第四章 リーネ——追放令嬢と登録販売者
一週間が過ぎた。
店舗の前には、毎日行列ができるようになっていた。
近隣の村々だけでなく、遠方から歩いてくる者もいる。噂は確実に広がっていた。
健太は毎日、朝から晩まで患者を診続けた。リーネはその横に立ち、健太の一挙手一投足を観察し、メモを取り、質問をした。
その日の夕方。最後の患者が帰った後、健太はリーネを売場に呼んだ。
「そろそろ、次の段階に進もうか」
「次の段階、ですか?」
「ああ。君を、正式に『登録販売者』として育成したい」
リーネの目が、見開かれた。
「登録販売者……それは、あなたの国の薬師のような——」
「似ているが、少し違う」
健太は医薬品コーナーに歩いていき、棚を指差した。
「俺の国では、薬には等級がある。第一類、第二類、第三類。効果が強く、副作用のリスクが高いものほど、上の等級になる」
「なるほど」
「第一類は、一番上の資格を持つ薬剤師しか扱えない。でも、第二類と第三類は、登録販売者の資格があれば販売できる。俺は、登録販売者だ」
「つまり、あなたの国では、薬を売るために資格が必要なのですね」
「そうだ。それは、客を守るためだ。間違った薬を売れば、人が死ぬこともある。だから、一定の知識を持った者だけが、薬を扱うことを許される」
リーネは真剣な表情で頷いた。
「この世界でも、同じことが言えます。魔法薬を調合できるのは、魔法使いか、ギルドに認められた薬師だけです。無資格者が薬を売れば、厳しく罰せられます」
「だろうな。だから——」
健太はリーネに向き直った。
「——君にも、それ相応の知識と技術を身につけてもらう。俺がいなくても、患者に適切な薬を選び、正しい使い方を説明できるように」
リーネの顔に、緊張と覚悟が混じった表情が浮かんだ。
「分かりました。何でも教えてください」
それから、健太はリーネに対する本格的な教育を始めた。
毎朝、開店前の一時間を使って、講義を行った。
「まず、人体の基本から始めよう」
健太は、店舗にあった健康関連の書籍を引っ張り出した。図解付きの人体解剖図。症状別の対処法ガイド。家庭の医学事典。
「この世界と俺の世界で、人の身体の構造が同じかどうかは分からない。でも、症状を聞く限り、基本的なところは似ているように思える」
「はい。この世界でも、心臓、肺、胃、腸といった臓器があります。それぞれの役割も、店長さんの説明と一致しています」
「よし。じゃあ、基本は同じと仮定して進めよう」
健太は図解を指差しながら、説明を続けた。
消化器系の仕組み。呼吸器系の構造。循環器系と血液の流れ。免疫システムの概要。
リーネは、一言も聞き漏らすまいと、必死にメモを取った。
「店長さん。質問があります」
「何だ?」
「この『免疫』というものは、この世界の言葉で言う『生命力』に近いでしょうか?」
「うーん……似ているかもしれない。病気に対する身体の抵抗力、という意味では」
「なるほど。この世界では、生命力が強い人は病気になりにくいと言われています。瘴気病も、生命力が弱った人から発症すると……」
「そうか。それは重要な情報だ」
健太はメモを取った。
こうした対話の中で、異世界の医学と現代医学の「翻訳」が少しずつ進んでいった。
午後は、実地訓練だった。
患者が来ると、健太はまずリーネに問診をさせた。
「症状を聞き出すときは、まず相手を安心させること。緊張していると、正確な情報が得られない」
「はい」
「それから、『いつから』『どこが』『どのように』という三つを必ず聞く。これが基本だ」
リーネは、最初は緊張していた。しかし、経験を積むにつれて、次第に滑らかに問診できるようになっていった。
「三日前から、お腹が痛むのですね。痛みは、どのあたりですか? みぞおち、へその周り、それとも下腹部?」
「ここです……ここが、ずっと張っている感じで……」
「食欲はありますか? 吐き気は? 便通はいかがですか?」
患者の答えを聞きながら、リーネはメモを取り、健太に報告した。
「店長さん。この方は、便秘と軽い消化不良のようです。腹部の張りと、食欲不振があります。発熱はありません」
「分かった。何を使うべきだと思う?」
「えっと……消化を助ける薬と、便を柔らかくする薬……でしょうか」
「正解だ」
健太が頷くと、リーネの顔がぱっと明るくなった。
「じゃあ、その薬を選んで、使い方を説明してみて」
「はい!」
リーネは棚から薬を選び、患者に説明を始めた。
「これは、食後に一錠ずつ飲んでください。水をたくさん飲むと、効果が高まります。それから、脂っこい食事は控えて、野菜を多めに……」
健太は、その様子を見守った。
——筋がいい。
リーネには、人の話を聞く才能があった。患者の不安を和らげ、信頼を得る能力。それは、薬の知識以上に重要なものだ。
夜。店舗の照明を落とした後、健太とリーネは事務所で振り返りを行った。
「今日は、二十三人の患者を診たな」
「はい。そのうち、私が問診を担当したのは十二人です」
「症状の傾向は?」
「発熱と咳が五人。消化器系の不調が四人。外傷が二人。原因不明の倦怠感が一人です」
「原因不明の倦怠感か……瘴気病の可能性は?」
「発疹はありませんでした。でも、念のため、明日も来てもらうように伝えました」
「よくやった」
健太は頷いた。
リーネは、一週間前とは見違えるほど成長していた。最初はおどおどしていた彼女が、今では自信を持って患者と向き合っている。
「店長さん」
「ん?」
「私、思うんです」
リーネは、窓の外を見つめた。外は真っ暗だ。二つの月が、淡く光っている。
「宮廷薬師になれなかったとき、私は全てを失ったと思いました。生きる意味すら、分からなくなりました」
「……」
「でも、今は——」
彼女は健太を振り返った。
その目には、かつてなかった輝きがあった。
「——今は、やりたいことがあります。学びたいことがあります。私は、この仕事が好きです」
健太は、微笑んだ。
「俺もだ」
「え?」
「前の世界では、仕事が辛かった。毎日、疲弊して、何のために働いているか分からなくなっていた。でも、ここに来て——」
健太は天井を見上げた。
「——ここに来て、やっと分かった気がする。俺が本当にやりたかったのは、これだったんだって」
「これ?」
「人を助けること。困っている人に、手を差し伸べること。それ自体が、目的だったんだ。売上とか、ノルマとか、そういうものじゃなくて——」
健太は言葉を切り、苦笑した。
「——まあ、偉そうなことは言えないけどな。俺だって、まだ手探りだし」
「いいえ」
リーネは首を横に振った。
「店長さんは、私の恩人です。私に、生きる意味をくれました。それだけで——」
彼女の声が、少し震えた。
「——それだけで、私は十分です」
二週間が過ぎた。
リーネの成長は、目覚ましかった。
基本的な症状の見極めはほぼ完璧にこなせるようになり、薬の選定も大きなミスなくできるようになった。接客態度も柔らかく、患者たちからの評判は上々だった。
「そろそろ、試験をしようか」
ある朝、健太はそう切り出した。
「試験、ですか?」
「ああ。俺の国では、登録販売者になるには試験に合格する必要がある。君にも、同じような試験を受けてもらおうと思う」
リーネの顔が、緊張で強張った。
「どのような試験ですか?」
「三つのパートがある。一つ目は、筆記試験。薬の知識と、人体の仕組みについて」
「はい」
「二つ目は、実技試験。模擬患者に対して、問診から薬の選定、説明までを行う」
「はい」
「三つ目は——」
健太は少し間を置いた。
「——倫理試験だ」
「倫理……ですか」
「薬を扱う者には、高い倫理観が求められる。知識だけあっても、それを正しく使えなければ意味がない。どんな状況でも、患者の利益を第一に考えられるかどうか。それを見る」
リーネは、真剣な顔で頷いた。
「分かりました。いつ、試験を受ければいいですか?」
「三日後だ。それまでに、復習しておいてくれ」
三日後。
試験の日が来た。
筆記試験は、健太が手書きで作成した問題用紙を使って行われた。薬の効能、副作用、禁忌事項。症状から推測される疾患。基本的な解剖学の知識。
リーネは一時間かけて問題を解き、答案を提出した。
健太が採点した結果——正答率は八十五パーセント。合格ラインは七十パーセントだったから、余裕で突破だった。
「すごいな。よく勉強した」
「ありがとうございます。でも、まだ間違えたところがあるので、復習します」
「その姿勢がいい」
次は実技試験だった。
健太が「模擬患者」を演じ、リーネが対応した。
「三日前から、頭がガンガン痛むんです。特に、朝起きたときがひどくて……」
「分かりました。その痛みは、こめかみのあたりですか? それとも、後頭部ですか?」
「こめかみです。脈打つような感じで……」
「吐き気や、光がまぶしく感じることはありますか?」
「ありますね。明るいところにいると、余計に痛くなる」
「肩や首の凝りはいかがですか?」
「ある……かもしれません」
リーネは、問診を終えると判断を述べた。
「片頭痛の可能性が高いと思います。頻度と程度によりますが、まずは鎮痛剤で様子を見て、改善しなければ根本的な原因を探る必要があります。また、肩凝りが誘因になっている可能性もあるので、姿勢の改善や軽い運動も勧めます」
「よし。合格だ」
健太が頷くと、リーネの顔に安堵の色が浮かんだ。
最後は、倫理試験だった。
「では、状況を説明する」
健太は腕を組んで、リーネに向き合った。
「ある患者が来た。彼は、強い痛み止めを大量に欲しいと言っている。理由を聞くと、『自分で使う』と言うだけで、詳しくは答えない。様子がおかしい。もしかしたら、自分を傷つけるために使おうとしているのかもしれない」
「……」
「君なら、どうする?」
リーネは、しばらく黙って考えた。
やがて、口を開いた。
「売りません」
「理由は?」
「患者を助けるための薬で、患者を傷つけることは許されません。たとえ本人が望んでいても——いいえ、本人が望んでいるからこそ、止める責任があります」
「相手が怒ったら? 『客の言うことを聞け』と言われたら?」
「それでも、売りません」
リーネの声は、震えていなかった。
「私は、お金のために薬を売るのではありません。人を助けるために、ここにいます。それを忘れたら——私は、薬師である資格がありません」
健太は、しばらくリーネを見つめていた。
それから、静かに言った。
「合格だ」
リーネの目に、涙が浮かんだ。
「本当ですか……」
「ああ。君は今日から、この店の『登録販売者』だ」
健太は棚から、一つの物を取り出した。
店員用のエプロン。緑色の、シンプルなデザイン。
「これを着けてくれ」
リーネは、震える手でエプロンを受け取った。
それを胸に抱きしめ、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。私——私、頑張ります。店長さんに恥じないように——」
「恥じる必要なんかない」
健太は、リーネの肩に手を置いた。
「君は、もう立派な仲間だ」
その日の午後。
リーネはエプロンを着けて、初めて「正式な店員」として売場に立った。
患者たちは、彼女の姿を見て驚いた。
「あの令嬢が、働いているのか」
「へえ、薬を売れるようになったんだな」
リーネは、堂々と対応した。
「いらっしゃいませ。本日は、どのようなご用件でしょうか」
その姿を見ながら、健太は内心で思った。
——これで、一人じゃなくなった。
もし自分に何かあっても、リーネがいる。彼女なら、この店を守れる。患者たちの健康を、支え続けられる。
それは、大きな安心だった。
同時に、健太は次のステップを考え始めていた。
——一人では限界がある。二人でも、まだ足りない。
この世界で、ドラッグストアを広げていくには、もっと多くの仲間が必要だ。
リーネのような人材を、もっと見つけて、育てなければならない。
そのためには——。
「店長さん」
リーネの声が、健太の思考を遮った。
「次の患者さんです。どうやら、遠くから来たようで……」
「ああ、分かった」
健太は考えを中断し、患者のもとへ向かった。
しかし、胸の中では、種が蒔かれていた。
この店を、もっと大きくしたい。
もっと多くの人を、助けたい。
そのための第一歩を、今日踏み出した。
転生薬局、二週間目。
最初の「登録販売者」が、ここに誕生した。
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