姉妹戦争とメビウスの輪、あるいはDiorのコンシーラーはいかにして異次元へ消えたか
1. 配信開始:嵐の前の偽りの静寂
2026年1月15日 午後4時02分。
「はーい、こんばんしずしず〜みなさーん! こんにちは、雫です♡」
私は6畳の自室(という名の戦場)で、2980円のリングライトの光を全身に浴びていた。 スマホの画面には、私が作った完璧な笑顔と、盛りに盛った小顔フィルター越しの私が映っている。
現在のフォロワー数、994人。あと6人。 たった6人で、憧れの「k(キロ)」の文字がつく。インフルエンサーとしてのスタートラインだ。 今日の企画は『リクエスト多数! 雫のスクールメイク紹介』。絶対に失敗できない。
「今日はね、質問箱で一番多かった『ベースメイク』からやっていくよ〜!」
声を張りながら、私は視界の端――画角ギリギリの外側を睨みつけた。 そこには、私のベッドを占拠する二人の人影があった。
一人は、私に求婚して宇宙を滅ぼしかけた異次元幼女、ヨブ。 もう一人は、私の実の妹にして、実はヨブと同等の能力者だったらしい灯(あかり)。
「コンバンシズシズ……」
二人は正座して、大人しく私の配信を見守っている……ように見えた。 ヨブが、スス……と音もなくお尻をずらし、私の方へ近づこうとするまでは。
2. ルービックキューブと無限回廊
ヨブの狙いは明白だ。 『配信ニ映リ込ンデ、既成事実(カップル成立)ヲ 作ル』 その欲望が、第三の眼からダダ漏れている。
ヨブが膝を浮かせ、カメラのフレーム内へ飛び込もうとした瞬間。
カチャッ。
灯が手元で遊んでいたルービックキューブを、一回だけ回した。
「……ン?」
ヨブの動きが止まる。 彼女は確かに右(私の方)へ動いたはずだった。しかし、彼女の体はまるでルームランナーに乗っているかのように、左(フレームの外)へとスライドしていく。
「……灯。オマエ、空間座標ヲ、パズルノ色ト同期サセタナ……?」
ヨブが額の眼を細めて妹を睨む。 灯は無言だ。私の学習机の影に隠れながら、虚空を見つめ、手元のキューブをカチャ、カチャ、とリズミカルに回し続ける。
その回転に合わせて、部屋の空間がぐにゃぐにゃと捻じれる。 天井と床の境目が曖昧になり、遠近感がエッシャーの騙し絵のように狂い始めた。
(ちょ、ちょっと待って!?)
私はパソコンの画面を見て凍りついた。 空間の歪みに、高性能な美容フィルターが追いついていない。
画面の中の私の顔が、空間湾曲に合わせてシャクレたり縮んだりを高速で繰り返している(折角空間がおかしくならないようギリギリを狙って1時間思考作したのに!?)。 エフェクトの「猫耳」が、頭ではなく鎖骨のあたりから生えてきた。
「えーっと! き、今日はこのDiorのスキン フォーエヴァー スキン コレクト コンシーラーコンシーラー00ニュートラルを使いますね!(声が裏返る)」
私は必死にコンシーラーを取り出した。 キャップを回す。回す。回す。 ……開かない。
「アレ? ちょっと固いかな〜? 新品だからかな〜?」
違う。 灯のパズル操作の余波で、「キャップ」と「ボトル」の座標軸が別次元に固定されてしまっている。 これを開けるには、私が4次元人になるか、ボトルをブラックホールに投げ込むしかない。
『顔バグってない?』 『フィルターかけ過ぎちゃった?どんまい!』『猫耳の位置そこなの?w』 『コンシーラー絶対開かない呪い?』『スクールメイクでDior使うの?』
コメント欄がざわつき始める。まずい。
3. ドミノ倒しとバタフライ・エフェクト
「ナラバ、力技デ」
業を煮やしたヨブが、背中の真珠色の羽根をバサリと広げた。
「座標強制上書キ(オーバーライト)。私ト、シズクノ間ノ距離ヲ『ゼロ』ニスル。膝ノ上ニ、転移スル」
ヨブが指をパチンと鳴らそうとした。 空間転移。防ぎようのない物理法則の無視。
だがその刹那、灯の足元で、ジェンガのように積み上げられていたドミノが一枚だけ、パタリと倒れた。
パタパタパタ……。 ドミノが倒れる微かな空気振動が、部屋の隅の埃を舞い上げ、それが窓からの西日を乱反射させ、光子がヨブの網膜の盲点を突き、彼女の三半規管を0.01秒だけ狂わせた。
結果、ヨブが指定した転移座標が「3センチ」ズレた。
「ギャッ!」
転移失敗。 ヨブが出現したのは私の膝の上ではなく、サイドテーブルに置いてあった「熱々の紅茶のカップ」の真上だった。
バシャァッ!
「アツッ! 熱耐性無効!? ナゼ!?」 「……そこ、熱力学の特異点にした」 灯がボソリと呟く。
「アアアア! スカートガ濡レタ! 宇宙ガ汚レタ!」
ヨブがのたうち回る。 その衝撃波(衝撃波?)で、ドレッサーの上に置いてあった私の命よりも大切な限定コフレ『サンク クルール クチュール823ローザムタビリス(9570円)』が宙に舞った。
「あああっ!? 私のサンクがぁぁぁ!!」
スローモーションで落下する宝石。 床はフローリング。落ちれば粉々だ。私のバイト代9時間分が消滅する。
私は配信中であることを忘れ、変な声を出して手を伸ばした。届かない。
その時。 灯が倒したドミノの最後の一枚が、ピタゴラスイッチのようにビー玉を弾き、そのビー玉が転がって、床に捨ててあった「焼肉の臭いが染み付いたクッション」を蹴り出した。
ボフッ。
パレットは奇跡的にクッションの上に着地した。 無傷だ。
私はへなへなと座り込んだ。 (ありがとう灯! でもそのクッション、昨日捨てようと思ってたやつ!)
4. 概念戦争
ヨブは濡れたスカートを瞬時に「乾燥(時間スキップ)」させると、怒髪天を衝く勢いで灯を睨みつけた。
「灯! オマエ、ナゼ邪魔ヲスル! 私トシズクガ結バレレバ、オマエニモ星系ヲヤルゾ! アカリ惑星ニアカリ座ヲツクルトイイ!アカリリュウセイグンデ銀河ヲ彩レ!焼肉モ食ベ放題ダ!」
「焼肉以外はいらない」 灯はルービックキューブを置き、静かに、しかし冷徹な眼差しで答えた。
「お姉ちゃんは『あの人』と結婚するの!」
「アノ人?」 「アノ人?」ヨブも私が首をかしげる。 私も初耳だ。思わずヨブのようにカタコトになってしまう。え、私に許嫁とかいたっけ? 親戚の許婚とかそういう古風な家柄じゃないよね?
灯の瞳が、熱を帯びてうっとりと細められる。
「優しくて、綺麗で、お料理が上手で、私にも優しくしてくれて、いい匂いがして、コスプレが似合って……麻倉咲耶(あさくら さくや)お姉さま」
「ギィエピィイィィ!!」
思わず私の口から絶叫が飛ぶ。
『なんだ今の!?』『音響トラブル?』『どう考えても人間から出る音じゃないよね?』『何かの事故?』
ざわつくコメント欄を横目に私は一部の望みを賭けて灯に確認する。
「サクヤさんって麻倉咲耶さん? うちの姉さんのバンドのボーカルの?」「うん」「ギィエピィイィィ!!!」
確かに咲耶さんは美人だ。お嬢様だし、料理もプロ級だし、性格も女神のように優しいし、発電もしてくれる。しかし……それを差し引いても余裕でアレは……。
灯は私の言葉を無視し、ヨブに向かって高らかに宣言する。
「咲耶お姉さまこそが、お姉ちゃんの正妻。そして私は咲耶お姉さまの妹になるの。ヨブちゃんは邪魔」
「サクヤ……?スデ二愛シ合ウモノガ……ホカノリユウナラトモカク……ソレダケハ……セメテ祝福サセテクレ」「えぇっ!?本当にそうなる流れなの!」
それを聞いて項垂れながらも身を引こうとするヨブ。愛する者と引き裂かれる苦しみは誰よりもよく知ってるのだろう。ヨブちゃん、いい子だなぁ……ちょっと星系を燃やしたり、うっかり宇宙を滅ぼしかけたりするけど、咲耶さんよりかはマシかもしれない……。
「あー私、ヨブちゃんと結婚したくなってきたかも……」
私がそう言った瞬間、ヨブの背後にブラックホールのような黒い渦が発生する。
「ヤハリ神二逆ラウ者ハ消ス!」
灯も負けじと、あやとりを取り出し、因果律の糸を紡ぎ始める。
5. あやとりと事象の地平線
「視聴者ノ皆様、見ヨ! コレガ『世界ノ終ワリ』ダ!」 ヨブが両手を掲げると、私の部屋の天井が剥がれ落ち、そこから無数の星々が瞬く宇宙空間が露出した。 『え、すげえ』 『プロジェクションマッピング?』 『今の配信者ってここまで仕込むの?』 『部屋の天井抜けてない? 大丈夫?』
「あははは! すごーい! 最近のルームツアー機能ってVR対応なんですね~!(白目)」 私は引きつった笑顔でカメラに手を振る。内心では心拍数がBPM200を超えていた。 灯は無言のまま、赤い毛糸で『あやとり』を続けている。彼女が指を複雑に交差させるたび、ヨブが展開したブラックホールの縁が、物理的にありえない角度で縫い合わされていく。
「空間縫合……!?」ヨブが驚愕する。 「……お姉ちゃんの部屋は、聖域。壊させない」 灯がボソリと呟き、親指と小指をパッと離した。 『あやとり:箒(ほうき)』 その瞬間、目に見 えない巨大な圧力が部屋を「掃除」した。ヨブの出した黒い渦が、掃除機に吸い込まれる埃のようにシュルシュルと消滅し、代わりに私のクローゼットの扉が弾け飛んだ。
バガァン!! 中から、私が隠していた「中二病時代のポエムノート(黒歴史)」や「安売りの時に買いだめしたプチプラコスメ」や「Hな漫画」が雪崩のように溢れ出す。
「いやああああ!! 映さないでぇぇぇ!!」 私はカメラのレンズを手で覆った。 社会的な死。物理的な死より恐ろしいものがそこにあった。
6. 降臨、ピンク色の災厄
その時だった。 破壊されたクローゼットの奥――本来なら壁があるはずの場所から、ピンク色の髪がふわりと揺れた。
「あら?賑やかですわね。雫さん?」
その声は、春の日差しのように暖かく、しかし背筋を凍らせる独特の響きを持っていた。 壁をすり抜けたわけではない。彼女が通るために、壁の方から「恐縮して道を空けた」かのように、空間が自然と開いていた。
麻倉咲耶。 私の天敵にして、灯の推し。そして私が所属する近衛家の長女が組むバンドのボーカル。
「咲耶お姉さま!」 灯の表情が、一瞬でとろけた。さっきまで因果律を操作していた冷徹な能力者の顔は消え、ただの憧れる少女の顔になる。 「サ、サクヤ……!?」 ヨブもまた、警戒心を露わにして後ずさる。全能に近い彼女が、本能的に「ヤバイ」と感じ取っているのだ。
咲耶さんは、瓦礫と化した私の部屋を優雅に歩き、散乱した私の黒歴史ノートを拾い上げた。 「まあ、可愛らしいノート。……『我が右腕に宿りし深紅の薔薇よ』? ふふ、雫さんは詩的センスもおありですね」 「読まないでえええぇぇ!? 返してええぇぇ!!」 私が奪い返そうと飛びつくと、咲耶さんはふわりと身をかわし、そのまま流れるような動作で私を抱きとめた。
7. 致命的な性癖
「きゃっ」 気がつくと、私は咲耶さんの腕の中にいた。 甘いバニラの香り。ふわふわの感触。至近距離で見ても毛穴一つない陶器のような肌。同性の私でもドキッとするほどの美貌。 もし彼女が「普通」なら、私はとっくに落ちていただろう。
「雫さん、大丈夫? お怪我はない?」 咲耶さんは心配そうに私の顔を覗き込む。 その瞳は宝石のように美しく――そして、まったく瞬きをしていなかった。
「は、はい……大丈夫です……離して……」 「よかった。雫さんが怪我をしたら、世界の損失ですもの」 そう言って私を抱き留める咲耶さんの手からネチャッとした感触が伝わる。
「えっ?」「さっきまで雫さんに差し上げるミルクを射してましたの」咲耶さんが自分の掌をソッと私にむける。そこには半透明な白濁液がベットリついていた。
咲耶さんは「えいっ♪」と、そのまま掌で私の顔を掴む。私の顔に彼女のミルクが付着する。
「ギィエピィイィィ!!!!」 私は音速で彼女から距離を取った。 これだ。これなのだ。 麻倉咲耶は、ミルクをかける事を求愛だと認識してる。しかもそれを「愛」だと信じて疑わない。純粋培養された狂気。
『出たー、咲耶さんの48のBUKKAKE技の中のミルク・デス・グリップだ~!』『咲耶さん私にもミルク飲ませて!』『こっちにかけて♡』
私のリスナーにも当然彼女のファンはいる。そのファンはいつものライブパフォーマンスだと思ったのか、何時ものレスポンスを返し始めた。咲耶さんはファンサとばかりに、何処からともなく半透明な白濁液に満ちた牛乳瓶を取り出した。
「ソ……ソンナニデルワケガナイ!!」 ヨブが叫ぶ。 「オカシイ、妙ダゾ?アキラカニ咲耶ノ体積ヨリダシタ量ガオオイ!?」
そのヨブの困惑に答えたのは私のリスナーだった。
『バカヤロー!咲耶さんに物理法則なんて関係ないんだよ!』『咲耶さんは生まれた瞬間にミルク出して自己授乳したんだよ!母乳を飲まずに成長したんだよ!』
「ナニ?サクヤ、オマエモクウカンシハイガ……コノ世界二カミハ三柱モイラナイ」「あら貴方もミルクが欲しいのですか?少し待って頂ければ…」「ソレハ脅シカ?」「咲耶お姉ちゃんに何かするなら…」
灯がムッとした顔でルービックキューブを構える。 ヨブが第三の眼を開く。 咲耶さんは自家製ミルクを飲み出した。
カオス。 地獄絵図が完成していた。
8. 1000人の目撃者
『今のって、PANDORAのボーカルの麻倉咲耶!?』 『サンをつけろ!SATSUGAIするぞ!』『うそ、本物!?』 『すげえ美人』 『演出ヤバすぎw 劇団でも呼んだの?』 『あのミルクって何なの?』『ライブで時々パフォーマンスで使うやつ』 『あれも演出だろw プロ意識たけー』
ピロン♪ スマホが通知音を鳴らした。 画面上の数字は、とっくに1000を超えていた。
「あ……」 目標達成。 咲耶さんの登場で、視聴者が爆発的に増えたのだ。 姉のバンドの人気、恐るべし。
「みなさーん! えーっと、今日の『異次元・姉妹喧嘩ドッキリ』はいかがでしたかー!? ゲストはPANDORAの麻倉咲耶さんと、近衛家の妹と、そのお友達でしたー!」
私は必死の形相で叫んだ。 「高評価とチャンネル登録お願いしまーす! アーカイブは残しません! 絶対に残しません!! それじゃあ、おつしずー!!」
ブツン。 配信を切った瞬間、私はその場にへたり込んだ。
「……もうやだ、この家」
私の呟きは、再び始まったヨブの光線と灯の重力波の衝突音、そして「あらあら、お掃除手伝いますわね。それとミルクは如何?」という咲耶さんの声にかき消された。
Diorのコンシーラーは、結局次元の狭間に消えたまま戻ってこなかった。
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