第5話 はるこ
明日は長いのに、朱音が二時間と強く言うから付き合うことにした。朱音とカラオケに来るのは初めてだ。というか、カラオケ自体私は久しぶり過ぎて、今なにが流行っているのかとかよくわからない。何を歌ったら空気を壊さないか、考えるのが正直苦手だ。朱音は多分気にしてないけど、それでもちょっとびくびくしてしまう。
今の人で、流行ってる人と思って、カネコアヤノを歌ってみたけど、朱音は知らなかった。カネコアヤノが通じなかったら、もうお手上げだ。開き直って好きな曲を歌うことにした。どうせCHAIだって、ZAZENBOYSだって、チャットモンチーだって、きのこ帝国だって、羊文学だって知らないのだろう。KingGnuとVaundyは通じた。オトナブルーとanoちゃんも通じた。テレビに出てるかららしい。私はほとんどテレビを見ないので、そういうことを知らない。朱音が歌う曲も半分くらいは聞いたことあったけど、半分くらいは何を歌っているのかわからなかった。普通しってるよーと何度も言われたけど、朱音の持つ世界と、私の持つ世界は違うのだ。
なんだかんだ、朱音のおかげで盛り上がり、もう時間だから最後曲にしようといわれた。くるりの「東京」が歌いたいと思い、東京と検索したら、信じられない量の検索結果になってしまった。みんな東京に想うことが、いっぱいあるのだろう、いろんな東京があると思った。
私はお目当ての東京を見つけることができず。朱音に最後の曲を託した。でも朱音は、なんか検索してたじゃん、最後だから好きな曲歌いな、なんて曲? って聞いてくれて、くるりの「東京」って言ったら、すぐ検索してくれて、くるりの「東京」を入れてくれた。朱音はすごい。
「東京の街に出てきました~♪」
東京はキーが低いのだと、初めて知った。
『東京の街に出て来ました
あいかわらずわけの わからないことを言ってます
恥ずかしいこと ないように見えますか
駅でたまに昔の 君が懐かしくなります
雨に降られて 彼等は風邪をひきました
相変わらず僕はなんとか大丈夫です
よく休んだらきっと良くなるでしょう
今夜ちょっと君に電話しようと思った
君がいない事 君と上手く話せない事
君が素敵だった事 忘れてしまった事
話は変わって 今年の夏は暑くなさそう
あい変わらず 季節に敏感にいたい
早く急がなきゃ 飲み物を買いにゆく
ついでにちょっと 君また電話したくなった
君がいるかな 君と上手く話せるかな
まぁいいか でもすごくつらくなるんだろうな
君が素敵だった事 ちょっと思い出してみようかな
君がいるかな 君がいるかな
君がいるかな 君と上手く話せるかな
ララーラララララ ラララララ ラララララー』
カラオケの室内に、的外れなギターの再現音が響く。
東京に出て来たばかりの頃、この曲は地元に居る時に感じたのとは、違う意味を持つようになり、繰り返し聞いた。久しぶりに歌詞と直面してみると、こんなことを言っていたのかと思い出す。
私は地元に想い人を置いてきたわけではないけれど、地元の好きなところ、忘れてしまったこと、いつまでも忘れないないこと、懐かしく思うこと、東京に馴染めているかなと不安に思った日、いつの間にか東京の方が居心地がよくなっていると気づいた日、変わってゆく自分、変わってゆく知らない地元、ふとあの日に連絡を取りたくなるけど、電話を受けてくれる変わらない相手なんかどこにもおらず寂しくなること。
そんな郷愁の思いと、東京に感じる思いが交差して胸を刺す。
演奏停止ボタンを押さなかった朱音が、宙を見つめている。
「なんか、湿っぽくなっちゃったね…。」
沈黙に耐え切れず、私は言う。
「いい歌だね、なんかグサグサくる。」
「ねー…。この曲書いた人は、京都から上京してきてすぐ、この曲書いたんだよ。」
「そうなんだ…。ねぇチコちゃん! チコちゃんってよくライブ行くよね?」
「えっ? うん…。」
「ねぇ! チコちゃんの行ってるライブに、私も行ってみたい!」
「えっ? でも、全然わからなくて、つまんないと思うよ…?」
「そんなことないよ! 勉強するよ! チコちゃんの見てる世界を、私も知ってみたい!」
私が東京に居座っているのは、いろんなバンドのライブに、気軽に行けることも大きな理由の一つだった。私の地元では、ライブ一つにいくのにも、遠征しなければならず、大変だ。東京に出てきてからも、趣味の合う友達を探すより、一人で好きなライブに行くことだけを楽しんできた。だから、朱音の申し出に、正直びっくりしてしまった。
「えっ? ほんとに?」
「うん! うん! 絶対誘って? チコちゃんが定時ダッシュしてライブに行くの見てて、ちょっと寂しかったんだよね。」
「えっ? そうだったの?」
私の行動に、興味を持ってくれる人が居たなんて、驚いてしまった。
「じゃあ…。次の何かあったら誘うね?」
「うん!」
丁度、日比谷野音のMATSURISSIONのチケットの発売が始まっている。確か2枚まで申し込めたはずだ…。毎年恒例になっていて、野音の改修の話があり、去年が最後だと腹を括っていたのだが、改修の予定が伸び、今年も開催が発表されていたのだ。でも、初めて連れて行くのが向井で、本当に大丈夫だろうか…。私はまだ恐る恐るだった。でも、野音は私が一番好きなライブ会場でもある。私は勇気をもって聞いてみることにした。
「ひっ、日比谷野外音楽堂って知ってる?」
思わず声が裏返ってしまう。
「えっ? 知らない。」
朱音はそう答える。そりゃ知らないだろう。私は東京に出てきて、憧れていた野音に初めて行って、その地理関係に驚いた。あんな東京のど真ん中にある、ライブ会場だと知らなかったのだ。仕事終わりに、皇居の方まで散歩した時にも驚いた。あの芝生の広場まで、何かのライブの音漏れが響いていたこともあった。なんのバンドかはっきりと聞き取れなかったけれども、風向き次第で、こんなところまで音漏れしまうのだと驚いた。
「ひっ、日比谷公園の中にね…。野外音楽堂って、ライブ会場があるんだ…。」
「?」
朱音は話の続きを待っている。
「そこでねっ、毎年恒例のイベントがあるんだけど、一緒に行く?」
私は勇気を振り絞って聞いてみた。
「行く! 行く!」
朱音は勢いよく答える。
「えっ…。でも、全然知らない人だと思うよ?」
「大丈夫! 大丈夫! チコちゃん、その人たち好きなんでしょ?」
「えっ…。うん…。」
「チコちゃんが好きな音楽なら、きっといい音楽だよ!」
朱音は笑顔で答える。向井秀徳の曲なんて、今日のカラオケでも歌えなかったのに…。本当に大丈夫だろうか…。
「えっ、でも、眼鏡の変なおじさんだよ?」
「大丈夫! 大丈夫! 別に顔で歌うたうわけじゃなんだから♪」
朱音は楽しそうだった。行くと決めたら、きっと来るのだろう。一回連れて行ってみて、ダメだったらもう誘うのをやめたらいい。
「今、チケット発売してるから、取ってみる?」
私は、恐る恐る聞いてみた。
「うん! 行くー!」
朱音のノリは軽い。私は人を…、友達をライブに誘うのが初めてで緊張してしまう。
「…じゃあ、申し込んでみる?」
「うん!」
私は携帯を取り出し、マツリセッションと検索してみる。やっぱり今、抽選の申し込みの最中だった。
「…。こっ…。これなんだけど…。」
モノクロに加工されたの去年の野音の写真が、フライヤーになっている。
朱音が、私の携帯の画面を覗き込む。
「なんかかっこいいじゃん! 行く! 行く! いつ?」
「5月26日の日曜日」
「うん! 大丈夫! りょうかーい!」
朱音は携帯の予定表を出し、5月26日のタブに、「チコちゃんとライブ」と書き入れた。
「…っ。じゃっ…じゃあ、2枚申し込むよ?」
「今できるの? わーい!」
朱音のノリは、あいかわらず軽い。すごく軽い。
私は申し込み画面を開き、2枚とタブを合わせて、朱音の前で申し込みする。抽選の申し込みなのに、同時にクレジットカード決済完了のメール受信の通知が届く。
「…。でっできた…。」
「いくら? いくら?」
「8800円と、手数料…。」
「わかった!」
朱音はシャネルの財布を取り出すと、また一万円札を私に渡した。
失業するかもしれないのに、こんなにお金を使ってしまって、本当に大丈夫なのだろうか…。私は現実に戻り、不安になってしまう。
「チケット、いつ発券になるの?」
「電子チケットだから、直前になったら送るね…。」
「わかった! 楽しみに待ってるね!」
朱音は本当に楽しそうにしている。
なんだか、スムーズに行き過ぎて、ちょっと怖い。
「その前に、曲聞いて覚えなきゃね! チコちゃん教えてね!」
「…。うっ、うん…。むっ、無理しなくていいからね…。」
「全然!」
朱音はやっぱり楽しそうにしている。
「じゃ行こうか?」
朱音はそういうと、テーブルの伝票を持ち立ち上がった。
「いや! さっきお金もらったから…。」
私が伝票と取ろうとすると、私が誘ったんだから! と渡してはもらえなかった。いいの! いいの! とやっぱり楽しそうにしている。
私はおろおろとカバンを持ち、朱音の後を追った。
朱音は私の出したお金を受け取らず、会計を済ますと、プリクラ取りたい! とゲームセンターの方に向かった。
私はやっぱりおろおろと朱音の後を追った。
朱音はプリクラの幕の中にすっと入って、小銭を機械に入れている。慣れたものだ。今、800円もするのかと驚いてしまった。プリクラなんてもう何年も撮っていない。朱音は慣れた手つきで、メニューを選択して、チコちゃんもっと近く寄って! と、私に言う。機械の指示に従いながら次々と撮影し、アッという間に終わってしまった。
「ちょっと! チコちゃん、目ーつぶってる~!」
と、朱音は笑いながら、デコレーションのスペースで機械を操作していた。
朱音に、「チコちゃん」と呼ばれるのに慣れてしまったが、私にとって生まれて初めての「あだ名」だった。朱音に会うまで、治子ちゃんとか、治子さんとか、はるちゃんとしか呼ばれたことがなかった。これまで知り合った友達は、女の子も、男の子も、どこかよそよそしく、距離感があった。別にそれが嫌だと思ったことはないけれど、朱音に「チコちゃんって呼んでいい?」って言われた時、なんかくすぐったかった。治子って呼びにくいから、というのが朱音の言い分だったが、あだ名ができるのは初めての経験で、嬉しいのか何なのかわからない感情になった。それまでの自分とは、違う別人格の自分ができたみたいだった。
自然に距離をつめられるようで、天真爛漫な朱音が、正直羨ましかった。今日も結局、朱音に振り回されている。自分のペースが乱れるけど、朱音に振り回されるのは、悪い気がしなかった。朱音が、チコちゃん、デコらなくていいのー? と、私を呼んでいるが、朱音がデコレーションするのを隣で見ていて、それだけで私は楽しかった。朱音といると、今まで自分が見てこなかった世界を、半ば強制的に魅せられてる気がする。朱音は私を、自然に違う場所に連れてってくれる。朱音を通して見る東京も悪くない。朱音が楽しそうに、プリクラの機械に向かっているのを見て、なんだかそんなことを思い出していた。
「はい! チコちゃんの分!」
と、テーブルに括りつけられたハサミで、半分に切ると、朱音は私の分を渡してくれた。
「チコちゃん ? あかね」と、朱音の女の子らしい文字で刻まれている。「チコちゃん大好き ?」とも書かれている。なんとも微笑ましく、笑ってしまった。
「チコちゃん、目-つぶってるんだもん!」
と、朱音もクスクス笑っていた。
私は、このプリクラを、大事にしようと思った。形あるもの、いつかはなくなると知っている。朱音にとっては、何でもない一日だったかもしれない。でも私は、今日のことを忘れないでいようと思った。朱音との関係がいつまで続くかわからないけど、私はきっとこのプリクラを、いつまでもずっと、大事にするだろうなと思った。
「折角だから、レインボーブリッジ通って帰ろうか…。」
車に戻るとチコちゃんは言った。
「いいねぇ! レインボーブリッジを封鎖せよ!」
車にエンジンがかかり、するすると駐車場を出た。
レインボーブリッジは少し高台になっているようで、坂道になっていた。その坂道を上がったところで、ビルの夜景と、真っ赤な東京タワーが見えた。
「あっ! 東京タワーだ!」
私は思わず反応してしまう。来るときも、夜だったから夜景を見たはずなのに、全然覚えていない。
「東京タワー、寄ってく?」
チコちゃんが言ってくれる。
「えー! でも遠回りなんじゃない?」
「すぐ近くだからいいよ。」
チコちゃんの頭には、東京の地図がしっかり入っているみたいだ。
「じゃあ、行きたい!」
「OK!」
何度見ても東京タワーはあがる。ざ・東京って感じがする。東京に居ることを突き付けられるみたいに、ここが山梨ではないことを突き付けられるみたいな感じがする。東京タワーを囲む夜景を見ていて、不思議な気分になった。この明かり一つ一つの下で、いろんな人がそれぞれ生活してるんだと思った。いろんな人生があって、いろんな抱えてる問題があって、いろんな幸せがある。いろんな出身の人が居て、いろんな思いを抱えてる。この明かりの数だけ、人が居ると思ったらなんか不思議な気分になった。そわそわするのとも、ドキドキするのとも違う。ホッとするとか、安心するとかともやっぱり違う。なんとも形容しがたい感情だ。うちに帰れば、私もその中の住民として、当たり前にこの背景に溶け込む。今日はたまたま、明かりを外から見てるだけ。渋滞の反対車線を通り抜けるとき、車のライトの明かりが等間隔で並んでいるのを見るような、綺麗なんだけど、渋滞にハマっているのが大変だなぁとか、何時間ここに縛り付けられているんだろうなとか、運転してる人のため息とか、そういうのが想像できちゃう感じ。綺麗な夜景を見ているだけで、人々の呼吸を感じる。街が、明かりが、夜景が、呼吸しているような、水族館で水槽の中で優雅に泳いでいる魚を思うような、夜景自体が生き物で、私がそこに飲み込まれるみたいな、すごく不思議な感情になる。寂しいような、悲しいような、嬉しいような、やっぱり寂しいような…。人々が肩を寄せ合って、満員電車に詰め込まれるように、みんな肩を寄せ合ってこの土地で生活している。そこに暮らす人の息遣いを確かに感じた。
夜景を見て、その明かりに照らされて生活する人を想像するなんて、今までなかった感覚だ。夜景のその先には確かに人間の生活があるはずなのに、私は今まで想像することができなかった。昼間、高速道路から、電車の窓枠から、ある人のベランダに洗濯物が干されているのを見るような、それと夜景は変わらないんだなと思った。ただ明かりがある分だけ、遠くからでも気が付くことができる。ただそれだけの差のはずなのに、なんで私は今まで気が付かなかったんだろう。数えきれない明かりの数だけ、人の生活が在る。私もまた、その明かりの一つ。ご飯を食べて、お風呂に入って、テレビを見て、ベッドで寝る。私が何かを考えているのと同じく、やっぱりこの明かりの下で生活している人も、その数だけ何か考えがある。思いがある。寒いから暖房をつけたり、暑いからエアコンをつけたりする。お湯を沸かすのに、やかんに水を入れて、ガスのスイッチを入れる。そういう普通の行為が、この明かりの下で、誰かの手で行われているのを想像してみる。夜景の一つ一つの明かりもとに、ストーリーがある。そう、言葉にしてみたら当たり前なんだけど、私は今まで全然気が付かなかった。
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