太たちを見ている。


「薬師寺健太と申します。本日はお召しいただき、光栄です」


 健太は深く頭を下げた。リーネとエルフィナも、それに続いた。


 領主——ヘンリック伯爵は、椅子から立ち上がった。


「面を上げよ」


 その声は、威厳があった。


「薬師寺とやら。お前のことは、多くの報告を受けている。村で、魔法を使わずに病を治す店を開いているそうだな」


「はい。そのようなことをしております」


「製薬ギルドの認可は受けているのか」


 隣の太った男が、待ってましたとばかりに口を挟んだ。


「閣下。この者は無認可で営業しております。ギルドへの届け出もなく、勝手に薬を売っている。明らかな違法行為です」


 健太は、太った男に目を向けた。


「失礼ですが、どちら様でしょうか」


「私は、グスタフ・ブルーメ。この地方における製薬ギルドの代表である」


 ギルド代表か。予想通りだった。


「ブルーメ殿。お話は分かりました。しかし、私は『薬を売っている』のではありません」


「何?」


「私がしているのは、健康相談と、それに基づく商品の提供です。魔法薬ではなく、一般的な物品を——」


「詭弁だ!」


 ブルーメが声を荒げた。


「どのような言い逃れをしようと、お前の行為はギルドの権益を侵害している。病人に対して何かを施し、対価を受け取っているのだろう? それは薬の販売に他ならない!」


 健太は、冷静に答えた。


「対価については、受け取る場合と受け取らない場合があります。相手の経済状況に応じて——」


「ふざけるな! 無料で薬を配るなど、市場を破壊する行為だ!」


 ブルーメの顔が紅潮している。


 領主が、手を上げて静止を求めた。


「ブルーメ殿、落ち着かれよ」


「しかし、閣下——」


「話を聞かぬうちから結論を出すのは早計というものだ」


 領主は健太に視線を戻した。


「薬師寺。お前の行為が違法かどうかは、後で判断する。まず、お前が何をしているのか、詳しく説明せよ」


 健太は一礼した。


「ありがとうございます。では、ご説明いたします」


 健太は、準備してきた説明を始めた。


 自分が別の世界から来たこと——これは省略した。信じてもらえないだろうし、余計な混乱を招くだけだ。


 代わりに、「遠い東の国から旅してきた薬師」という設定で話を進めた。


「私の故郷では、『魔法を使わない薬学』が発達しています。植物や鉱物の成分を抽出し、それを用いて病を治療します」


「魔法を使わない薬学? そのようなものがあるのか」


 領主が興味深そうに問うた。


「はい。魔法とは異なるアプローチですが、一定の効果があります。特に、軽度の症状——発熱、頭痛、胃腸の不調などに対しては、十分な効果を発揮します」


「しかし、魔法薬の方が優れているのではないか」


「効果の面では、そうかもしれません」


 健太は正直に認めた。


「魔法薬は、重篤な病気や怪我に対して、強力な効果を発揮します。それは、私の方法では到底及びません」


 ブルーメが、得意げな顔をした。


「それ見たことか。結局、素人の真似事ではないか」


「しかし——」


 健太は、言葉を続けた。


「——魔法薬には、大きな問題があります」


「問題だと?」


「価格です」


 その一言で、部屋の空気が変わった。


「魔法薬は高価です。庶民には、とても手が届きません。軽い風邪を引いただけで、一週間分の稼ぎを薬代に払わなければならない。そうなると、多くの人は薬を買うことを諦め、症状が悪化するまで我慢する」


「それは——」


 ブルーメが何か言おうとしたが、健太は構わず続けた。


「症状が悪化すれば、より高価な治療が必要になる。あるいは、命を落とす。私が村で見てきたのは、そういう現実です」


 領主の表情が、少し変わった。


「続けよ」


「私の方法は、魔法薬ほど強力ではありません。しかし、安価です。庶民でも手が届く。軽い症状のうちに対処すれば、重症化を防げる。結果として、救える命が増える」


「つまり、お前の薬は、魔法薬の代替ではなく——」


「補完です」


 健太は頷いた。


「重症の患者には、魔法薬が必要です。しかし、軽症の患者には、私の薬で十分な場合が多い。両方があれば、より多くの人を救えます」


 部屋に沈黙が落ちた。


 ブルーメは不満げな顔をしているが、反論の言葉を見つけられないようだった。


 領主が、顎に手を当てて考え込んでいる。


「……なるほど。一理ある」


「閣下!」


 ブルーメが声を上げた。


「この者の言葉を信じてはなりません。彼の『薬』なるものが、本当に効果があるかどうか——」


「では、実演しよう」


 健太が割って入った。


「私の薬が効くかどうか、今ここで証明します」


 その提案に、部屋の全員が驚いた。


「実演だと?」


「はい。もし、この場に体調が悪い方がいらっしゃれば、私が対応します。効果がなければ、私の負けです。大人しくギルドの処分を受けましょう」


 領主は、しばし考え込んだ。


 やがて、彼は執事を呼んだ。


「……マルティン。夫人を呼べ」


「閣下?」


「いいから、呼べ」


 数分後、一人の女性が大広間に現れた。


 四十代くらいだろうか。優雅な立ち居振る舞いだが、顔色が悪い。額を押さえながら、辛そうに歩いている。


「お呼びですか、旦那様」


「ああ。エリザベート、こちらに来なさい」


 夫人——エリザベートは、健太たちを見て眉をひそめた。


「この者たちは?」


「村で薬屋を開いている者だ。お前の頭痛を診てもらえ」


「頭痛を……?」


 エリザベートは困惑した顔をしたが、夫の命令には逆らえないようだった。


 健太は一歩前に出て、夫人に頭を下げた。


「失礼いたします。私は薬師寺健太と申します。差し支えなければ、症状をお聞かせいただけますか」


 問診を行った。


 エリザベート夫人は、慢性的な頭痛に悩まされているという。特に、朝起きたときと、夕方以降に痛みがひどくなる。光がまぶしく感じることもある。吐き気を伴うこともある。


 健太は症状を聞きながら、診断を組み立てていった。


 ——偏頭痛の可能性が高い。あるいは、緊張型頭痛との混合か。


「いつ頃から、この症状がありますか?」


「もう……十年以上になります。魔法薬を飲めば一時的に収まりますが、すぐにまた痛み出して——」


 夫人の声には、疲労が滲んでいた。


 十年以上。長い苦しみだ。


 健太は鞄から薬を取り出した。


「これは、私の国で使われている鎮痛剤です。頭痛に効果があります」


「……本当に?」


「試してみてください。効果がなければ、それまでです」


 夫人は、不安げに薬を見つめた。


 白い錠剤。彼女にとっては、見たこともないものだろう。


「信用できないわ。何が入っているかも分からないのに——」


「奥様」


 リーネが口を開いた。


「私も、最初は半信半疑でした。でも、この薬は本当に効きます。私自身、何度も使って確認しています」


「あなたは?」


「リーネ・フォン・ハイルブルクと申します。元は——」


 リーネは言いよどんだ。


「——元は、宮廷薬師の見習いでした」


 夫人の目が、わずかに動いた。


「ハイルブルク? 西部のハイルブルク家の——」


「はい。没落しましたが」


 夫人はしばらく考え込んだ。


 やがて、小さく頷いた。


「……分かりました。試してみます」


 健太から錠剤を受け取り、水で飲み込んだ。


 待つこと三十分。


 部屋は沈黙に包まれていた。


 ブルーメは苛立たしげに足を組み替えている。領主は無表情で座っている。リーネとエルフィナは、緊張した面持ちで夫人を見守っている。


 そして、夫人は——。


「……あら」


 彼女の表情が、少し変わった。


「どうされましたか?」


 健太が尋ねた。


「……痛みが、引いてきている気がします」


 夫人は、驚いたように額を押さえた。


「本当に……? こんなに早く……?」


「薬の効果が出るまで、通常三十分から一時間かかります。今はまだ途中です。もう少し経てば、さらに楽になるはずです」


 一時間後。


 夫人の顔色は、明らかに良くなっていた。


 表情が柔らかくなり、声にも張りが戻っている。


「旦那様。本当に、頭痛がなくなりました……」


「まことか」


「はい。こんなに楽になったのは、何年ぶりか分かりません……」


 領主は、複雑な表情で健太を見た。


「……薬師寺とやら」


「はい」


「この薬は、魔法薬より効くのか?」


「効き方が違います。魔法薬は即効性がありますが、持続時間が短い場合があります。私の薬は、効くまでに時間がかかりますが、効果は数時間持続します」


「ふむ……」


 領主は考え込んだ。


 ブルーメが、焦った様子で口を挟んだ。


「閣下! たまたま効いたように見えただけです。継続的な効果は保証されません。そもそも、この者の薬が安全かどうか——」


「ブルーメ殿」


 領主の声が、冷たくなった。


「私の妻は、十年以上苦しんできた。どのギルドの魔法薬を試しても、完全には治らなかった。それが、今——」


「それは——」


「私は、見たままを信じる。この者の薬は、効いた」


 領主は立ち上がり、健太の前に歩いてきた。


「薬師寺。お前の営業を、条件付きで許可する」


「条件、とは?」


「お前の店で扱う『薬』は、魔法薬とは別のものとして扱う。ギルドの管轄外とする。ただし——」


 領主の目が、鋭くなった。


「——問題が起きたら、即座に閉店だ。一人でも死者が出れば、お前の命で償ってもらう。それでいいな?」


 健太は、一瞬考えた。


 厳しい条件だ。しかし、これ以上は望めないだろう。


「分かりました。その条件を受け入れます」


「よろしい」


 領主は手を差し出した。


 健太はその手を握り、契約が成立した。


 館を出て、街に戻る途中。


 リーネが、ほっとした様子で言った。


「よかった……営業許可が下りて」


「ああ。でも、これからが本当の戦いだ」


 健太は街を見回した。


 咳をしている人。顔色の悪い人。病気を抱えながら、日々を生きている人々。


「この街の人たちにも、薬が必要だ。村だけじゃ足りない」


「店を増やす、ということですか?」


「いずれはな。でも、まずは——」


 健太は足を止めた。


 街の一角に、小さな空き地があった。通りに面した、立地の良い場所。


「——まずは、準備だ。在庫を増やし、人を育て、仕組みを整える。そうしなければ、拡大しても回らない」


 エルフィナが頷いた。


「同感だ。今の生産能力では、需要に追いつかない。製造工程の効率化が必要だ」


「リーネ。君には、もっと多くのことを覚えてもらう必要がある。一人前の登録販売者として——いや、将来は人を教える立場として」


「私が……人を教える?」


「そうだ。俺一人では、とても回らない。仲間を増やすしかない」


 健太は、空を見上げた。


 異世界の青い空。白い雲。


 ——まだ、始まったばかりだ。


「帰ろう。やることは山ほどある」


 三人は、村への道を歩き始めた。


 転生薬局、第二章の幕開け。


 商圏拡大への第一歩が、今、踏み出された。

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