多元宇宙(マルチバース)の私と冬限定コフレ、あるいは銀座におけるDiorの聖戦
1. 絶望の火曜日:AM 7:00
「無理。詰んだ。終わった」 2026年1月20日、火曜日。私は登校前のリビングで、食パンを咥えたまま絶望していた。
スマホの画面には、Diorの公式サイト。『ディオール フォーエヴァー クチュール ルミナイザー 〈ウィンター プリズム〉』。 雪の結晶を模したエンボス加工。肌に乗せればオーロラのように輝く偏光パール。限定3000個。 そして発売開始は、今日の午前10時。
「なんで平日なの! 学生の敵なの!? 転売ヤーの餌食だよこんなの!」 私が頭を抱えていると、天ノ川を飲んでいたヨブが不思議そうに首を傾げた。
「シズク、学校ヲ休メバ良イノデハ?」 「ダメだよ! 今日は体育で持久走があるの! サボったら補習で地獄を見るの!」 「持久走……? 空間ヲ縮地デ移動スレバ 0.2秒 デ終ワルゾ」 「私の内申点が『物理法則違反』でゼロになるからやめて」
ヨブはふむ、と第三の眼を細めた。 「ツマリ、シズクガ『学校ニイル』状態ト、『銀座デ並ブ』状態ヲ、量子力学的ニ重ネ合ワセレバ解決スル?」
嫌な予感がした。 「待って、シュレーディンガーの猫的な話? 私が生きたまま死んでるみたいな?」
「チガウ。平行世界(パラレルワールド)カラ、暇ソウナ『近衛雫』ヲ召喚シテ、代ワリニ並バセル」 「え?」
ヨブが指をパチンと鳴らすと、リビングの空間が鏡のように割れた。
2. アベンジャーズ(全員私):AM 7:15
割れた空間から、ぞろぞろと「私」が出てきた。
エントリーNo.1:【世紀末覇者シズク】 ボロボロの革ジャンにモヒカン(髪色は同じ灰色)、肩にはトゲ付きパッド。背中には巨大なバズーカを背負っている。 「ヒャッハー! 水だ! 新鮮な水があるぞぉぉ!!」 キッチンの水道水を見て号泣している。たぶん核戦争後の世界から来た私だ。
エントリーNo.2:【石油王シズク】 全身がハイブランド。Diorどころか、見たこともない貴金属(ヌルマテリアル)をジャラジャラさせている。後ろには執事を従えている。 「あら、ここが底辺の世界? 空気が埃っぽくて肺が腐りそうですわ」 すごい見下してくる。ムカつく。
エントリーNo.3:【限界社畜シズク】 目の下のクマが凄い。安っぽいスーツを着て、手にはエナジードリンク。 「え……今日……有給使っていいんですか……? 並ぶだけで……残業代出るんですか……?」 目から光が消えている。見ていて一番辛い。
「ヨブちゃん、人選ミスってない!? 話通じるかなこの人たち!」 「大丈夫。報酬ハ『Diorノ限定コフレ』ト伝エテアル。ドノ世界デモ、近衛雫ハDior信者ダ」
その言葉通り、3人の私は「ウィンタープリズム」の画像を見た瞬間、目の色を変えた。 『『『……イイ仕事(ヤマ)だ』』』
こうして、私は学校へ。 3人の「平行世界の私」は、銀座のデパートへ向かった。 引率兼監視役として、灯(妹)を付けて。
3. 銀座事変:AM 9:50
2時間目の数学の授業中。私は教科書に隠してスマホで灯からのビデオ通話を見ていた。 画面の向こうは地獄だった。
【世紀末シズク】の場合
『オラァァ!! 列を乱す奴は消毒だァー!!』 彼女は列の最後尾で、割り込み乗車しようとしたマナー違反客を、釘バット(どこから出した?)で威嚇していた。 治安維持能力が高すぎる。おかげで列が軍隊のように整列している。 「係員サン、ソノ水、放射能汚染サレテナイ? オレノ水筒ノ水(泥水)ト交換シテヤルヨ」 店員さんに親切にしているが、泥水を渡そうとするのはやめてほしい。
【石油王シズク】の場合
『このデパートごと買収しますわ』 『お客様、困ります!』 『じゃあDiorの化粧品部門をフランス本社ごと買います。小切手でいいかしら? 7000兆円で足りて?』 日本のGDPを超えないで。インフレが起きる。
【社畜シズク】の場合
『はいっ! こちら整理券の配布列形成における最適解を導き出しました! エクセルで管理表作ります! 効率化! PDCAサイクル!』 店員さんより働いている。あまりの手際の良さに、店員さんが「あの方をバイトリーダーにヘッドハントしたい」と囁き合っている。
(だ、大丈夫かな……目立ちすぎだけど、なんとかなりそう……?) 私はハラハラしながら見守っていた。 だが、開店10分前。 最大のイレギュラーが発生した。
4. ピンク色の特異点
画面の端から、ピンク色の髪の美少女が優雅にフレームインしてきた。 麻倉咲耶だ。
『あら? 雫さんの匂いがしますわ……それも、濃厚に』
咲耶さんは鼻をひくつかせ、3人の雫を見渡した。 普通の人間なら「ドッペルゲンガー!?」と驚くところだ。 しかし、彼女は頬を紅潮させ、恍惚の表情を浮かべた。
『夢……? いいえ、現実ですのね。ワイルドな雫さん、高貴な雫さん、働き者の雫さん……』 咲耶さんは胸の前で手を組んだ。 『全部、囲いたい(養いたい)』
思考回路が強欲すぎる。
『皆さん、寒空の下で並んでお肌が乾燥してしまいますわ。私の特製ミルクを……』 咲耶さんが懐から、例の半透明な白濁液が入った瓶を取り出した瞬間。
『『『ヒッ……!!』』』
3人の雫が同時に後ずさりした。 世界線が違っても、「咲耶のミルク」に対する本能的恐怖は共通らしい。 世紀末シズクがバズーカを構える。 『この液体……多分アレだな!? 危険物だ! 焼却処分する!』 石油王シズクが扇子で口元を覆う。 『下品ですわ! わたくしの世界でもそんな卑猥な液体、R-18指定ですことよ!』 社畜シズクがPCを閉じる。 『コンプラ違反です! セクシャルハラスメントです! 労基に駆け込みます!』
『まあ、皆さん照れ屋さんですのね。全員にかけて差し上げますわ!』 『来るなァァァ!!』 『撃てェェェ!!』
ズドォォン!! 銀座のデパート前で爆音が響いた。
5. 結末:PM 4:00
放課後。 私はゲッソリした顔で帰宅した。 ニュースでは『銀座で謎の集団幻覚騒動。コスプレイヤーによるフラッシュモブか?』と報じられている。 灯とヨブの空間操作による隠蔽工作のおかげで、なんとか警察沙汰は免れたらしい。
「……で、コフレは?」 私が聞くと、灯が申し訳無さそうに小さな紙袋を差し出した。 中には、粉々になった『ウィンター プリズム』の残骸が入っていた。
「ごめんお姉ちゃん。世紀末のお姉ちゃんが、咲耶お姉様にバズーカ撃っちゃって……その余波で」 「あ、私の7000円……」 私は膝から崩れ落ちた。 3人の平行世界の私は、ヨブによって元の世界へ強制送還されたらしい。 『二度と呼ぶな』『次は核ミサイルを持ってくる』『残業代請求します』という書き置きを残して。
「デモ、シズク。イイコトモアッタゾ」 ヨブがもぐもぐとドーナツ…ではなく土星の環を食べている。 「石油王ノ、シズクガ、オ駄賃クレタ」 ヨブの手には、純金の延べ棒があった。 灯の手元には、社畜シズクが置いていった「高機能ゲーミングPC」。
「……私だけ? 私だけ何も得してないの?」 私が涙目になっていると、玄関のチャイムが鳴った。 モニターには、爆発に巻き込まれたにも関わらず全く痕跡のない咲耶さんが映っていた。 手にはDiorのショッパー(買い物袋)が握られている。
『雫さん、 今日は素敵なサプライズ(分身)をありがとうございました!』 『お礼に買っておきましたわ。ウィンタープリズム……気に入って頂けるとよいのですが』
「えっ!?」 私はドアを開けた。神だ。咲耶さんは女神だったんだ。 「ありがとうございます咲耶さん! お代は払いますから!」
『いいえ、お金なんて。雫さんの笑顔が見れただけで充分ですわ』 咲耶さんはニッコリと笑い去っていった。その咲耶さんの姿に私の胸はトクンッと鼓動を打つ。後ろ姿、長い髪がたなびいて本当に綺麗……。
「やっぱり咲耶さんとの結婚悪くないかも……」
そう呟いた私の言葉は、何やら喧嘩を始めたヨブと灯には聞かれなかった。
私は早速コフレを開けリップを手に取る。念願のDiorのリップだ!私は早速唇に塗っ……た瞬間、何とも言えないネチャッとした感触を覚えた。そして私はショッパーの底にメッセージカードがある事に気付く。私は恐る恐るそれに目を通した。
『私の愛(ミルク)でコーティングしておきました♡ これで使うたびに私の遺伝子を感じられますわ』
「ギィエピィイィィ!!!!」
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