第8話 あかね
チコちゃんが運転席から身を乗り出して、私に抱きついている。私は本日3回目の涙を堪えることができなかった。チコちゃんがさっきとは違う、力強い手で背中をさすってくれている。何とかなったんだ…。と、私は思う。
ナントカ、ナッタンダ…。
私はしばらく放心状態で、チコちゃんの体いっぱいの喜びを受け止めるだけで精一杯だった。
「チコちゃん、やっぱり私、ハワイ一緒に行けないかも…。モルディブも行けないかもしれない。私、昼職一本にする…。」
やっと声を絞り出して、出た言葉がそれだった。
「うん! うん!」
と、チコちゃんはやっぱり喜んでくれた。チコちゃんも、鼻をすすっているのがわかる。チコちゃんが、私の両肩を強く持って、姿勢を離す。
「朱音! よかったね!」
私はぐずぐずと泣きながら。「うん。」と答えるだけで精一杯だった。
朱音はしばらく泣いていた。そりゃ無理もない。失業するかもというプレッシャーから、思ってもみない展開で、解き放たれたのだ。朱音はさっきの口約束を謝っていたけど。そんなの気にすることじゃない。朱音が一年間頑張ってきたことが、評価されたのだ。私は自分のことのように、心の底から嬉しかった。朱音の勤める会社が、朱音のことをしっかりと評価してくれているという事実が、何よりも嬉しかった。世の中捨てたもんじゃない! と思った。やったー! 手放しに嬉しかった。確かに朱音は、これから経済的に困ることがあるかもしれない、でも朱音のことを受け入れてくれる会社がある。社会がある。東京が口を開いて、私たちを受け入れてくれた気分になった。そんな最高の気分だった。
チコちゃんは、先に車を降りた。せっかく来たのだから、東京タワーを見て帰ろうということになったのだ。私もシートベルトを外し、のろのろと助手席のドアを開けて外に出た。
麓から見上げる東京タワーは、思っていた以上に大きかった。そして、そのライトアップの明かりがすごく、すごく、暖かく感じた。親密に感じた。東京が、私を、私たちを受け入れてくれたと思った。やっと私は、東京人になれた、そんな気がした。
その時、東京タワーのライトが消えた。下から一瞬で消えて、暗闇に東京タワーが吸い込まれてしまった。
チコちゃんと顔を見合わせる。
「消えたね!」
「消えた! 消えた!」
「消える瞬間見ちゃったね!」
「消える瞬間見たカップルは、幸せになれるんだよ!」
「えー? 何それ! 本当?」
私たちは、さっきのキャッキャ騒いでいるときにすっかり戻っていた。
目が慣れると、東京タワーを縁取る、飛行機避けの小さな目印の明かりだけ光っていた。東京タワーはなくなってしまったわけではない。そこにしっかりあって、きっと明日も私たちを見守ってくれるだろう。
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