03.フィーナの想い

<フィーナの視点>


 あの時のことは断片的にしか思い出せない。けれど今でも、ふとした瞬間に蘇ってくる。血と土と汗――そして鉄の匂い。それらが混ざり合った、絶望の匂い。


 両親に連れられての行商からの帰り道。馬車の荷台で、買ってもらったばかりの木彫りの馬の玩具を両手で転がしていた。

 幸せだった。何も知らなかった。


 突然、荷馬車が止まった。

 嫌な予感が胸の奥から這い上がってくる。馬の嘶きが耳に刺さる。いつもとは違う――悲鳴のような、引き裂かれるような声だった。心臓が早鐘を打ち始める。


「……お父さん?」


 震える声で呼んでみる。返事はなかった。

 次の瞬間、馬車の外で何かが壊れる音がした。木が割れる音。金属がぶつかる音。そして怒鳴り声――粗野で、暴力的で、獣のような声が飛び交った。


「逃げろ!」


 父の叫び声。絞り出すような声だった。

 でも遅かった。荷台の幌が乱暴に引き剥がされ、まぶしい光と一緒に男が飛び込んできた。汗と酒の臭い。血走った目。手には大きな斧。


 斧が振り下ろされる。

 母の悲鳴。

 鈍い音。

 温かいものが顔に飛び散った。


 世界が赤く染まった。


 それから何が起きたのか、あまり覚えていない。

 私の理解を超えてしまったんだと思う。頭が真っ白になって、何も考えられない。

 気付いたときには全てが静かになっていて、見知らぬ少年と手を繋いで森の中を歩いていた。


 道中、少年は何も言わなかったし、私も口を開かなかったけど。

 今でも私は繋いだ手のあたたかさを覚えている。



 ――次の日。

 私はまだ現実を受け入れることができていなかったのだと思う。世界と自分の間に薄い膜ができたような、ガラス越しに景色を見ているような、そんな感覚だった。音も、色も、全てが遠い。

 自分がここにいない気がした。


 そんな私に少年はとても優しかった。


「そんなに緊張しなくても大丈夫。ここは安全だから」


 安全。

 その言葉が、ゆっくりと胸に落ちていく。

 安全って何だっけ。昨日まであったものが全部音を立てて壊れたのに。温かかった家族がもういないのに。

 私は返事をする代わりに服の袖を強く握りしめた。小さく震える指先力を込める。


「ここは俺の家だ。盗賊も奴隷商も来ない。もし来たとしても俺が守ってやる」


 その言葉に何かが引っかかる。守る?本当に?

 信じたい。でも怖い。また失うのが怖い。


「……本当に?」


 自分でも驚くくらい縋るような声だった。掠れていて、今にも泣きそうで。


「ああ、もう大丈夫だ。君は助かったんだ」


 助かった――?

 その言葉が、堰を切った。

 お父さんは?お母さんは?私だけが助かって二人はもういないの?


 力が抜けた。膝ががくりと崩れて床に座り込む。視界が滲む。


(……あ、だめ)


 涙が止まらない。

 声を出したら、現実を認めてしまう気がした。だから必死に抑えた。唇を噛んで、喉の奥で嗚咽を押し殺す。でも、体の震えが止まらない。息が苦しい。あたたかい部屋なのに、寒い。手足の先が氷みたいに冷たい。


「……おとうさん……おかあさん……」


 声が漏れる。それは私の意思とは関係なく、体の奥から溢れ出してくる。


 泣いている間、時間の感覚はなかった。どれくらい泣いたのかわからない。ただ涙が枯れるまで泣いて、呼吸が少し落ち着いてから私は床に向かって言った。


「助けてくれて、ありがとうございます」


 精一杯の感謝の言葉。


「……ごめん。君しか助けられなかった」


 その声は痛みを帯びていた。

 胸がぎゅっと縮む。


(……ちがう)


 違うのに。そんな顔しないで。

 私は首を振った。涙で濡れた顔を上げて真っすぐに見た。この人の目を。茶色い、優しい瞳。


「あなたは命をくれました」


 それは本当の気持ちだった。

 両親はもういない。私も一緒にあの森で終わっていたはずだった。

 それをこの少年が止めた。剣で、体で、命を賭けて。


 だから、もらった命で精いっぱい生きてみようと思った。それで、いつかこの少年にお返しがしたい。

 そう思うと、今度は少しだけ胸があたたかかった。


☆★☆★☆★☆★☆★☆★


 少年――テオ兄さんは、朴訥な人柄だった。

 善意100%で盗賊に立ち向かったことを私はすぐに理解した。打算も計算もなく、ただ「助けなければ」という一心で剣を振るったのだ。


 全く、信じられない。

 何の見返りもなく、面識のない少女一人のために命を懸けた。そんな人が本当にいるなんて。


 最初は助けてくれた恩だった。次にその人柄に絆された。一緒に食事をして、笑って、頭を撫でられて。

 一か月も経つ頃には、すっかりと兄さんのことが好きになってしまっていた。


 12歳の私にはよくわからなかったが、たぶん――初恋だったのかもしれない。



 ある晩、私は考えた。

 兄さんは私を助けた、その義務感で優しいのではないのかと。責任を感じて、仕方なく面倒を見ているのではないかと。

 そう思うと怖くなった。確かめたいと思った。本当の気持ちを知りたいと思った。


 夜。兄さんの部屋を訪ねた。

 兄さんは机に向かって勉強しているようだったけど、「一緒に寝てほしい」とお願いしたら、すごい勢いで立ち上がってベッドに並んでくれた。


(……はやい)


 思わず少しだけ笑いそうになる。

 布団の中はあたたかくて兄さんの体温が近い。布の向こうから温もりが伝わってくる。


(……生きてる)


 そんな、当たり前のことに安心する。

 静かな部屋。規則的な呼吸の音だけが重なって、この心地いい場所でこのまま寝てしまおうかと考える。

 でも、私は確かめなくてはいけない。兄さんの本当の気持ちを。


「……テオ兄さん」


 背中を向けて言う。顔を見たら言えなくなる気がしたから。


「兄さんは……どうして私に良くしてくれるんですか?助けてくれて、居場所までくれて、いつも優しくて……」


 聞いてしまったら。

 期待と違う答えをもらったら、この温もりが嘘になってしまう気がした。それでも、止められなかった。


「俺はあの日、フィーナを守れて嬉しかったんだ」


 その声は、迷いがなかった。真っすぐで、温かくて、嘘のない声だった。


「助けた時は正直よく分からなかった。でも今は君が可愛くて仕方がない。幸せにしたいって、思ってる」


 胸がどくんと鳴った。大きく、強く、痛いくらいに。


(……かわいい、しあわせにしたい……)


 頭の中で何度も繰り返す。布団をぎゅっと掴む。顔が熱い。耳まで真っ赤になっているのがわかる。

 安心と嬉しさとよく分からない感情が混ざって、どうしていいか分からない。布団を頭まで被って体を丸める。


 でも、待って。

 この兄さんの事だ、きっと「妹として幸せにしたい」とか思っているに違いない。家族として、保護者として、そういう意味で。

 期待してしまう心を制する。勘違いして、後でガッカリするのは嫌なのだ。


「好きなんだ!フィーナのことが!」


 ――――え。


(ええ!ええ、ええええええええぇぇ!?)


 頭が真っ白になる。

 混じり気のない本音。兄さんが本気で言っていることが分かる。声の震えで、真剣さで、熱量で。

 胸の奥がぎゅう、と締め付けられる。


 信じられないことに、兄さんは私に恋しているらしい。

 私を女の子として好きだと言っている。


 今すぐ叫びたかった。飛び起きて抱きつきたかった。でもそんなことをしたら心臓が爆発してしまいそうで、声を殺して必死に耐える。息を止める。布団の中で体を硬くする。

 心臓がうるさい。ドクドクと全身に鼓動が響いて、兄さんに聞こえてしまいそうなくらいだ。


「おやすみ、フィーナ」

「……はい。おやすみなさい。テオ兄さん」


 精一杯、普通を装って答える。声が震えていないか心配だったけど、兄さんは何も言わなかった。


 やがて、兄さんの呼吸が規則的に落ち着いていく。

 眠ったみたいだ。


 私はそっと布団の隙間から兄さんを見る。

 穏やかな寝顔。少し子供っぽくて、でも優しくて守ってくれる人。


(……離れないで。ずっと一緒にいて……)


 声に出さずに祈る。

 窓から差し込んだ月明かりが兄さんの顔を照らしている。


 この夜。私ははっきりと自覚してしまった。

 私はテオ兄さんが好きだ。恋している。家族としてじゃなく、女の子として。

 たぶん、兄さんが居ないと生きていけない。


 もしこの人がいなくなったら。

 もし心が離れたら。

 もし他の誰かを選んだら。


 考えただけで息ができなくなる。胸が苦しくて、冷たい恐怖が背筋を這い上がってくる。

 だから私は決めた。


 この人のそばにいる。

 必要とされる。役に立つ。守られるだけじゃなく、守れる存在になる。

 誰にも渡さない。


(だって……)


 テオ兄さんは、私の世界そのものなのだから。

 この人がいない世界なんて、考えられないのだから。



―――――――――――――――――――――――――

 ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

 読んでいただけたこと、とても嬉しいです。

 

 本日の投稿はここまでとなります。

 明日からは1エピソードずつ投稿していきます。

 10話までは毎日更新です。


 初めての投稿で右も左も分かりませんが、最後まで頑張ります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

守り抜いたヒロインたちが病んでいく件について 天宮しろ @Gurat

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画