第四話 二軍の出世コース
ドッグランの角を曲がったところにある自販機の前で、里香は獲物を待ち構えていた。
「里香ちゃん、どうしたの? ドッグランで話せば良かったじゃん」
メッセージ一つでノコノコやって来た「ロキソニン」。里香に指示された通り、自分の犬はドッグランに置いてきている。
(これで、やりやすくなった)
ロキソニンの顔には、盛りのついたオス特有の、気色の悪いニヤニヤがベッタリと張り付いている。下卑た期待を隠そうともしないその面に、里香は鼻先を狙って頭突きを一発。
「……っ!?」
惜しい。意外にロキソニンの背が高かったせいで、頭頂部は彼の唇を強打した。口から血を流し、何が起きたか分からず呆然とするロキソニンに、里香の怒声が飛ぶ。
「おめーよーっ! あんな子ども騙しの嘘で女が引っかかるとでも思ってんのか!」
怯むロキソニンの髪を掴み、そのまま鉄の塊――自販機へとその頭を叩きつける。鈍い音が響いた。
「てめーみてーな女を舐めてる奴を見るとよぉ……虫唾が走んだよっ!」
トドメに股間への強烈なトーキック。ロキソニンが言葉にならない悲鳴を上げてその場に崩れ落ちる。
「どうした? かかってこいよ」
異変を察したジョセフが二人の間に割って入り、仲裁しようと鼻を鳴らす。里香は憑き物が落ちたような優しい声で諭した。
「いいんだよ、ジョセフ。あっちに行ってなさい」
「……っ、てんめぇ!!」
逆上したロキソニンがなりふり構わず殴りかかってくる。里香はそれを最小限のスウェーで避けると、がら空きの顎にショートアッパーを突き上げた。
意識を刈り取られたロキソニンは、糸の切れた人形のように崩れ落ち、ピクリとも動かない。
冷酷な目でそれを見下ろした里香は、おもむろにポケットからスティック型のスタンガンを取り出し、彼の肩に押し当てた。
バチバチッ! という電流の衝撃。壊れたブリキ人形のように手足をバタつかせ、ロキソニンが目を覚ます。
「お兄さん、大丈夫ですか?」
「……え、あ、はい……」
「良かった。今日は暑いですからね、熱中症でしょうか。ちゃんと病院行ってくださいね」
里香は聖母のような微笑みを残し、茫然自失のロキソニンを置いて悠々と家路についた。
(世直し完了っと!)
そこで新たなメッセージが。親友の雅だ。里香は、雅に会うためマクドナルドへと足を運んだ。
「よっ」
店内のボックス席で手を挙げた雅を見て、里香は思わず目を見開いた。
「お~……さすが美容学生じゃーん! 垢抜けてるぅー」
雅の髪色は、目の覚めるような鮮やかなブルーに変わっていた。
「まぁね〜。イイっしょ、コレ」
自慢げに髪をかき揚げる雅は、数週間前までの高校生らしい幼さを完全に脱ぎ捨てていた。
「うん、似合ってる」
「里香、ニート生活満喫してっか?」
「まぁね~……へへっ」
里香が照れ隠しに笑うと、雅はポテトを口に運びながらジロリとこちらを見た。
「まだ大学行ってないの?」
「……うん」
「行ってよ~。でさ、コンパ呼んでよ。うちの最強メンツで乗り込むからさ」
「さっそく男漁りっすか、カッケーっす姐さん」
「そりゃそーでしょ。今が人生で一番の『女の売り時』なんだから」
若宮先生の呪い――もとい、教えを地で行く雅の言葉に、里香は苦笑した。
「その『最強メンツ』、見せてもらっていいっすか?」
里香は雅の新しい友だちに興味津々で、差し出されたスマホの画面を凝視した。
数秒の沈黙。
「……うーん……ビミョ~……。髪色が明るいブスの集まりだな」
「ブハッ!!」
雅が盛大にコーラを吹き出した。
「おいこら、殺すぞ!」
「すいません、つい」
「うちら二軍は、どんなに頑張ってもここらが限界よ」
「三軍という説もありますが」
「三軍はあんたよ。私は垢抜けて二軍に昇格したの!」
そんな軽口を叩き合いながらも、里香は雅の変化を眩しく感じていた。
「なるほど。で、バイトの方は順調なん?」
雅のバイト――それは、夜の街、キャバクラだ。
「正直キツイね。エロジジイの相手は仕事だからいいんだけどさ、派閥とか足の引っ張り合いとか、中がウゼェ。……でも、尊敬できるところもある」
「と言いますと?」
「みんな、しっかり『シゴト』してるわ。私も頑張らなきゃなって思わされるね。……あーあ、私も太客欲しい……」
雅の目は、冗談めかしつつも現実をシビアに見つめていた。
「二軍には二軍の出世コースってのがあるのよ。キャバでボンボン捕まえて、子ども作って結婚。これが正解」
「姐さんはしっかりしてはる。現実を見てはる」
「そうよ。遊びなんて、時間の無駄」
「何歳までに結婚したいの?」
「22かな」
「早くない?」
「早く結婚しないで遊びたいとか言うじゃん? でもさ、遊びって何?」
里香は答えられなかった。
「いろんな男とやるのが遊びなの? だったら私、遊ばなくていいんだけど。別に」
その言葉に、里香は激しく同意した。
雅は、自分の足で自分の戦場を選び、戦っている。自分はどうだ。ジョセフの介護を理由にニートを決め込み、ドッグランで「ロキソニン」なんて名前を登録して遊んでいるだけでいいのか。
私も、私なりの「シゴト」を頑張らなきゃな。
帰り道、里香は心に誓った。ジョセフを幸せにするためには、自分も最低限の足場を固めなければならない。
(よし、大学……行ってみるか。単位、取りに)
佐藤里香、六年制ニートへの第一歩は、まさかの「真面目な通学」から始まることになった。
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