パンク精神と認知的不協和、あるいはお姉ちゃんはいかにして物理法則の崩壊を「最新の手品」と断定したか
帰宅:PM 6:00
近衛家の長女、近衛玲奈(17)は、重たいエコバッグを提げて玄関のドアを開けた。 革ジャンに安全ピン、髪には青いインナーカラー。見た目はバリバリのパンクロッカーだが、エコバッグの中身は「業務スーパー」で買い込んだ冷凍うどんと特売の卵である。
「ただいまー。今日は卵が安かったから、夕飯はオムライスにするよー」
リビングのドアを開ける。 そこには、いつもの光景が広がっているはずだった。 インフルエンサー気取りの次女・雫がスマホに向かってキメ顔をし、三女・灯が大人しくパズルをしている、平和な日常。
しかし、今日の近衛家のリビングは、物理的に「浮いて」いた。
「オカエリナサイ、レナ」
宙に浮いていた。 リビングの天井付近、シーリングライトの周りを、金髪の幼女がふわりふわりと遊泳していたのである。 背中には真珠色の羽根。額には怪しく光る第三の眼。 ヨブだ。
さらに、床では三女の灯がルービックキューブをカチャカチャと回していたが、彼女が回すたびにリビングのテーブルがメビウスの輪のようにねじれ、その上にあるミカンが「内側から皮が剥けていく」という奇怪な挙動を見せていた。
「……」
玲奈はエコバッグを床に置いた。 そして、無言でキッチンへ向かい、冷蔵庫から麦茶を取り出して一気飲みした。 「ふぅ」と一息つき、彼女はリビングに戻ると、天井のヨブに向かって腕組みをして言った。
「あんたたち、家の中でドローン飛ばすのはやめなって言ったでしょ?」
合理的解釈:PM 6:15
「はぁ!?」 ソファの裏に隠れて震えていた雫が飛び出した。 「お姉ちゃん!? どこ見てんの!? あれドローンじゃないよ! 生身だよ! 浮いてるんだよ!?」
「何言ってんの雫」 玲奈は呆れたように妹を見る。 「人間が浮くわけないじゃん。あれでしょ? 最近流行りのワイヤーアクションごっこ。灯、ピアノ線が見えないように上手く照明使ってるわね。美術の成績上がるよ」
「違う! ワイヤーなんてない! ほら見て、羽根! 羽根生えてるから!」 雫がヨブを指差す。
ヨブはパタパタと羽根を羽ばたかせ、玲奈の目の前に降り立った。 「私、ヨブ。空間支配者」
玲奈はヨブの羽根をまじまじと観察し、感心したように頷いた。 「すごい精巧な作りだねぇ。ドンキのコスプレコーナー? それとも結花の知り合いの劇団からの借り物? モーター仕込んで動くようにしてるんだ。最近のオモチャってすごーい」
「ホンモノ……」ヨブが少しムッとする。 「はいはい、設定守るタイプね。偉い偉い。私も結花にそこら辺甘いってよく言われるんだよね」 玲奈はヨブの頭を撫でた(ヨブは驚いてフリーズした)。
「で、その額のシール。第三の目? シールにしちゃリアルだけど、ちょっと悪趣味じゃない? 剥がしなよ」 玲奈が親指でヨブの額の眼をこする。
「イタッ! イタイ! 網膜ガ傷つく!」 「あ、ごめんごめん。特殊メイクか。接着剤強いんだね。お風呂入る時ちゃんとクレンジングで落とすんだよ?」
「ギィエピィイィィ!!」 雫が頭を抱えて絶叫した。 「お姉ちゃん! 認知歪みすぎ! なんでそこまで頑なに認めないの!?」
「あんたこそ、いつまで中二病やってんの」 玲奈はエプロンをつけ始めた。 「人間が空を飛んだり、目が三つあったりするわけないでしょ。全部トリックか演出。……あ、灯。テーブルの上のミカン、手品で剥いたの? 器用だねぇ」
灯は空間断裂で中身だけを転送させたミカンをモグモグ食べながら、無表情でコクンと頷いた。 「うん。……手品」 「ほら見なさい。灯は将来マジシャンになれるかもね」
玲奈の中では、「物理法則の崩壊」よりも「妹たちが高度な芸を身につけた」という解釈の方が、遥かに精神的コストが低いのだ。彼女はパンクな見た目に反して、ガチガチの現実主義者(リアリスト)だった。
料理と錬金術:PM 6:45
「じゃあご飯作るから、ヨブちゃんも食べていくでしょ?」 玲奈がキッチンに立つ。
「タベル! シズクノ家ノご飯、食ベル!」 ヨブが目を輝かせる。 「いい子だね。じゃあ手伝って。そこの人参、皮剥いておいて」
玲奈がピーラーを渡そうとした瞬間、ヨブが人参を睨みつけた。 「分解(デコンストラクション)」
シュゥゥゥ……。 人参の皮だけが分子レベルで分解され、塵となって消滅した。ツルツルの人参が残る。
「……」 玲奈の手が止まる。 雫が勝ち誇った顔をする。「見た!? 今見たでしょ!? 分子分解だよ!」
玲奈は数秒間フリーズした後、パチンと指を鳴らした。
「わかった。……通販で買った『超高速電動ピーラー』ね?」 「どこにモーター音がしたの!?」 「静音タイプなんでしょ。便利だねぇ、お姉ちゃんにも後で貸して。中国サイトで買った?」
「もうやだこの人!!」 雫が泣き崩れる。
ヨブは玲奈に褒められたのが嬉しかったのか、次々と食材を「加工」し始めた。 玉ねぎを睨んで「微塵切り(空間切断)」。 卵を睨んで「撹拌(遠心力操作)」。 フライパンを睨んで「加熱(プラズマ発生)」。
「わぁ、ヨブちゃんはお料理上手だねぇ」 玲奈はオムライスを作りながら、ニコニコしている。 「IHコンロ使わずに、手かざしだけで卵固めるなんて、すごいIH対応の手袋してるんだね」
「プラズマ……」 「はいはい、商品名が『プラズマ』ね。今の調理器具ってハイテク~」
リビングの温度が局地的に3000度になろうが、重力が反転してケチャップが天井に向かって落ちようが、玲奈は全て「最新家電」か「灯のいたずら」で処理した。 彼女のメンタルガードは鉄壁だった。
チャンネル争いと次元戦争:PM 7:30
食後。事件は起きた。 リビングのテレビのチャンネル権を巡り、ヨブと灯の間で戦争が勃発したのだ。
「アニメ見ル!」 「……ニュース見る」 「ヤダ! アニメ!」
ヨブが癇癪を起こし、第三の眼を開く。 「事象改変! テレビノ内容ヲ、強制的にアニメ二書キ換エル!」 ブウン! テレビ画面のニュースキャスターが、一瞬で魔法少女に変身した。
「……上書き」 灯がルービックキューブを回す。 カチャッ。 画面がノイズに包まれ、再びニュースに戻る。ただし、キャスターの顔が村上隆の絵みたいになっている。
「ムキーッ! ナラバ、テレビ局ゴト異次元へ送ッテヤル!」 「……させない。結界展開」
ヨブの背中から黒いオーラが噴出し、リビングの空間に亀裂が入る。 灯の周りの重力が歪み、ソファやクッションが浮き上がる。 閃光。轟音。 もはや室内は特撮映画のラストシーンのような有様だった。
「ひぃぃぃ!! お家が壊れるぅぅ!!」 雫がダイニングテーブルの下で震える。
しかし、洗い物を終えた玲奈が振り返り、ドスの効いた声を出した。
「こらぁぁぁ!!!」
ピタリ。 ヨブの黒いオーラも、灯の重力波も、一瞬で霧散した。
玲奈が仁王立ちしている。 彼女は、空間の裂け目(ブラックホール)を指差し、怒鳴った。
「部屋の中でプロジェクションマッピングするなって言ったでしょ!! 目がチカチカする!」
「……え?」 ヨブがぽかんとする。
「あと、その風! 扇風機最強にして紙吹雪散らすのやめなさい! 掃除するの誰だと思ってるの!?」 玲奈は、異次元の突風を「扇風機」、空間の亀裂を「映像演出」と断定した。
「シカシ、レナ……コレハ宇宙ノ……」 「言い訳しない! 電気代もったいないでしょ! あと灯! 浮いてるクッション片付けて! テグスで吊ってるんでしょ? 危ないから!」
玲奈はズカズカと歩み寄ると、ヨブの第三の眼(神の眼)に、あろうことか「冷えピタ」を貼り付けた。
「興奮して熱出してるんじゃないの? おでこ冷やして大人しくしてなさい」
「……ヒヤッとする」 神の力が、冷えピタによって封印された(物理的に視界が塞がれた)。
「灯も! パズルばっかりやってないでお風呂入ってきなさい!」 「……はーい」 灯は大人しく従った。お母さん(玲奈)には逆らえない。
エピローグ:PM 9:00
嵐が去ったリビング。 雫は疲労困憊でソファに沈んでいた。
「……お姉ちゃん。本当に、何もおかしいと思わなかったの?」 雫が虚ろな目で聞く。
玲奈は音楽雑誌を読みながら、不思議そうに首を傾げた。 「何が? 最近の子って遊びが派手だよね。ヨブちゃん、あんな本格的なマジックセット持ってるなんて、いいとこの子なのかな」
「マジックセット……」 「あと、あの子のカラコン、発色いいね。今度どこのメーカーか聞いといて。私もライブで使いたいから」
雫は悟った。 この人は、無敵だ。 常識という鎧が分厚すぎて、神の力さえも「ドン・キホーテの商品」まで格下げしてしまう。
その時、ヨブがお風呂から上がってきた。 冷えピタをおでこに貼ったまま、ポカポカした顔で玲奈に抱きつく。
「レナ、オ風呂、気持チ良カッタ! 背中ノ羽根、洗ッテクレテ アリガトウ」
「ん、いいよー。あの羽根、背中に直付けしてるボンドなかなか取れなかったけど、ちゃんと洗わないとかぶれるからね」
玲奈はヨブの頭を撫でる。 「明日は学校でしょ? ちゃんと寝なさいよ」 「ウン! オヤスミ、レナ!」
ヨブは嬉しそうに、階段を「浮遊」して二階へ上がっていった。
「……あ、またワイヤー使ってる。危ないなぁ」 玲奈は苦笑して、テレビのリモコンを手に取った。
雫は深くため息をつき、心の中で呟いた。 (ヨブ、あんた神様のくせに……お姉ちゃんの「お母さん力」に完全敗北してるじゃん……)
近衛家の平和は、長女の強靭な鈍感力(スルースキル)によって、今日もギリギリのところで守られているのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます