第2話 動き出す歯車

「マジ!? エリック・スンと幼馴染なの!」

「有名なの?」

 海帆みほの質問に、吉岡明莉よしおかあかりは興奮した様子で身を乗り出した。

「有名だよ! ほらちょっと前に日本でも話題になったドラマがあったじゃん。『八月、君がいた』てやつ! あれでヒロインに片思いする大学生の役をやって、一気に知名度が上がったんだよ!」

 そういやそんなドラマあったな。去年だっけ。

 ロッカールームで制服に着替えながら、去年の夏に明莉が夢中になってドラマのあらすじを語っていたことを思い出した。

 確か台湾女子と日本男子のラブロマンスもので、日本の人気俳優が出演したから話題になってたのだ。

「あたし、あれでエリック好きになって台湾ドラマにハマったんだよね。ねえ、幼馴染みってことは今後会うかもしれないんでしょ? サインとか貰えない?」

「無理でしょ、そんな有名な俳優さんだったら。幼馴染みって言ったって五歳で別れてから今まで会ってないし。私以上に会う時間ないと思うよ、向こうの方が」

「え、会いに行かないの⁉ そんなすごい縁があるのに!」

 念入りにマスカラを塗りながら、明莉が信じられないと声をあげる。

 ロッカールームには海帆と明莉以外誰もいないから、自然と声が大きくなる。

「あたしなら仕事辞めてでも会いに行くのに!」

「だから無理だってば、普通に。ただでさえ人手不足なんだから、休みなんて取れない」

 昨夜、母親に言ったのとまるで同じセリフを海帆は口にする。

 写真を送った後、メグさんからは「会いたい、いつ台湾に来られる?」とメッセージが立て続けに来たが、しばらくは時間が取れないとしか答えられなかった。

 身支度を整え、明莉ほどではないが軽くメイクを直して、海帆はロッカーのドアを閉めた。

「さ、行くよ。引き継ぎの時間」

「はいはい待って」

 夜勤業務のスタッフとの引き継ぎを終え、チェックアウトと宿泊予約の確認をしているところへ、フロントマネージャーから声がかかった。

「橘、ちょっといいか」

「はい」

 なんだろう、と思いながら、海帆はマネージャーの後に続いてバックヤードへ入った。


「は? 台湾?」

 昨日と同じ居酒屋。ビールを飲む手を止め、田辺雄一たなべゆういちはポカンと口を開けた。

「ずいぶん急だな」

「うん、グロンブル台湾の日本人スタッフに欠員ができるから、至急交代要員を送って欲しいんだって」

 マグロの刺身に丁寧に紫蘇を巻き、海帆はそれをゆっくりと口に運ぶ。

「欠員の理由は? 妊娠か?」

 直接すぎる言い方を咎めるように睨み付けるが、雄一はどこ吹く風とビールを煽る。

「なんなんだろうなー。日本じゃそうでもないのに、海外行った途端にゆるくなるの。ほんと不思議だよ」

「その人はもともと台湾の人と結婚してたの。だからおめでたい話しじゃない」

「少し無責任じゃないか」

 夫婦に子供ができることに無責任なことがあるだろうか。その人は妊娠に気付いてすぐに職場に報告し、グロンブル台湾は引き継ぎ期間を含めた人員要請をしてきたのだ。きちんと段階を踏んだ対応をしている。

 そう反論すると、雄一は肩をすくめるだけだった。

「どのくらい行くの?」

「未定。とりあえず二、三年で考えて欲しいって」

「二、三年かあ。遠距離だな」

「うん……」

 返事をする声が小さくなる。

 雄一はル・グロンブルホテルの管理営業部に所属していて、海帆とは四年付き合っている。

 結婚の話しは出てないが、お互いそろそろかなと意識はしていた。交際は順調。互いの性格や長所短所も理解している。そこにきて海を隔てた遠距離恋愛が振りかかるとは。

「ま、ちょうどいいかもな。結婚は三十になってからって考えてたし」

「そうなの?」

「うん。今はこき使われてるけど、俺も二年くらいしたらもう少し偉くなるだろうから。そうなってからって考えてた」

 ちょっと待て。これってプロポーズか? 居酒屋で?

 内心慌てている海帆に気付く様子もなく、雄一はサワラの塩焼きをパクつく。

「行ってこいよ。つか、その様子じゃ行く気満々だな。そうだろ?」

「うん、まあ」

「浮気の心配はまずないのが救いかな。向こうの男どもを圧倒してやれ」

「何それ」

 頬杖をついて、精一杯の男前な顔で睨むと、雄一は真顔で言った。

「彼女だけは作るなよ」


『台湾に転勤ですって⁉ お母さん行きなさいって言ったけど、何も仕事移すことないじゃない』

「別に私が希望を出したわけじゃないよ。今日いきなり上司に言われたの。向こうのホテルに欠員が出るんだって」

 不満げに話す美帆子に、海帆はなだめるような口調で言い返した。

 飲んだ後は雄一の部屋で過ごし、そこで別れた。雄一は寮ではなく個人でマンションを借りているので、泊まっていきなよと言ってくれたのだが、母美帆子に連絡しなければならなかったし、明日も仕事なので帰ることにしたのだ。

 そして道すがら、今回の台湾転勤の話しをして、美帆子に渋い反応をされてしまったというわけだ。

『仕事じゃしょうがないわね。まあでもメグさんが喜ぶわ、今日もメッセージが来たんだから。あんたが仕事で行くことになったって伝えておくわね』

 それにしてもすごい縁よね~。

 言いたいことを一方的に言って、美帆子は電話を切った。

 ため息をついて、海帆は帰り道を急ぐ。

 今からなら、台湾行きの荷造りを始められるだろう。

 


「は? 空港まで迎えに? 俺が?」

 母親からの言い付けに、世海シーハイは露骨に嫌そうな返事をした。

 着信があった時、嫌な予感がしたのだ。やっぱり出るんじゃなかった。

「嫌だよ、仕事があるし。そんな時間取れないよ」

『なに言ってるのよ! あんた車持ってるんだから迎えぐらい行ってあげなさい! せっかく日本から来てくれるんだから』

「別に俺たちに会いに来るんじゃなくて仕事で来るんだろ? ならわざわざ行かなくてもいいじゃないか。あいつだっていい大人なんだから空港からの移動くらい一人でできるだろ」

『なにを、バカな事を言ってるの‼』

 ドライバー役をなんとか回避しようとしたが、母恵君フェンジュンの激しい剣幕に太刀打ちできず、結局しぶしぶ「わかったよ」と言うしかなかった。

『来る日が分かったらまた連絡するから。ちゃんとうちまで連れて来てちょうだいよ! 分かったわね!』

 返事をするのも癪なので、唸り声で答えて電話を切る。

 そのままスマホを腹立たしくテーブルに放り投げ、世海は頭を抱えてうめいた。

「どうしたんだよ、お袋さんになんか言われたのか」

 高校時代からの友人、呂俊宏ルー・ジュンホンが向かいの席から心配そうに声をかける。

「迎えがどうとか言ってたけど」

「……………………福の子が台湾に来るから、車で迎えに行けって言われた」

 俊宏は何の話しだ、と訝しげな顔をしたが、すぐに「おー!」と目を輝かせた。

「福の子ってあれか、お前をこの世に誕生させた孫家の功労者か! いやあ、久しぶりにその名前聞いたな」

「何が功労者だ。俺の両親が頑張っただけで、あいつは何もしていない。ただ寝て喚いてクソしてただけだ」

 普段は礼儀正しい友人の珍しい乱暴な言葉に、俊宏は目をパチクリとさせた。

「なんだよ随分な言い方だな。初恋の人だろ」

「四歳の頃のな。そんなの初恋でもなんでもない」

 世海は酒を煽り、「今じゃ見る影もない」と吐き捨てた。

「え、今の姿知ってるの?」

「母さんが写真を送ってきたんだ。別に見たくもなかったのに」

「えー俺興味ある。見せてよ」

「もう削除した」

 なんでだよーと文句を言う友人を睨みつけて、世海はため息をつく。

「大した事ないよ。顔は俺の方が断然美しいし、髪なんて俺よりも短いんだ。なんのためにあんなに短くする必要があるんだ。耳丸出しなんだぜ、まるで男だ。肌は白くてまあ綺麗だけど、化粧っ気がまったく無くて、してるのかしてないのか分からないぐらいだし。服だって面白みもないシンプルなもので、ピアスはしてたけどそれぐらいしかアクセサリーも身につけてないし。座ってたから断言できないけど、足の長さから身長は百七十以上は確実にあるなあれは。大女だ。絶対足のサイズもデカい」

「よく見てるなー」

 感心した声を出す俊宏に舌打ちをして、世海はがしがしと頭をかきむしる。

「行きたくねー」

「まあそう言うなって。彼女の見た目だけでまだどういう人かは知らないんだろ? 会ってみたら気が合うかもしれないじゃないか。なんせお前の福の子なんだし。大事にして損はないと思うぜ」

「冗談言うな。まっぴらごめんだ」

 普段の交友関係は基本受け身な世海の拒絶反応に、俊宏は目を丸くする。

「なんでそんなに拒否するんだ? 高校の頃は会いたがってたよな、確か」

「覚えてない」

「いやそうだったよ。金貯めて日本に探しに行くんだって言ってたよ。本当に見つけたらすごい運命だなって俺思ったもん」

「見つけたよ、実際な。それで幻滅したんだ」

「そうなの⁉」

 いつ⁉ と身を乗り出してくる友人をすわった目つきで睨んで、世海は酒をあおる。ピッチが早い。

「会った訳じゃなくてネットで見つけたんだ。名前で検索して。そしたらヒットした。衝撃だったよ。あいつバレーボールをしてたんだ」

「別に悪いことじゃないだろ、スポーツする女の子、俺好きだよ」

「たしなむ程度ならな、俺だって別にいいよ。でもあいつがいた高校はなんか強豪校だったみたいで、すげー気迫でプレーしてた。まさに鬼の形相だった。ガッツポーズは男みたいだったし、試合動画で聞いた声なんてガラガラにかすれてた。百年の恋も冷めるとはあの瞬間のことだったんだなて思うよ」

「ふーん」

 世海のコップに酒を注いでやりながら、俊宏は訳知り顔で頷いた。

「つまりあれか、大事にしてた初恋の君の面影を崩されて、怒ってるって訳か」

「だから初恋じゃないって」

「まーまーまーまー」

 ムキになる世海をなだめて、俊宏は彼のためにエビの殻を剥いてやる。

「怒るなよ、そんなことで。人間は変わるもんだろ。しかも四歳が高校生になったんだ。好みも顔も変わるさ。そのまんまでいる方が不気味だよ」

「……………………見た目の話しだけじゃねーよ」

「ん? なんだって」

「なんでもない。早く剥け」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Oh! My リトルマーメイド 大城まこ豊 @o_mako10

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ