第6話 湯煙にほどける影
夕暮れの空気が冷えはじめる中、
「まずは……お風呂で洗いたいところだけど」
「この身体じゃあ、入れてくれるところは少ないかもな……」
「どうします?」
陽菜は少し考えたあと、ぱっと顔を明るくした。
「そうだ。僕がいつも汚れを落としてる風呂屋があるんだ。小さいけどね。そこに行こう」
一同は陽菜の後をついて、細い路地を抜けていった。
古い木造の建物。年季の入った暖簾が、夕風に揺れている。
「ここだよ。小さいけど、僕はよくお世話になってる。家みたいなものかな」
戸を開けると、奥から柔らかな声がした。
「おやおや、陽菜ちゃん。おかえり」
現れたのは、背の小さなおばあさんだった。彩葉たちを見ると、目を細める。
「お友達を連れてきたんだね……おや、その子、ずいぶん汚れてるじゃないか。さぁ、上がっておいき」
「いいのか?」
喰が戸惑う。
「いいんだよ。もうこんな時間だし、人も来なくなったからね。今日は閉めようと思ってたところさ」
「ありがと、おばあちゃん」
彩葉は深く頭を下げた。
「失礼します……」
「お邪魔します」
影は小さく口を動かした。
「……ろ……」
「どうした、影」
「……お……ふろ?」
「あぁ。お前を綺麗にするんだぞ」
「……きれ……い?」
喰は一瞬言葉を詰まらせ、それから優しく言った。
「あぁ。言っただろ。必ず幸せにするって……オレはここで待ってる」
「一緒に入ればいいのに」と陽菜が言う。
「オレに女湯を覗く趣味はねぇ!」
すると、おばあさんが笑った。
「ほっほっほ。性別なんて関係ないさ。一緒に入ればいいのに」
「いや! オレは入らねぇ! って、おい、離せ!」
「つべこべ言わずに入るの!」
陽菜に引きずられ、喰は抵抗虚しく連れて行かれた。
彩葉はその様子を見て、思わず小さく笑った。
湯気の立ちのぼる浴場。髪を洗い、身体を流し、ゆっくりと湯に浸かる。
「湯加減はどうですか〜?」と彩葉が声をかける。
「……あ……あったか……い」
影の声は、以前よりも少しはっきりしていた。
「影ちゃん、だいぶ話せるようになったね」
陽菜が嬉しそうに言う。
「きれいな黒髪……」と彩葉は目を細めた。
「……で? あんたはなんで黙ってんの?」
「う、うるせぇ……」
喰は顔を背ける。
陽菜は少し間を置いてから、穏やかに尋ねた。
「ねぇ……あの子のこと、教えてくれる?」
「……ここでか?」
しばらく沈黙が流れ、やがて喰は諦めたように口を開いた。
「あいつはな……親に捨てられたんだ。暴力を振るう父親に……母親は逃げたらしい。あいつを置いて」
湯気の向こうで、影は静かに湯に浸かっている。
「路地にいたあいつに会ったのは、捨てられた直後だった。オレは
喰の声は低く、しかし優しかった。
「それで……放っておけなくてな」
「そうだったんだ……」
陽菜はそっと言った。
「でもさ。昔が辛くても、今を元気に生きればいいんだよ」
「あぁ……そうだな……」
風呂から上がると、外ではすでに夜の気配が濃くなっていた。
「ご飯の準備ができたよ〜」
おばあさんの声に、全員が振り向く。
「いやいや、そこまでしてもらうわけには……」
「いいんだよ」
おばあさんは微笑んだ。
「ここも、そろそろ閉めようと思ってね。孫たちが東京に行くことになって、一緒に暮らさないかって……だから、最後くらいお礼がしたくて」
陽菜は一瞬黙り込み、それから静かにうなずいた。
「……わかりました。ありがたくいただきます」
「感謝するぜ」
「ありがとうございます!」
「孫がたくさんできたみたいで、嬉しいねぇ」
卓を囲み、温かい食事を前にする。
「いただきます」
湯煙の向こうでほどけた影は、少しずつ、確かに光へと近づいていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます