国起こしの六神子(むくにおこしのろくみこ)
文月(あやつき)
第1話「高き屋の誓い」
朝靄の中、
かつては朱塗りの柱も鮮やかだったという。今は色褪せ、所々に木目が浮き出ている。屋根の檜皮も傷みが目立つ。それでも、この宮には確かな気品があった。
貧しくとも、気高い。
この国を治めるおおきみの住まいである。
「
渡り廊下を歩いていた
「寝坊ちゃうわ。空見てたんや」
「で、今日はどないな具合や」
「晴れる。三日は持つ」
「そら重畳やな」
紫乃は満足げに頷いた。
二人が炊事場へ向かうと、すでに
「おはよう。お粥、もうちょっとで炊けるえ」
「おおきに、羽津姉」
澪依が礼を言う。
「
「もう鍛錬してはるよ。
紫乃が外を見ると、中庭で剣を振る咲耶の姿があった。傍らでは小依が座り、時折笛を唇に当てている。
「
「庭の隅で木ぃと話してる」
「……いつものことやな」
六人の神子。
年は十一から十三。幼いと言えば幼い。されど、
おおきみに仕え、国のために働く。それが彼女たちの務めだった。
「さ、朝餉にしよか。皆呼んできて」
羽津の声で、紫乃と澪依が動く。
いつもと変わらない朝——のはずだった。
◇
朝餉の席に、おおきみの姿はない。
いつものことだ。おおきみは夜明け前から祈祷を行い、朝餉は一人で摂る。六神子と食卓を囲むのは、夕餉の時だけと決まっていた。
「なあ、また遣いが来てたやろ」
粥を啜りながら、咲耶が言った。
「ああ、見た。東の里からやったな」
紫乃が頷く。
「また凶報やろか〜」
小依が不安げに箸を止める。羽津がそっと背中に手を当てた。
「近頃、多いな」
澪依が呟く。空を見る目が、少し曇った。
「凶作、水枯れ、妖の出没——」
羽津が静かに並べる。
「どれも年々酷うなってる。おおきみさまも、ご心痛やろな」
「おおきみさまは、税取ろうとしやん」
若名が、ぽつりと言った。
「民の暮らし良うなるまでは——て」
「せやから、宮がこないに貧しいんや」
紫乃が周囲を見渡す。質素な器、簡素な膳。かつての栄華など、どこにもない。
「うちらに何かできることないんか」
咲耶が箸を置いた。
「おおきみさまを、この国を——」
その目に、強い光が宿っていた。
◇
昼過ぎ、六神子は師たちの部屋を訪ねた。
六人の老人が静かに座している。それぞれが六神子に御業を授けた師であり、代々おおきみに長く仕えてきた側近でもあった。
「話は聞いた」
澪依の師、
「おおきみさまに直接お願いするつもりか」
「はい」
咲耶が一歩前に出る。
「各地を巡り、災いの元を調べたいのです。うちらにしかできへんことがあるはずや」
「……」
師たちは顔を見合わせた。
「お前たちは、もう儂らを超えておる」
咲耶の師、
「教えることは、とうにない。後は——」
「託すだけ、やな」
紫乃の師、
「おおきみさまがお許しになるなら、儂らに否やはない」
六神子は深く頭を下げた。
◇
夕刻、六神子はおおきみの御前にいた。
広間には薄暗い灯火が揺れている。贅を尽くした調度などない。あるのは質素な畳と、一段高い座だけ。
そこに、おおきみは座していた。
二十代半ばの若さ。しかし、その目には深い憂いが宿っている。粗末な衣を纏い、痩せた体躯。それでも、確かな威厳があった。
「顔を上げよ」
静かな声が響く。
六神子が顔を上げると、おおきみは一人ひとりの顔を見渡した。
「話は聞いた。各地を巡り、災いの元を調べたいと」
「はい、おおきみさま」
咲耶が答える。
「この国に何が起きているのか、うちらの目で確かめとうございます」
「なぜ、そう思う」
「——おおきみさまが、削られておいでだからです」
咲耶の声が、少し震えた。
「税を取らぬという誓い。民を想うお心。それがおおきみさまのお体を蝕んでいることを、うちらは知っています」
おおきみは目を閉じた。
「知っておったか」
「はい。うちらは神子です。お傍に仕える者として、わからぬはずがありません」
沈黙が落ちた。
灯火が揺れる。
「——税は取らぬ」
おおきみが口を開いた。
「民の暮らしが良くなるまで、税は取らぬ。吾が即位の日に立てた誓いだ」
「存じております」
「この誓いは、天津御座に対するもの。吾自身にも、破ることはできぬ」
おおきみの目が開いた。そこには、揺るがぬ意志があった。
「されど——民の暮らしは、良くならぬ」
声に、微かな苦しみが滲む。
「凶作は続き、水は枯れ、妖が出る。何かが、この国を蝕んでおる」
「その何かを、突き止めとうございます」
澪依が言った。
「空を見ても、災いの兆しがわからへんのです。今までにないことが起きてる」
「地脈も乱れてます」
紫乃が続く。
「森も怯えとるよ」
若名も頷く。
「古い文献に、何か手がかりがあるかもしれまへん」
羽津が言う。
「うちの笛で、何か聞こえるかも〜」
小依も声を上げた。
「——六神子」
おおきみが、改めて六人を見た。
「お前たちは、幼い」
「はい」
「されど、お前たちほど御業に優れた者を、吾は知らぬ」
「……ありがとうございます」
「危険な旅になろう」
「覚悟の上です」
咲耶が即答した。
「命を懸けます。この国のために——おおきみさまのために」
長い沈黙があった。
灯火が、ゆらりと揺れる。
「——よかろう」
おおきみが頷いた。
「そなたらに、託す」
その言葉に、六神子は深く頭を下げた。
◇
翌朝。
宮の門前に、六人の少女が立っていた。
旅装束に身を包み、それぞれの道具を携えている。澪依は空を読む器具を、咲耶は剣を、羽津は古文書の写しを、若名は木の実や種を、小依は笛を、紫乃は土を読む道具を。
師たちが見送りに出ていた。
「無茶はするなよ」
「お体に気をつけて」
「困ったら、己の御業を信じよ」
口々に言葉をかける。六神子は一人ひとり、師に頭を下げた。
「行ってきます」
「必ず、戻ります」
そして——
「六神子よ」
おおきみの声がした。
振り返ると、おおきみ自身が門まで出てきていた。師たちが驚いて道を開ける。
「おおきみさま、なんでこないなところまで——」
澪依が声を上げた。
「最後に、伝えておきたいことがある」
おおきみは六人の前に立った。
朝日を背に、逆光の中でその表情は見えない。
「吾の誓いは、民のためだった。されど——」
一瞬、言葉が途切れる。
「——無理はするな。お前たちもまた、吾の守りたいものだ」
六神子は息を呑んだ。
おおきみが、こんな言葉を口にするとは。
「おおきみさま——」
「行け」
短く、しかし温かく。
「待っておる」
六神子は、深く深く頭を下げた。
◇
宮を出て、しばらく歩いた。
街道に出ると、澪依が空を見上げた。
「——晴れてるな」
「ええ天気やね」
羽津が微笑む。
「で、どこから行く?」
紫乃が問う。六人が立ち止まった。
「まず東やろ」
澪依が言った。
「遣いが来てた里。凶作と水枯れ——」
「
紫乃の声が、少し強張った。
「紫乃の故郷やんか」
小依が見上げる。
「……ああ」
紫乃は頷いた。
「正直、気は重い。けど——」
前を向く。
「やからこそ、行かなあかん」
「うん」
咲耶が紫乃の肩を叩いた。
「皆一緒や。大丈夫」
六人は歩き出した。
東へ。
最初の目的地、拓土へ向けて。
空は晴れていた。
されど澪依は気づいていた。
遠くの空に、小さな雲が一つ。
嫌な予感を孕んだ、黒い雲が——。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます