第3話 はるこ
カラオケに行きたいと、いきなり言い出した朱音を連れて、フードコートに戻った。フードコートで駐車券を押してもらうのを忘れていて、押してもらおうと思ったのだけど、9時を回ってほとんどの店は閉まり、カウンターにも人が居なかった。
「駐車場くらい、私が出すよ!」
朱音はそういうと、シャネルの財布から、一万円札出しを私に押し付けてきた。
「こんなにかかんないよ。」
と、私は笑ってしまった。
「諭吉しかなし、いいの! いいの!」
朱音の声に、生気が戻っていた。いつもの明るい朱音だ。ここに連れて来て、本当によかった。
一万円札を返そうとしたけど、朱音は断固として受け取らなかった。
「じゃあ、カラオケ代にするね。」
私は渋々受け取って、財布にしまう。
東京は本当にすごい。調べたら、同じダイバーシティの中に、ラウンドワンが入っていた。朱音が私の肩に腕を回して、笑っている。
東京に出てきたばかりの時、私はアルコールがほとんど飲めないくせに、一人でよくバー巡りをした。馴染みの店の近くにラウンドワンがあって、そこのお客さんやマスターと、何度か行ったことを思い出す。
みんな元気にしてるだろうか。
朱音が、私の肩に腕を回したまま、くすくすと笑っている。さっきまで泣いて居たのに、どういう風の吹き回しだろう。
「ねぇーチコちゃん、今度一緒にディズニーランドいこうよ~。」
朱音が甘えたような声で言い出す。
「えー? 別にいいけど…。」
「シーも、ランドも行きたいから、休み取って、泊りでいこうよ~。」
「えー?」
「休み取るなら、北海道もいいな~。レンタカー借りてさぁ~、チコちゃんの運転で、いろんなところまわろうよ~。」
「えー? 結局、私が運転するの?」
朱音が、現実感のない話をしはじめる。
「ハワイもいいなぁ~。ビーチでゴロゴロして、ピニャコラーダ飲みたい!」
「ピニャコラーダ…。パスポート、持ってないよ…。」
朱音は、「ダンス・ダンス・ダンス」を読んだことがあるのだろうか?
小説を読む趣味があるなんて聞いたことがない。
「そんなん、取ったらいいじゃん!」
「えー? あたし海外なんて、行ったことないよ…。」
そう、私は日本から出たことがないのだ。
「えー? チコちゃん、海外行ったことないの? 英語できるのに? 一体どこで勉強したのさ!」
「英語なんてできないよ…。」
なんで私が、英語できる設定になってるんだよ…。太古の昔に、英検二級とTOEIC600取ったことがあるだけなのに…。
「うそだー! ハワイいいよ~。朝早く起きてさ、揚げたてのマサラダ、箱いっぱい買ってさ、びよーんてのびるんだよ? チコちゃん、ミスド好きだから、絶対気に入るよ。おいしいよ~。」
朱音が、現実感のない話をし続ける。
「それでさ、ホテル戻って、もう一回寝るんだよ~。ふかふかの大きいベッドでさ、シーツ、パリッパリにのり利いてるところに、素っ裸で寝っ転がるの、気持ちよくない?」
「えー? 部屋一緒でしょ? 素っ裸はやめてよー。」
お酒は入ってないはずだ。それとも私が目を離した隙に、何か飲んだのだろうか。朱音のテンションがおかしい。
「ハワイなんだから、それくらいいいじゃん! チコちゃんも、裸になるんだよ~。」
「えー?」
朱音が、クスクスと笑いながら、話を続ける。
「お昼に、ローブスターのパスタとか、おっきいチーズバーガーとか、こんなでっかいピザとか食べてさ~、二人で並んで、ロミロミしてもらおうよ~。気持ちいいよ~。」
話を聞いていると、私もちょっと楽しくなってきた。
「キラウエア火山って知ってる? 赤い溶岩流れてくるところ、まじかで見れるんだって~。行ってみたいよね~。」
妄想するだけなら、ただなのだ。どんな妄想だって、したらいけないというわけではない。
「チコちゃんと行ったら、楽しいだろうな~。」
確かに、朱音と行くなら、楽しいかもしれない。
「ちょっと! 聞いてる?」
返事をしない私に、朱音が、至近距離で顔をこちらに向け、肩に回した手で首を絞めて来た。
「聞いてる! 聞いてる!」
私は慌てて返事をする。
「ちょっと、やめてよ~!」
「ダメ! 許さない! チコちゃんが行くって言うまで、離さない!」
「わかった! 行く! 行くから! ディズニーランドも、北海道も、ハワイも、一緒に行くから!」
ディズニーランドくらいは行くかもしれないけど、都内に住んでるのに、ホテルに泊まるなんてするわけないし、北海道も、ハワイも、私たちはきっといかない。それでもいいじゃないか。このくらい想像したって、誰に迷惑掛けるというわけじゃない。
「絶対だよ?! 約束だからね!」
「くるしいよ! お願いだから、離して~!」
朱音は離してくれるどころか、更に腕の力を強めてくる。私は朱音の腕を叩いてギブアップの意思を示すが、離してくれない。私もどうしても嫌という気分ではなく、無理に?がそうとはしない。朱音の重さが心地よかった。
「チコちゃん大好き~?」
そういうと、朱音が顔を近づけてきた。
「ダメ! ダメ! ダメ! それはダメ!」
朱音が、キスしてこようとしたので、慌てて全力で朱音を引きはがす。
「なんだよ! チコちゃん、冷たい!」
一旦は体が離れるも、また朱音は私の肩に手を回す。
「ねーいつ行く~? 早くパスポート取ってね!」
「わかった! わかったから!」
トロトロとシャッターの閉まった通路を二人で歩きながら、思いをハワイに向けてみる。私は本当にパスポートをとるのだろうか…。ぼんやりとそんなことを考えていた。
「ハワイも、ドバイも、ラスベガスも、韓国も、ミラノも、ロンドンも! チコちゃんと一緒にいろんなところ行く~!」
朱音の暴走列車は留まるところを知らない。
「…あたし、モルディブ行ってみたいな…。」
ふわっと呟いた私に、朱音が私の方向に顔を向けたあと、正面を向いて言った。
「いいねぇ~! モルディブも一緒に行こう! チコちゃんノッテ来たねぇ~。」
「あたし、遊びに行く用の水着持ってないや…。」
「じゃあ一緒に買いに行こう~! チコちゃんにめちゃくちゃ面積のちっちゃい、マイクロビギニ着せちゃうんだから!」
「えー?」
別に、そのくらい想像したっていいじゃないか。これで誰かに迷惑をかけるってわけじゃない。二人で学校帰りの女子高生のように、キャッキャ騒ぎながら、私たちは並んで人気のない夜のモールを歩いた。
チコちゃんは一時間と言ったけど、私が2時間と押し通して、2時間にしてもらった。一時間じゃさすがに物足りない。部屋に入るとまず私が一曲歌って、チコちゃんがいつまでも曲を入れないので、デンモクを奪い取って「点描の唄」を入れたけど、どうしても知らないと言うから、結局私が歌うことになった。歌ってる最中に、必ず次の曲を入れると約束して。なんでこんな有名な曲知らないの? 折角チコちゃんに合うと思って入れたのに。
「いつまでも~♪ いつーまでも♪ 続いて欲しいと願っている♪」
何かの曲を入れ終わったチコちゃんが、画面の歌詞を追いながら見つめている。
「いい曲だね…。」
私は笑顔で頷く。
「私の~♪ 僕の~♪ 時間が止まればいいのに♪」
曲が終わると、癖で演奏中止を押す。
「そんな慌てて押さなくてもいいのに…。」
「えー? ほら! チコちゃんの番だよ!」
そう言って、もう一本のマイクをチコちゃんに渡す。そういえば、チコちゃんとカラオケに来るのは初めてだ。
チコちゃんは本当に点描の唄を知らなかったみたいだ。今日の私たちみたいだと思う。
チコちゃんが入れたのは「茜色の夕日」という、私が知らない曲だった。
「さっき、車で聞いてた曲…。」
と言い訳みたいに言うと、チコちゃんは立ち上がった。
「茜色の夕日眺めてたら~♪ 少し~♪ 思い出すものがありました~♪」
私は左右に揺れて、チコちゃんが歌うのを見てる。チコちゃんは割と大きい声量で、しっかり歌うんだ。
「君の~ その小さな目から~♪ 大粒の涙があふれてきたんだ~♪」
さっきの私のことを言われてるみたいで、なんだか恥ずかしい。
「東京の空星は~♪ 見えないと聞かされていたけど~♪ 見えないこともないんだな♪ そんなことを思っていたんだ~♪」
確かに、山梨と比べて、夜空の星の数は少ないけど、別に東京だって星は見える。それに慣れてしまえば、別に寂しいこともない。見えるだけの星の数を見上げて、私たちは生きている。
「これ、誰の曲?」
と聞こうとすると、私の入れた次の曲が始まったので、答えを聞かずに歌に入った。
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