第10話:元部下たちの自滅
「佐藤さん! お待ちしておりました!」
南青山のオフィスビル、そのエントランス。 自動ドアが開いた瞬間、待ち構えていた二人の影が、まるで糸の切れた人形のように深く頭を下げた。
高橋と河野だ。 かつて俺が「次期エース」と見込み、そして俺が辞めた途端に「無能な働き者」と嘲笑った元部下たち。 今日の二人は、見る影もなく惨めだった。高橋のシャツの襟元は汗で黄ばみ、河野の派手だったメイクは崩れ、隠しきれない隈が目元の暗さを強調している。
「佐藤さん、いえ、佐藤先生! 先日は失礼なことを……あれは、その、佐々木支店長に言わされていたんです! 私たちは本当は、ずっと佐藤さんを尊敬して……!」
高橋が、擦り寄るような手つきで俺の高級なカシミアコートに触れようとする。その指先からは、安タバコと焦燥の入り混じった、不快な匂いが漂ってきた。
「そうですよ、佐藤さん!」河野が、上目遣いで、かつての媚びるような声色を絞り出す。「私、佐藤さんのあの熱い指導が、今ならわかるんです。今の支店は数字ばかりで……佐藤さんの事務所で、私をまた育てていただけませんか?」
俺は、一歩も足を止めなかった。 「……そこをどいてくれないか。冷房が逃げる」
俺の冷徹な一言に、二人は凍りついたように立ち尽くした。 事務所の応接室。かつては俺が頭を下げて回った側だが、今は最高級の革張りのソファが俺の体を優しく包み込む。 俺は秘書に目配せし、二人を中に入れた。
「佐藤先生、どうか!」 二人は、入室するなり床に膝をついた。銀行員としてのプライドなど、四十億という数字の前では、道端の小石ほどの価値もないらしい。
「高橋、河野。顔を上げろ」 俺は、デスクの上のクリスタル製のペーパーウェイトを弄びながら、静かに告げた。 「君たちは、俺が銀行を辞めた時、何と言ったか覚えているか? 『看板がないアンタに価値はない』。そう言ったな」
二人の肩が、びくりと跳ねる。
「……あ、あれは……その……」
「いや、いいんだ。君たちの言葉は正しかった。事実、俺から三文字の銀行ロゴを奪えば、ただの五十過ぎの男だ。……だがな」
俺は前かがみになり、二人の瞳を真っ直ぐに射抜いた。 「君たちはどうだ? 今、その銀行の看板を剥ぎ取られて、何が残る?」
「え……?」
「君たちは、俺がビットコインで得た富を『運がいいだけだ』と思っているんだろう。だが、俺は十年前、組織のルールがすべてだと思い込む君たちの横で、リスクを取り、未来を信じ、批判に耐えて持ち続けた。……それが『個の力』だ」
俺は、立ち上がり、窓の外のビル群を指差した。
「君たちは、組織という大きな船に乗って、自分たちが漕いでいるつもりでいた。だが、船から降ろされた途端、泳ぎ方も知らない君たちは溺れるしかない。……君たちが言った通り、私は看板を失った。だが、君たちは銀行の看板がなければ、私より遥かに無能だ」
「そ、そんな……」 高橋の顔から、生気が完全に消え失せた。
「今の君たちに、一円の価値も感じない。……高橋。お前が担当していた大口顧客は、すべて私の個人事務所に資産を移した。河野。君がバカにしていた私の『古い精神論』を、救われた社長たちは涙を流して喜んでいる。……君たちの居場所は、もう、あの組織の中にも、この外の世界にもない」
「佐藤さん! お願いです! 辞めさせないでください!」
「辞めさせる? 勘違いするな。俺にそんな権限はない。……ただ、君たちの支店長には伝えてある。『この二人を窓際に置くのが、今後の当行との良好な関係の条件だ』とな」
「……っ!!」
二人は絶望のあまり、声も出せずに崩れ落ちた。 これから彼らを待つのは、終わりのない書類整理と、誰からも声をかけられない静寂の席。かつて俺に浴びせた嘲笑が、これからの彼らの人生に、呪いとなって降り注ぐのだ。
「……警備員を呼びなさい。彼らは、もう客ではない」
俺が背を向けると、二人は引きずり出されるように退室していった。 廊下からは、高橋の情けない叫び声と、河野の啜り泣きが聞こえてくる。 だが、俺の心には一点の曇りもなかった。
窓の外では、夕焼けが街を黄金色に染めている。 俺は、手元のスマートフォンで、最後の一仕事を終えた。 かつての勤務先の株を、市場価格を崩さない程度に、だが確実に「支配」できるまで買い増す指示だ。
「……さて」
俺は、デスクの上に置いた家族写真を眺めた。 そこには、満面の笑みを浮かべる恵子の姿がある。 復讐は終わった。 これからは、この「四十億」という名の翼を使って、本当に大切な人たちと、見たこともない景色を見に行こう。
俺は、重厚な革張りの椅子を蹴った。 看板のない俺が、今、伝説のその先へと歩き出す。
「ざまぁみろ、なんて……。もう、思い出す必要さえないな」
俺は、光り輝く街へと、力強く足を踏み出した。
ついに完結ですね。このラスト、いかがでしたでしょうか。銀行の窓際族となった元部下たちと、真の自由を手に入れた佐藤のコントラストが際立つエンディングになったかと思います。
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