第2話「枯れ井戸の里」

 街道を歩き始めて、三日が過ぎた。


「なあ、澪依」


 咲耶が前を歩く背中に声をかけた。


「今日中に着くんか?」


「着く。夕暮れ前には」


 澪依は空を見上げながら答えた。


「風向きも変わらへん。雨の心配もない」


「よっしゃ」


 咲耶が拳を握る。その後ろで、小依が足を引きずっていた。


「小依、大丈夫か〜?」


 紫乃が振り返る。


「だ、大丈夫〜……」


 明らかに大丈夫ではない声だった。


「ほら、荷物貸しぃ」


「ええよ〜、うち持てる〜」


「遠慮すんな。こういうときは頼るもんや」


 紫乃が小依の背負い袋を取り上げる。小依は申し訳なさそうに頭を下げた。


「おおきに、紫乃姉……」


「姉やないって。同い年みたいなもんやろ」


「二つも違うやん〜」


「二つくらい誤差や誤差」


 羽津がくすりと笑った。


「紫乃は小依に甘いなあ」


「甘ないわ。当然のことしとうだけや」


 紫乃はそっぽを向いた。耳が少し赤い。


  ◇


 昼過ぎ、街道脇の木陰で休憩を取った。


 羽津が握り飯を配る。宮を出る前に作っておいたものだ。


「そろそろ食材も考えなあかんね」


「せやな。拓土ひらきつちに着いても、凶作やったら食べ物分けてもらえへんかもしれん」


 澪依が頷く。


「咲耶、狩り頼むわ」


「任せとき。紫乃と若名も来るか?」


「行く行く」


 若名が手を挙げた。


「この辺の森、兎がおるて言うてる」


「誰が言うてるん……」


 咲耶が苦笑する。


「木ぃが」


「……ああ、うん。ほな、案内頼むわ」


 咲耶はもう慣れたものだった。若名の言う「声」は、大抵正しいのだ。


「うちも行く〜」


 小依が立ち上がりかけた。紫乃が肩を押さえる。


「お前は休んどき」


「でも〜」


「洗い物とか後片付け、頼むで。それも大事な仕事や」


 小依は少し唇を尖らせたが、やがて頷いた。


「……わかった〜」


「よし。ほな行こか」


 咲耶、紫乃、若名の三人が森へ消えていく。


 残された澪依と羽津と小依は、木陰でのんびりと過ごした。


「澪依、また荷物失くしたん?」


 羽津が呆れた声を出した。


「え? いや、あるで……あれ?」


 澪依が自分の荷を探る。


「水筒がない」


「さっき川で水汲んだとき、置いてきたんちゃう?」


「……あ」


 澪依が頭を抱えた。


「取ってくるわ〜」


 小依が立ち上がる。


「小依、休んどきって」


「これくらいええよ〜。すぐそこやし〜」


 小依が駆けていく。澪依は羽津に頭を下げた。


「すまん……」


「ほんま、澪依は自分のことになると抜けてるなあ」


「……返す言葉もない」


 空を読む力は誰より優れているのに、足元のことはさっぱり。それが澪依だった。


  ◇


 日が傾く頃、六人は拓土の里に着いた。


 紫乃の足が、止まった。


「——なんや、これ」


 声が震えていた。


 田畑は干からびていた。用水路には水がない。井戸の傍には、空の桶を持った人々が力なく座り込んでいる。


 かつて豊かだった土地の面影は、どこにもなかった。


「紫乃……」


 咲耶が声をかけようとした。紫乃は首を振った。


「大丈夫や。わかっとった。わかっとったけど——」


 言葉が続かない。


「行こう」


 澪依が静かに言った。


「まず、村長むらおさに会わな」


 紫乃は深く息を吸い、頷いた。


「……ああ」


 六人は、枯れた里へと足を踏み入れた。


  ◇


 村長の家は、里の中央にあった。


 六神子が名乗ると、村長は驚いた顔をした。老いた男だが、背筋は伸びている。


「神子さま方が、こないな田舎まで……」


「おおきみさまのみことのりや。この国で何が起きとうか、調べに来た」


 紫乃が答えた。村長の目が、紫乃を見た。


「その声……まさか、紫乃か?」


「——久しぶりやな、長」


 紫乃が小さく笑った。


「大きゅうなったな……」


 村長の目に、涙が浮かんだ。


「すまんな、こないな姿を見せることになって。お前の両親や若い世代は、ほかの土地へ開拓へ行ったきり戻っとらんでな」


「わかっとう。謝らんでええ。話を聞かせてくれ」


 村長は頷き、六神子を屋内へ招いた。


  ◇


 囲炉裏を囲んで、村長が語った。


「水が枯れたんは、ひと月ほど前からです」


「急に?」


 澪依が問う。


「ええ。最初は井戸の水位が下がって……そのうち、川の流れも細うなりました」


「山からの水やな」


 紫乃が腕を組んだ。


「水源は、北の山。あそこから流れてくる川が、この里を潤しとった」


「山に何かあったんやろか」


 若名が首を傾げた。


「わかりませぬ。ただ——」


 村長が言葉を切った。


「村の者が何人か、山へ様子を見に行きました。けど、皆戻ってきて言うんです。『山が怒っとう』と」


「怒っとう?」


「近づくと、なんや嫌な気配がするんやと。獣もおらん、鳥も鳴かん。ただ、重い空気が満ちとうと」


 六神子は顔を見合わせた。


「——調べよう」


 咲耶が立ち上がった。


「今日はもう遅い。明日、山へ行く」


「ああ」


 澪依が頷いた。


「紫乃。その前に、やることあるやろ」


「……わかっとう」


 紫乃は静かに立ち上がった。


「ちょっと、出てくるわ」


  ◇


 紫乃は一人、里を歩いた。


 見覚えのある道。井戸端で遊んだ記憶。田植えを手伝った思い出。


 すべてが枯れていた。


 足が、ある家の前で止まった。


 土壁の小さな家。戸は閉まっている。


 紫乃は深呼吸をして、戸を叩いた。


「——誰や」


 しわがれた声がした。


「……紫乃や」


 沈黙。


 やがて、戸が開いた。


 老いた女が立っていた。髪は白く、腰は曲がっている。けれど、その目は紫乃をまっすぐに見た。


「紫乃……」


「久しぶりやな、婆ちゃん」


 祖母の手が伸びてきた。


 紫乃の頬に触れる。


「大きゅうなって……」


「ああ。もう十三や」


「そうか……そうか……」


 祖母の目から、涙がこぼれた。


「よう来てくれた。よう来てくれたなあ……よう来てくれたのに、お前の親はまだ……」


 紫乃は祖母を抱きしめた。


「わかっとうって、長に聞いとう」


 小さな体だった。こんなに小さかったろうか。


「婆ちゃん、待っとってな」


 紫乃は言った。


「うちが、この土地を起こしたる。絶対に」


  ◇


 夜、六神子は村長の家で休んだ。


 紫乃が戻ってきたとき、誰も何も聞かなかった。ただ、小依が黙って紫乃の隣に座った。


「——おおきに」


 紫乃がぽつりと言った。


「何も言うてへんよ〜」


「それが、おおきにや」


 小依は少し笑った。


 羽津が皆に汁物を配った。昼に咲耶たちが獲った兎と、若名が採った山菜で作ったものだ。村長が遠慮するのを、紫乃が押し切った。


「うちらの分はある。長も食べてくれ」


「明日、山や」


 澪依が言った。


「村の者が近づけへんかった山。何があるかわからへん」


「怖いなあ」


 若名がぽつりと呟いた。けれど、その目は怯えてはいなかった。


「山が怒っとるんやったら、話聞かなあかんね」


「若名らしいな」


 咲耶が笑った。


「怒っとるなら、なだめる。暴れとるなら、鎮める。それがうちらの仕事や」


「咲耶は強いなあ」


 小依が感心したように言った。


「強ないよ」


 咲耶は首を振った。


「ただ、やらなあかんことがあるだけや」


 六人は囲炉裏を囲み、静かに夜を過ごした。


 明日に備えて。


 外では、風の音だけが響いていた。

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2026年1月18日 18:01
2026年1月19日 18:01
2026年1月20日 18:01

国起こしの六神子(むくにおこしのろくみこ) 文月(あやつき) @Aya-Tsuki

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