第五章 開店宣言——ドラッグストアは今日も営業中
一ヶ月が過ぎた。
村の様子は、目に見えて変わっていた。
かつて疲弊していた村人たちの顔に、活気が戻り始めている。病気で寝込んでいた者たちが、畑に出るようになった。子供たちの笑い声が、村に響くようになった。
健太の店——村人たちは「癒しの館」と呼び始めていた——は、村の中心的存在になっていた。
毎日、朝から晩まで患者が訪れる。リーネが対応できる症例は彼女が担当し、健太は複雑な症例や相談に集中するようになった。
しかし、課題も山積していた。
「在庫の減りが、予想以上に早い」
その夜、健太は事務所で在庫リストを見つめながら、深刻な顔をしていた。
「特に解熱剤と消毒液。このペースだと、あと二ヶ月で底をつく」
リーネが、心配そうに尋ねた。
「代替品の開発は、進んでいますか?」
「いくつかの薬草で試作はしている。でも、まだ十分な効果が確認できていない」
健太は頭を抱えた。
異世界の薬草を使って、現代医薬品に近いものを作る。言うのは簡単だが、実際にはハードルが高かった。
まず、薬草の効能を一つひとつ確認する必要がある。次に、それを適切な形——錠剤なり、液体なり——に加工する技術が必要だ。さらに、品質を安定させ、安全性を確保しなければならない。
健太一人の知識では、限界があった。
「誰か、薬草に詳しい人が必要だ……」
その呟きに、リーネが反応した。
「薬草に詳しい人、ですか」
「ああ。この世界の植物について、深い知識を持っている人。それも、できれば——」
健太は言葉を探した。
「——魔法に頼らない方法で、薬を作ることに興味がある人がいい」
「そういう人は……」
リーネは考え込んだ。
「この世界では、薬草学は魔法の一分野として扱われています。魔力を使わない薬学は、邪道とされています。そういう研究をしている人は——」
「いないか」
「いえ。一人だけ、心当たりがあります」
健太は顔を上げた。
「誰だ?」
「エルフの森に住む、追放された学者です」
翌日、健太とリーネは、村を出発した。
目指すは、北に三日ほど歩いた場所にあるという「エルフの森」。
リーネによると、エルフは長命で知られる種族であり、薬草学や植物魔法に秀でているという。しかし、閉鎖的な社会を形成しており、外部の者との接触を嫌う傾向がある。
「その追放された学者というのは?」
歩きながら、健太は尋ねた。
「名前は、エルフィナ・シルヴァーリーフ。かつてはエルフの森でも指折りの薬草学者でしたが——」
リーネは言いよどんだ。
「——禁忌の研究を行ったとして、追放されたそうです」
「禁忌の研究?」
「魔力を使わない薬学です。エルフにとって、魔法は神聖なものです。それを否定するような研究は、許されません」
健太は、皮肉に思った。
自分が求めているのは、まさにその「禁忌の研究」だ。魔法を使わない薬学。それが、この世界では異端とされる。
「彼女が協力してくれるかどうかは、分からない」
リーネが付け加えた。
「追放されてから百年以上、森の外れで一人で暮らしているそうです。人間嫌いで、近づく者は追い返すと聞いています」
「百年以上……」
エルフの寿命の長さを、改めて実感させられる。
「まあ、とりあえず行ってみよう。話をしてみなければ、何も始まらない」
三日後。
二人は、エルフの森の入口にたどり着いた。
「森」とは言うものの、その規模は健太の想像を超えていた。地平線まで続く緑の海。木々は天を衝くほど高く、その間を無数の蔦や花が覆っている。
空気が違う。
澄んでいて、甘い。何か——植物の精気のようなものが、肌に染み込んでくる感覚。
「すごいな……」
健太は思わず呟いた。
「これが、エルフの森です。彼らは、千年以上かけてこの森を育ててきたと言われています」
リーネが説明した。
しかし、美しさの中に、不穏なものも感じられた。
森の奥から、かすかに——紫色の靄が漂ってきている。
「あれは……」
「瘴気です」
リーネの声が、緊張を帯びた。
「森にも、瘴気が広がっているんですね……」
健太は唇を引き結んだ。
瘴気病は、村だけの問題ではない。この世界全体を蝕んでいる。
「エルフィナさんの住処は、どこだ?」
「森の外れ、北西の方角にある小屋だと聞いています」
「行こう」
二人は、森の中に足を踏み入れた。
半日ほど歩いた頃、小さな小屋が見えてきた。
木と石で作られた質素な建物。周囲には、整然と並んだ植物の畑がある。薬草だろうか。
小屋の前に立つと、中から声がした。
「誰だ」
低い、しかし澄んだ女性の声。
「近づくな。用があるなら、そこで話せ」
健太は声の方に向かって言った。
「エルフィナ・シルヴァーリーフさんですか?」
「……私を知っているのか」
「話を聞いてもらいたいことがあります。少しだけ、時間をいただけませんか」
しばらく沈黙があった。
やがて、小屋の扉がゆっくりと開いた。
中から出てきたのは——。
外見は二十代後半に見える女性だった。銀色の髪を長く伸ばし、透き通るような白い肌。尖った耳が、彼女がエルフであることを示している。
しかし、その目には、深い疲労と——警戒の色が浮かんでいた。
「人間か」
エルフィナは、健太とリーネを観察するように見つめた。
「何の用だ。薬草を売りつけに来たのなら、帰れ。私は——」
「売りに来たんじゃありません」
健太は、真っ直ぐにエルフィナを見つめた。
「教えを請いに来ました」
エルフィナの目が、微かに動いた。
「教え?」
「俺は、魔法を使わずに薬を作る方法を知っています。でも、この世界の植物については、何も知らない。あなたの知識が必要です」
「魔法を使わずに……」
エルフィナの表情が、わずかに変わった。
「お前は、何者だ」
「薬屋です。ただの薬屋」
「嘘をつくな。人間の薬屋が、魔法を使わない薬学など——」
「俺は、この世界の人間じゃない」
健太は、正直に言った。
「別の世界から来た。どうやって来たのかは分からない。でも、俺の世界には、魔法は存在しない。俺たちは、魔法なしで病気と戦ってきた」
エルフィナは、じっと健太を見つめた。
長い沈黙があった。
やがて、彼女はため息をついた。
「……中に入れ」
小屋の中は、薬草の匂いで満たされていた。
壁一面に、乾燥させた植物や、瓶に入った液体が並んでいる。作業台には、すり鉢や計量器具、様々な道具が置かれていた。
「座れ」
エルフィナは椅子を勧め、自分も向かいに座った。
「話を聞こう」
健太は、これまでのことを話した。
転生のこと。店舗のこと。村人たちの治療のこと。瘴気病のこと。
エルフィナは、黙って聞いていた。
話が終わると、彼女は腕を組んで考え込んだ。
「……にわかには信じられん話だ。しかし——」
彼女は棚から一つの瓶を取り出した。
「——この症状に、お前の世界の薬は効くのか?」
瓶の中には、赤紫色の液体が入っていた。
「これは?」
「瘴気病の患者から採取した血液だ。見ての通り、変色している」
健太は瓶を受け取り、じっと観察した。
確かに、正常な血液の色ではない。赤というより、紫に近い。
「分析……したいな」
「分析?」
「この血液に何が起きているのか、調べたい。顕微鏡があれば——いや、この世界にはないか」
健太は考え込んだ。
店舗には、簡易的な検査キットがいくつかある。しかし、本格的な分析は難しい。
「とりあえず、一つ試していいか?」
「何を?」
健太は、鞄から小さな試験紙を取り出した。
「これは、pHを測る紙だ。酸性かアルカリ性かが分かる」
エルフィナが、興味深そうに見つめる中、健太は試験紙を血液に浸した。
紙の色が変わる。
「……酸性に傾いている」
「何を意味する?」
「正常な血液は、わずかにアルカリ性だ。それが酸性に傾いているということは——何らかの代謝異常が起きている可能性がある」
エルフィナの目が、輝いた。
「魔力ではなく、物質として分析する……それが、お前の世界の方法か」
「ああ。俺たちは、病気を『物質の異常』として捉える。何かが多すぎるか、少なすぎるか、あるいは本来ないはずのものが存在しているか」
「興味深い」
エルフィナは、初めて笑みを浮かべた。
「私も、同じような考えを持っていた。だから、追放された」
「そうか」
「エルフの世界では、病気は『魔力の乱れ』として扱われる。魔力を整えれば治る、と。しかし私は——」
彼女は窓の外を見た。瘴気が漂う森が見える。
「——私は、それだけでは説明できないものがあると思った。特に、瘴気病は。魔力で治せない病気がある。それを言ったら、異端として追放された」
「百年以上、一人で?」
「ああ。一人で研究を続けた。しかし、限界があった。サンプルが足りない。実験の機会が少ない。そして何より——」
エルフィナは、健太を見つめた。
「——同じ考えを持つ仲間が、いなかった」
健太は、静かに言った。
「俺たちと、組まないか」
「組む?」
「あなたの薬草の知識と、俺の製薬の知識を合わせれば、新しい薬が作れるかもしれない。瘴気病に効く薬も、開発できるかもしれない」
エルフィナは、しばらく黙っていた。
やがて、彼女は立ち上がり、健太に手を差し出した。
「エルフィナ・シルヴァーリーフだ。よろしく頼む」
健太は、その手を握った。
「薬師寺健太です。こちらこそ」
三日後、エルフィナは荷物をまとめて、健太たちと共に村へ向かった。
彼女の知識と技術は、まさに健太が求めていたものだった。
薬草の効能。採取の時期と方法。保存と加工の技術。そして、何より——魔法に頼らない、物質としての薬学への深い理解。
「この草は、解熱作用がある。煮出して飲めば、熱を下げることができる」
「抽出した成分を濃縮すれば、もっと効果的になるかもしれない」
「試してみよう」
エルフィナとの共同研究は、驚くほど順調に進んだ。
一週間後——異世界産の解熱剤の試作品が、完成した。
村に戻った日。
健太は、村人たちを集めて宣言した。
「今日から、この店を正式に開きます」
村人たちが、ざわめいた。
「今までも開いていたじゃないか」
「何が変わるんだ?」
健太は、静かに答えた。
「今までは、俺の世界から持ってきた薬を使っていた。でも、それはいつか尽きる。だから——」
健太は、手に持った小さな瓶を掲げた。
「——この世界の材料で、薬を作る方法を見つけた。これからは、ずっとこの店を続けられる」
リーネとエルフィナが、健太の横に立った。
「私たち三人で、皆さんの健康を守ります」
リーネが言った。
「瘴気病の研究も進めている。いつか必ず、治療法を見つける」
エルフィナが付け加えた。
村人たちの顔に、安堵と希望の色が浮かんだ。
村長が、前に出てきた。
「薬師寺殿。この村を代表して、感謝を申し上げる。あなたが来てから、村は変わった。病気で苦しむ者が減り、皆に笑顔が戻った」
「まだまだ、これからです」
健太は謙遜した。
「でも、約束します。この店は、ずっと続けます。皆さんが健康でいられるように——」
健太は、空を見上げた。
異世界の青い空。白い雲。遠くに見える二つの月。
「——転生薬局は、今日も営業中です」
その言葉に、村人たちから歓声が上がった。
こうして、健太の店は、正式に「開店」した。
しかし、彼らはまだ知らなかった。
この噂が、やがて領主の耳に届き——そして、もっと大きな力との対立を招くことになることを。
物語は、まだ始まったばかりだった。
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