国起こしの六神子(むくにおこしのろくみこ)

文月(あやつき)

第1話「高き屋の誓い」

 朝靄の中、みやは静かに佇んでいた。


 かつては朱塗りの柱も鮮やかだったという。今は色褪せ、所々に木目が浮き出ている。屋根の檜皮も傷みが目立つ。それでも、この宮には確かな気品があった。


 貧しくとも、気高い。


 この国を治めるおおきみの住まいである。


澪依みおり、また寝坊か」


 渡り廊下を歩いていた紫乃しのが、欠伸をしながら現れた少女に声をかけた。


「寝坊ちゃうわ。空見てたんや」


 天候あまさふ神子みこ、澪依。まだ眠そうな目をこすりながら、それでも空への意識は怠らない。


「で、今日はどないな具合や」


「晴れる。三日は持つ」


「そら重畳やな」


 紫乃は満足げに頷いた。土開つちひらきの神子として、天候は常に気になるところだ。


 二人が炊事場へ向かうと、すでに羽津はづが朝餉の支度をしていた。


「おはよう。お粥、もうちょっとで炊けるえ」


「おおきに、羽津姉」


 澪依が礼を言う。


 結道ゆいみちの神子、羽津。十三歳の最年長で、六神子のまとめ役——というより、お母さんのような存在だ。


咲耶さくやは?」


「もう鍛錬してはるよ。小依こよりも一緒に」


 紫乃が外を見ると、中庭で剣を振る咲耶の姿があった。傍らでは小依が座り、時折笛を唇に当てている。


 火降ひふりの神子、咲耶。六神子の剣であり、盾。


 音鎮おとしずめの神子、小依。癒しと鎮魂を担う、最年少の神子。


若名わかなは?」


「庭の隅で木ぃと話してる」


「……いつものことやな」


 森祝もりはふりの神子、若名。彼女が何を見て、何を聴いているのか、他の五人にはわからない。わからないが、信じてはいる。


 六人の神子。


 年は十一から十三。幼いと言えば幼い。されど、天津御座あまつみくらより印を授かり、それぞれの御業みわざを修めた者たち。


 おおきみに仕え、国のために働く。それが彼女たちの務めだった。


「さ、朝餉にしよか。皆呼んできて」


 羽津の声で、紫乃と澪依が動く。


 いつもと変わらない朝——のはずだった。


  ◇


 朝餉の席に、おおきみの姿はない。


 いつものことだ。おおきみは夜明け前から祈祷を行い、朝餉は一人で摂る。六神子と食卓を囲むのは、夕餉の時だけと決まっていた。


「なあ、また遣いが来てたやろ」


 粥を啜りながら、咲耶が言った。


「ああ、見た。東の里からやったな」


 紫乃が頷く。


「また凶報やろか〜」


 小依が不安げに箸を止める。羽津がそっと背中に手を当てた。


「近頃、多いな」


 澪依が呟く。空を見る目が、少し曇った。


「凶作、水枯れ、妖の出没——」


 羽津が静かに並べる。


「どれも年々酷うなってる。おおきみさまも、ご心痛やろな」


「おおきみさまは、税取ろうとしやん」


 若名が、ぽつりと言った。


「民の暮らし良うなるまでは——て」


「せやから、宮がこないに貧しいんや」


 紫乃が周囲を見渡す。質素な器、簡素な膳。かつての栄華など、どこにもない。


「うちらに何かできることないんか」


 咲耶が箸を置いた。


「おおきみさまを、この国を——」


 その目に、強い光が宿っていた。


  ◇


 昼過ぎ、六神子は師たちの部屋を訪ねた。


 六人の老人が静かに座している。それぞれが六神子に御業を授けた師であり、代々おおきみに長く仕えてきた側近でもあった。


「話は聞いた」


 澪依の師、雲見くもみおきなが口を開いた。


「おおきみさまに直接お願いするつもりか」


「はい」


 咲耶が一歩前に出る。


「各地を巡り、災いの元を調べたいのです。うちらにしかできへんことがあるはずや」


「……」


 師たちは顔を見合わせた。


「お前たちは、もう儂らを超えておる」


 咲耶の師、焔守ほむらもりの翁が言った。


「教えることは、とうにない。後は——」


「託すだけ、やな」


 紫乃の師、土祀つちまつりおうなが続けた。


「おおきみさまがお許しになるなら、儂らに否やはない」


 六神子は深く頭を下げた。


  ◇


 夕刻、六神子はおおきみの御前にいた。


 広間には薄暗い灯火が揺れている。贅を尽くした調度などない。あるのは質素な畳と、一段高い座だけ。


 そこに、おおきみは座していた。


 二十代半ばの若さ。しかし、その目には深い憂いが宿っている。粗末な衣を纏い、痩せた体躯。それでも、確かな威厳があった。


「顔を上げよ」


 静かな声が響く。


 六神子が顔を上げると、おおきみは一人ひとりの顔を見渡した。


「話は聞いた。各地を巡り、災いの元を調べたいと」


「はい、おおきみさま」


 咲耶が答える。


「この国に何が起きているのか、うちらの目で確かめとうございます」


「なぜ、そう思う」


「——おおきみさまが、削られておいでだからです」


 咲耶の声が、少し震えた。


「税を取らぬという誓い。民を想うお心。それがおおきみさまのお体を蝕んでいることを、うちらは知っています」


 おおきみは目を閉じた。


「知っておったか」


「はい。うちらは神子です。お傍に仕える者として、わからぬはずがありません」


 沈黙が落ちた。


 灯火が揺れる。


「——税は取らぬ」


 おおきみが口を開いた。


「民の暮らしが良くなるまで、税は取らぬ。吾が即位の日に立てた誓いだ」


「存じております」


「この誓いは、天津御座に対するもの。吾自身にも、破ることはできぬ」


 おおきみの目が開いた。そこには、揺るがぬ意志があった。


「されど——民の暮らしは、良くならぬ」


 声に、微かな苦しみが滲む。


「凶作は続き、水は枯れ、妖が出る。何かが、この国を蝕んでおる」


「その何かを、突き止めとうございます」


 澪依が言った。


「空を見ても、災いの兆しがわからへんのです。今までにないことが起きてる」


「地脈も乱れてます」


 紫乃が続く。


「森も怯えとるよ」


 若名も頷く。


「古い文献に、何か手がかりがあるかもしれまへん」


 羽津が言う。


「うちの笛で、何か聞こえるかも〜」


 小依も声を上げた。


「——六神子」


 おおきみが、改めて六人を見た。


「お前たちは、幼い」


「はい」


「されど、お前たちほど御業に優れた者を、吾は知らぬ」


「……ありがとうございます」


「危険な旅になろう」


「覚悟の上です」


 咲耶が即答した。


「命を懸けます。この国のために——おおきみさまのために」


 長い沈黙があった。


 灯火が、ゆらりと揺れる。


「——よかろう」


 おおきみが頷いた。


「そなたらに、託す」


 その言葉に、六神子は深く頭を下げた。


  ◇


 翌朝。


 宮の門前に、六人の少女が立っていた。


 旅装束に身を包み、それぞれの道具を携えている。澪依は空を読む器具を、咲耶は剣を、羽津は古文書の写しを、若名は木の実や種を、小依は笛を、紫乃は土を読む道具を。


 師たちが見送りに出ていた。


「無茶はするなよ」


「お体に気をつけて」


「困ったら、己の御業を信じよ」


 口々に言葉をかける。六神子は一人ひとり、師に頭を下げた。


「行ってきます」


「必ず、戻ります」


 そして——


「六神子よ」


 おおきみの声がした。


 振り返ると、おおきみ自身が門まで出てきていた。師たちが驚いて道を開ける。


「おおきみさま、なんでこないなところまで——」


 澪依が声を上げた。


「最後に、伝えておきたいことがある」


 おおきみは六人の前に立った。


 朝日を背に、逆光の中でその表情は見えない。


「吾の誓いは、民のためだった。されど——」


 一瞬、言葉が途切れる。


「——無理はするな。お前たちもまた、吾の守りたいものだ」


 六神子は息を呑んだ。


 おおきみが、こんな言葉を口にするとは。


「おおきみさま——」


「行け」


 短く、しかし温かく。


「待っておる」


 六神子は、深く深く頭を下げた。


  ◇


 宮を出て、しばらく歩いた。


 街道に出ると、澪依が空を見上げた。


「——晴れてるな」


「ええ天気やね」


 羽津が微笑む。


「で、どこから行く?」


 紫乃が問う。六人が立ち止まった。


「まず東やろ」


 澪依が言った。


「遣いが来てた里。凶作と水枯れ——」


拓土ひらきつちやな」


 紫乃の声が、少し強張った。


「紫乃の故郷やんか」


 小依が見上げる。


「……ああ」


 紫乃は頷いた。


「正直、気は重い。けど——」


 前を向く。


「やからこそ、行かなあかん」


「うん」


 咲耶が紫乃の肩を叩いた。


「皆一緒や。大丈夫」


 六人は歩き出した。


 東へ。


 最初の目的地、拓土へ向けて。


 空は晴れていた。


 されど澪依は気づいていた。


 遠くの空に、小さな雲が一つ。


 嫌な予感を孕んだ、黒い雲が——。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る