第三話 ロキソニン

​里香の心を映し出したかのような、どこまでも抜けるような晴天。

国立大合格、そして「六年制ニート」という異例の権利を勝ち取った里香は、ジョセフを連れてドッグランへと繰り出していた。

里香はシーソーに腰掛け、挨拶回りに勤しむジョセフを眺めていた。他の犬の尻尾の付け根を丁寧に嗅いで回るジョセフの姿は、隠居した老紳士のようで微笑ましい。

​ふと、芝生の一角で若い犬同士の小競り合いが始まった。牙を剥き出しにして唸り合う二匹。それを見たジョセフが、おぼつかない足取りで仲裁に入ったが、若犬たちの勢いに押されて簡単に追い払われてしまう。

​(偉いぞ、ジョセフ……本当の強さってのは、自分より強いものに立ち向かう勇気のことだもんね)

​ジョセフの精神性に一人で感動していた、その時だった。

ガタンッ! と、里香が座っていたシーソーの座面が、乱暴に跳ね上がった。

​「うわっ、と……!」

落っこちそうになりながら、里香は背後に振り向いた。反対側の座面に、一人の少年が乗っている。自分と同い年か、少し上に見える。

​「……何すんだよ。危ないだろ」

「あはは、ごめん。こんなに勢いよく上がると思わなくてさ」

​悪びれる様子もなくヘラヘラと笑う。顔立ちは整っているが、漂う雰囲気がとにかく軽い。

​「乗る前に一言声かけなよ。常識でしょ」

「ごめんって。怒んなよ」

​少年は勝手に里香の横まで歩いてきて、断りもなく並んで座った。距離感がバグっている。

「君の犬、どの子?」

「……そこにいるゴールデン」

「へぇー、かわいいね」

「気持ちがこもってないぞ」

「本当だって。俺、犬好きだし。」

『犬好き』のフレーズに反応すると、「君も犬好きなの?」とでもほざいて調子に乗ってきそうなので黙っておく。

「……ねぇ、君、いくつ?」

「十八」

「俺じゅーく。イッコ上だね。今日平日だけど、学校行ってないの?」

​「あんたこそ。ニート?」

里香が問い返すと、少年は胸を張って言い放った。

「モデルやってるんだ、俺」

​「へぇー。すごーい」

「気持ちがこもってないぞ」

「皮肉だよ。分かれよ」

​里香はあからさまに細めた目で、少年の横顔を検分した。

「モデルって、雑誌は何?」

「えっと、KiraKiraとか……」

「地方の情報誌じゃん。それ、モデルじゃなくてただの一般人枠でしょ」

「そ、そこで読スナ撮られて、事務所に声かけられてさ……」

どうだ、すごいでしょ? と言わんばかりのドヤ顔で覗き込んでくる少年に、里香の怒りのボルテージが静かに上がっていく。

​「で、事務所はどこ?」

「えっと、まだどこにも所属はしてないんだけど……」

「さっきから裏の取れねー話しか出てこねーな」

弱いところを突っ込まれて、​少年が嘘吐き特有の目を丸くした顔で里香を見てきた。

女を騙して、あわよくば一発やりたいという浅はかな願望。それを顔面ごとぶちのめしてやりたい衝動を、里香は公衆の面前という状況でグっと抑え込んだ。

​「……名前、なんていうの?」

里香が尋ねると、少年の顔が「お、釣れた」と言わんばかりに、パッと明るくなる。

(なんで嘘つきってバカが多いんだろ?さっきの一言で嘘がばれたって分かんだろ、フツー……)

​「ロキ」

「芸名かよ」

「君は?」

「里香」

「里香ちゃんか……なんかエモいね。ねぇ、里香ちゃん、メッセージ交換しようよ」

​里香の口角が、ほんの少しだけ吊り上がった。

「いいよ。交換しよ」

​(シメシメ……。カモがネギを背負って、自分からフライパンに入りに来た)

​里香は立ち上がり、芝生の臭いを頻りに嗅いで歩く愛犬を呼んだ。

「ジョセフーーっ、お家帰るよ!」

​尻尾を振りながら駆け寄ってくるジョセフの横で、里香はスマホを操作する。新しい獲物――もとい、世直し対象の連絡先が、里香のリストに追加された。登録名は『ロキソニン』

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