Oh! My リトルマーメイド
大城まこ豊
第一章
第1話 福の子
福の子
ル・グロンブルホテルのコンシェルジュ
一七五センチの日本人女性としては高めの身長に、落ち着いた色合いの品のいいパンツスーツの制服をパリッと着こなし、長い足で颯爽とホテルロビーを闊歩する姿は、さながら宝塚男役スターのような優雅さだ。
顔には常に思慮深い微笑みを浮かべ、余裕のある表情で周囲に目を配りながらも、お客様の反応を見逃さないようにチェックをしている。
「橘さん、お疲れ様です。
フロントデスクに入ると、若い男性がためらいがちに声をかけてきた。
今年入社したての杉下は、新人特有の自信の無さそうな表情をして、所在なく立っていた。海帆は微笑みかける。
「大丈夫だったよ。部屋の交換で納得してもらえた」
何でもないことのように伝えると、明らかにホッとした顔を見せる。お客様の視線が一番集まる場所であるフロントデスクがこんなに喜怒哀楽を見せては支障が出る。注意しようとしたが、なかなか激しいクレーム対応をした直後でもあるので、後でバックに入ってから言うことにした。
「よかったです」
「台湾とか中国からのお客様は、数字に神経質な方が多いから。今後は宿泊予約取る時は気を付けようね」
「はい」
素直に返事をする杉下に頷いて、海帆はバックに向かおうとしたが、目のはしにエレベーターホールで立ち往生してる女性の姿をとらえ、すぐに向かう。
「失礼いたします、お客様。どうかされましたか?」
振り返った姿を確認して、海帆はすぐに言語を変えて、同じ言葉を繰り返した。
今日チェックインした台湾からの団体旅行客の一人だと気付いたからだ。
聞き慣れた言語で話しかけられて、女性は安堵した表情を浮かべた。
「ああ、よかった話せる人がいて。ペンダントを落としてしまったの。部屋を出る直前につけたのに、エレベーターを降りたらないのよ」
どこにいっちゃったのかしら、と女性の顔は青ざめ、握りしめそうな勢いで首をおさえている。 スカーフ越しとはいえ、あんなに強く力を入れたら首に跡が残ってしまうかもしれない。
その様子から、よほど大切なものなのだろうと見当がつき、海帆は「お手伝いします」と言った。
「お部屋番号は何号室でしょうか?」
「一七一五室よ。でも、もう何度も戻って確認したのよ。部屋の中も外の廊下もエレベーターの中も、何回も床に落ちてないか見たけど、見つからなくて……」
女性の声がどんどんと尻すぼみに小さくなっていく。今にも泣き出しそうだ。
海帆はゆっくりした口調で、取り乱してる女性を安心させるように話しかけた。
「大丈夫ですよ、落ち着いてください。私がもう一度見て参ります。ただその前に、失礼ですが一度スカーフを確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
「スカーフ? これ?」
女性が首に巻かれたスカーフへ手を掛ける。
ゆるく巻かれてるのではなく、手の込んだ結び目のある巻き方だった。結び目をほどき、するりと首から外そうとした時、キラリと何かが落ちてきた。
床に落ちる前に、はしっと海帆の手がそれを柔らかく受け止める。
「あった! あったわ! こんなところに!」
小さな淡いブルーの宝石をあしらった、シンプルなシルバーのネックレスだった。留め金の部分がきちんと締まらず隙間ができてしまっている。
「スカーフに絡まっていたのね。気付かなかったわ」
海帆からネックレスを受け取り、慎重に手提げバックにしまう。
「大事なものなんですね」
「ええ。初めて主人からもらったプレゼントなの。もう三十年になるかしら」
晴れやかな笑顔で、女性は海帆を見上げた。
「本当にありがとう。助かったわ。あら、あなたもしかして中国の方? 珍しい名前ね」
探し物が見つかって安心して海帆を見る余裕ができたのか、制服のネームプレートを見て尋ねる女性に、海帆は微笑みかけた。
「いえ、よく聞かれるのですが、私は日本人です。たちばなみほ、と読みます。女性に多い名前なんですよ。昔は台湾に住んでいたこともあります」
「え⁉」
女性が心底驚いた顔で、海帆の顔をまじまじと見つめた。
「あなた、女の人だったの⁉」
終業後の居酒屋。明るい笑い声を上げるのは海帆の同僚、吉岡明莉だ。
涙を流して笑い転げる同期を睨み付け、海帆はエイヒレをつまむ。
「笑ってろ」
「ごめんごめん、ちょっと面白くて。なんかエレベーターホールで二人して固まってるな~て思ってたからさ、なに話してんだろって」
うくくく、と明莉は喉を震わす。
海帆はふんと鼻をならしてハイボールを煽った。
「言っとくけど、その後すぐに『ごめんなさい、あなたの名前って男の人みたいで。よく見たら女の人だわ! あたしちょっと目が悪いから』て言ってたから」
「いやいやいやいや、苦しい、苦しい言い訳だよ、それは。あのお客様、明らかにあんたを見る目が輝いてたもの。きっと惚れられたよ。好かれちゃったわね~」
「それは別に構わないよ。数あるホテルの中から、うちを選んで頂いたのだから、よき思い出の一部になれるなら喜んで」
もろキューをかじりながら、海帆は窮屈そうに足を組み直す。
職場近くの海鮮を出してくれる居酒屋は、入社当初から行きつけている、お気に入りの店なのだが、テーブルと椅子が小造なのが少々ネックではある。
長い足を斜めに投げ出す海帆を見て、明莉はわざとらしくため息をついて首を振った。
「まったく、見た目もだけど言うことも仕種もこうハンサムじゃね、惑わされる人が増えるのも仕方ないわね」
「ハンサムかな? ただ背が高いだけでしょ。声も低いけど」
「いやいや、あんたハンサムだよ。性格がハンサム」
なんだそれ、とぼやいて海帆はバカ盛りの唐揚げに箸を伸ばす。すでに山は半分以上減っていて、そのほとんどが海帆の胃へと収まっていた。
明莉は恐ろしいものを見る目で、パクつく海帆を見つめた。
「揚げ物よくそんなに食べられるわね。肌とか脂肪とか気にならない?」
「食欲だけは落ちないのよね、小さい頃から。バレーは辞めちゃったけど、空手はまだ時々やってるし」
「あたしも空手やろうかな」
「護身術になるし、いいんじゃない? 体型維持できるよ」
最後の唐揚げを平らげ、そろそろ締めの海鮮茶漬けを頼もうかと注文パネルに手を伸ばした時、海帆のスマホが鳴った。
画面に写し出された母親美帆子の表示に、海帆はしまったと顔をしかめた。
「今日、実家帰る約束だったんだ。ごめんもう帰る。これ置いてくね」
「え、ちょっと……」
テーブルに一万円札を置き、海帆は慌てて店を出て、鳴り続けるスマホに出る。
「もしもし」
『今どこにいるの? 今日帰るんでしょ?』
「友達と飲んでた。もう帰るよ」
『気を付けなさいね。とにかく早く帰ってらっしゃい。もうすっごいニュースがあるんだから!』
珍しく興奮しているのか、美帆子ははしゃいだ声だった。
なんかいいことでもあったのかな、と思いながら「すぐに帰るよ」と海帆は言い、帰路を急いだ。
「夕飯は?」
「いらない、食べた」
久しぶりの実家のソファに寝そべり、海帆はなにもしなくていい待遇を満喫する。傍らには愛猫のジー。これ以上のリラックスタイムはない。
「梨剥いたわよ、食べる?」
「食べる」
母親というのは、どうして子供が「いらない」と言ってるのに食べ物を与えようとするのだろう。不思議だが、好物を出されてあっさりと思い通りに動かされてる時点で、相手の方が上手ということだ。
「すごいニュースってなに? さっき電話で言ってたけど」
梨をかじりながら聞くと、美帆子は目を輝かせて自分のスマホを取り出した。
「あんたメグさんて覚えてる? ほら台湾にいた時にお世話になった
「覚えてるよ。お隣に住んでた人だよね」
「お母さんFacebook始めたでしょう? そしたら繋がったの! メグさんと!」
「マジ⁉」
マジよマジ! と見せてくれた美帆子のスマホの画面、Facebookの友達一覧には、見覚えのある優しい笑顔を浮かべた女性の画像があった。
「うわあ、メグさんだ。懐かしい~」
「でしょー。お母さんびっくりしちゃったわよー。メグさんからメッセージが来たのよ、突然。最初は半信半疑だったんだけど『福の子は元気か?』て聞かれて確信したわ」
福の子と聞いて、海帆は一気に五歳の頃の記憶が甦った。
海帆が生まれてすぐに父の仕事の都合で台湾に渡った海帆たち家族は、住んでたマンションのお隣さん
「あんたメグさんに凄くよくしてもらったのよ。覚えてる?」
「覚えてるよ。福の子って可愛がってもらったな」
福の子とは、メグさんとその家族によく呼ばれていた名前だ。
孫さん夫妻は若い夫婦だったのだが、結婚して三年たっていて子供がいなかった。母の美帆子は二歳になる姉の
「そんな時メグさんがねー、見かねて言ってくれたんだと思うけど、あんたのお世話をさせてくれないかって言ってくれたのよね」
子供ができない女の人は赤ん坊の世話をすると妊娠しやすくなると言われてるそうで、メグさんは熱心に言ってくれたらしい。美帆子も病気になりやすい姉に専念できるので少し迷ったが、大丈夫だろと言う父航一郎の一声もあり、お願いしたのだそうだ。
「そしたら見事に半年後ぐらいにメグさん妊娠したのよ。こんなことあるんだってお母さんびっくりしたわ」
びっくりしたのは孫さん夫妻もだった。大変な喜びようで、それぞれの家族がお祝いに駆けつけ、孫さん夫妻となぜか海帆までも祝福された。特にメグさんの母親は海帆のことを殊の外可愛がり、身重になったメグさんと一緒に引き続き海帆の面倒も見てくれたのだそうだ。
その可愛がりようは実の孫のようで、海帆の一歳の誕生日を取り仕切るほどだったという。
「お母さん達はあんたの誕生日に招かれる側だったのよ〜」
美帆子が苦笑する。記憶はあいまいだったが、とてもパワフルなおばあさんだったことを海帆は覚えていた。
そして迎えたメグさんの出産。生まれたのは男の子だった。
待望の第一子。しかも男の子だということで、それはもうお祭り騒ぎだったそうだ。
海帆は福の子福の子ともてはやされ、生まれた子には海帆の名前から一字を取り、
「メグさんが美人さんだったからね、世海くんも綺麗な男の子だったわね」
あんた達、仲良かったのよ〜という母親の言葉に、海帆は色白のちんまりとした人形のように可愛らしかった男の子を思い出した。
「覚えてる。よく一緒に遊んだな。世海くんは何してるの? 元気にしてる?」
「なんと今は台湾で俳優さんやってるって! エリック・スンって名前で!」
「マジで!」
「マジよ!」
再度、美帆子が見せてくれたスマホには、中性的な雰囲気のやたら綺麗な顔立ちをした男性の画像が映し出されていた。
「うわーこれ世海くん? すごく綺麗になったね。言われなかったら、分かんなかったかも」
「そお? 目つきとかそのまんまじゃない」
しばらく母娘であーでもないこーでもないと、人様の息子さんの特徴を並べ立てていたら、ピコンと美帆子のスマホのお知らせ音が鳴った。
「あら、メグさんからだわ。『海帆と話しはできたか?』だって。なんて答える?」
「元気にしてますよ〜て送って。また会えて嬉しいですって」
「はいはい」
美帆子がメッセージを送ると、秒で返信が返ってきた。どうやら美帆子よりもメグさんの方がFacebookを使いこなしているようだ。
「あんたの写真が見たいって」
「えー」
「世海くんにも見せるみたいよ」
「マジか〜」
仕事終わり、酒を飲んだし唐揚げも食べてる。宣材写真だろうけど、幼馴染の非の打ち所のない完璧な写真を見た後なので、できれば明日以降のきちんとメイクをした直後にしてほしいが、美帆子のスマホにはピコンピコンとメッセージが立て続けに届いている。
「相当あんたのこと見たいのね。いいじゃない、顔のテカリなんてそんなに目立たないわよ」
「今のスマホ画像の解像度バカになんないから。ちょっと待って、脂だけ取らせて」
手近にあったティッシュを取って額に当ててると、美帆子が何やらメッセージを送ってる。
「海帆は今あせって顔の脂を取ってます、て送っておいた」
「やめてよー」
文句を言いながら海帆はくすくすと笑う。懐かしい人たちと再び交流できることに少しだけ高揚してる。
「メグさん、びっくりするんじゃない? あんたの変わりようを見て」
「それ酷くない?」
「だって小さい頃のあんた、むちゃくちゃ可愛い格好ばっかりさせられてたのよ。リボンとかフリルとか大好きでね、絶対にズボンなんて履かせなかったんだから、メグさんは。髪が癖毛でくるくるになっちゃうのを上手にまとめてたしね~」
お母さんやってみたけど、無理だったわー。
昔話に花が咲く美帆子に相槌を打ちつつ、海帆は涙ぐましくメイクを直す。
「あんた、日本に帰ってきてすぐに髪切っちゃったんだもん」
「お母さんがバレーボールクラブに入れたんじゃん。スポーツするのに長い髪は邪魔でしょ」
「だってあんたよく食べたから、ぷくぷく太ってきちゃって。これは大変!てなんでもいいからスポーツをやらせたら大学までバレー続けちゃってさ。髪は伸ばさないし、部活で張り上げてたから声はかすれて低くなってるし、背ばっかり伸びるからやたら男前に育つし」
「いいじゃない。お陰でお客様のウケはいいんだから。はい、できたよ。これ以上はよくならないからさっさと撮っちゃって」
ティッシュオフをして髪型も整えて、海帆は母親が構えるスマホに微笑みかけた。撮られた画像はリラックスしたいい表情だったので、送信の許可を出す。
すぐにまた返信が来た。
「すごくハンサムになったわね! だって」
爆笑する母親を尻目に、まあそういう反応だろうなと海帆も笑った。
『
母親からのメッセージの後には、くつろいだ表情で微笑むショートカットの女性の画像が送られてきた。
見るつもりはなかったが、つい目がいってしまいスクロールする指が止まる。
猫を思わせる涼し気な目元に通った鼻筋。口は小造りなので全体的に冷たい印象があるが、笑うと目元が垂れて柔らかくて優しい顔になる。
記憶の中にある笑顔と同じだった。
ただ唯一違うのは、世海の福の子は長く波打つ綺麗な黒髪の持ち主だったが、画像の女性の髪は耳よりも短い。
キツめな顔つきと相まって、これでは男に間違えられてばかりだろうな、と世海は冷めた目でスマホを見下ろした。
「エリック、それ誰? すごくカッコいい人ね」
思ってたよりもスマホを凝視していたらしい。ヘアメイクの女性の言葉にはっとして、世海は見入っていたスマホをそっと伏せた。
「さあ、母親が勝手に送ってきたんだ」
「ふーん。エリックの親戚の人? やっぱりイケメンて家系なのね」
なんとも答えようがないので、世海はあいまいに笑って肩を竦める。
「エリック。スタンバイいいか?」
控室のドアを開けて、マネージャーが声をかけてくる。
セットもちょうど終わったらしく、ヘアメイクの女性は鏡越しに世海に頷いた。
こちらも鏡に向かって頷き返して、世海は席を立ち、ドアに向かう。
手に持ったスマホの画面には、福の子の画像が消えずに微笑みかけていた。
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