第7話:再会、そして「ざまぁ」の序曲

「佐藤さん……? なんで、アンタがここにいるんですか」


かつての愛弟子、高橋の放った言葉が、湿度の高い会議室の空気を震わせた。 場所は、倒産寸前の精密部品メーカー『信濃精機』の応接室。窓の外には、どす黒い雨雲が立ち込め、今にも泣き出しそうな空の下、工場の稼働音は死にゆく者の鼓動のように弱々しく響いている。


「ああ、高橋。相変わらず、ネクタイの結び目が緩いな」


俺は、特注の濃紺のスーツに身を包み、安物のパイプ椅子ではなく、持参した自分のペースでそこに座った。 高橋の隣には、かつての部下である河野もいる。彼女は俺の姿を見るなり、隠しきれない蔑みの色を瞳に浮かべた。


「佐藤さん、ここは遊び場じゃないんですよ。うちはメインバンクとして、信濃精機さんの『最終宣告』に来たんです。コンサルの真似事は、ハロワの待ち時間にでもやっててくださいよ」


河野がクスクスと、鼻をつく香水の匂いを振りまきながら笑う。 高橋も、手元の分厚い融資資料をこれ見よがしに叩いた。


「いいですか、佐藤さん。この会社はもう限界だ。赤字は累積三億。銀行の格付けは『破綻懸念先』。僕らが融資を回収しなきゃ、うちの支店の成績に響くんです。アンタみたいな『看板のない落ちぶれ』に、何ができるって言うんですか?」


二人の言葉は、かつて俺が彼らに教えた「銀行員としての冷徹さ」を、歪んだ形で再生産したものだった。 信濃精機の信濃社長が、真っ白な顔でテーブルに突っ伏している。


「佐藤さん……せっかく来ていただいたのに、申し訳ない。もう、万策尽きました。銀行さんが貸してくれないんじゃ、うちは今日で……」


「社長、顔を上げてください」 俺は静かに、だが部屋の隅々まで通る声で告げた。 「高橋。お前は今、この会社を『三億の赤字』と言ったな。銀行の物差しではそうだろう。だが、俺の物差しでは違う。ここは『十億の未来』を生む場所だ」


「ハッ、何言ってんだか。十億? アンタの頭の中の仮想通貨(ファンタジー)ですか?」 高橋が喉を鳴らして笑い、河野がそれに追従する。


「いいからどいてください、佐藤さん。今から差し押さえの手続きの打ち合わせなんです。部外者がいると邪魔だ——」


「高橋。お前の融資枠は、いくらだ」


俺の問いに、高橋が眉をひそめた。 「……支店の決裁権限じゃ、せいぜい追加で五千万が限界ですよ。まあ、それすら出す気はありませんけどね」


「そうか。五千万か」


俺は、胸ポケットから一枚の小切手帳を取り出した。いや、正確には、プライベート・バンクから発行された、特定の口座残高を証明するタブレット端末をテーブルに置いた。


「私は、信濃精機に『五億』の出資を決めた。融資ではない。返済義務のない、資本注入だ」


一瞬、部屋が静まり返った。 雨音が急に激しくなり、窓を叩く。


「……は? ご、五億……?」 高橋の顔から、余裕の笑みが剥がれ落ちた。 「何を……デタラメを……! そんな金、アンタのどこにあるって言うんだ! 早期退職の退職金なんて、せいぜい三千万だろ!」


「十年前の、俺の『好奇心』を笑ったな。高橋、河野。お前たちが『ゴミ』だと言ったビットコインが、今、どれほどの価値になっているか……銀行の端末で叩いてみろ」


俺はタブレットの画面を彼らに向けた。 そこには、認証をパスした直後の、目も眩むような「四十億円」の日本円換算残高が表示されていた。


「な……っ!? なんだよ、このゼロの数は……!」 高橋が身を乗り出し、画面を凝視する。その瞳が驚愕で大きく見開かれ、額からは滝のような汗が流れ出した。 「四、四十……億!? 嘘だ……ありえない……こんなの、個人が持てる額じゃない!」


河野は、持っていたブランドバッグを床に落とした。中身が散らばるのも構わず、震える指で画面を指差している。 「佐藤さん……これ、本物……? まさか、あの時の……」


「そうだ。お前たちが『ドブに捨てた』と言った俺の十年は、今、この銀行の一支店の決裁権限を遥かに凌駕する力になった」


俺は信濃社長に向き直り、穏やかに微笑んだ。 「社長、五億です。これで設備を最新鋭に入れ替え、世界シェアを獲りに行きましょう。銀行の顔色を窺う日々は、今日で終わりです」


「さ、佐藤さん……! ありがとうございます、ありがとうございます……!」 信濃社長が俺の手を握り、子供のように泣きじゃくる。


俺はゆっくりと立ち上がり、硬直したままの高橋と河野を見下ろした。 彼らの顔は、幽霊でも見たかのように青ざめ、さっきまでの傲慢さは微塵も残っていない。


「高橋。お前が言った通り、俺にはもう『銀行の看板』はない」


俺は一歩、高橋に詰め寄った。彼は怯えたように後ずさりし、背中が壁に当たった。 「だが、看板がない俺の方が、お前たちよりもずっと自由に、多くの人間を救える。……お前たちの仕事は、数字を管理することか? それとも、未来を殺すことか?」


「あ……あう……」 高橋は声にならない呻きを漏らし、膝がガクガクと震えている。


「河野。俺の説教には中身がないと言ったな。確かに、金のない正義は無力だ。だが、今は違う。……お前たちの生涯年収を束ねても届かないこの『中身』で、俺はこれからお前たちの世界を、根底から買い叩かせてもらうよ」


「ま、待ってください佐藤さん! 私たち、別にそんなつもりじゃ……!」 河野が縋り付こうとするが、俺は冷たくその手を振り払った。


「失礼するよ。これから別の『救うべき場所』へ行くのでね」


部屋を出る間際、俺は振り返らずに言い放った。


「あ、そうだ。高橋。お前の支店長に伝えておけ。近いうち、私の個人資産の全額を、お前の銀行から引き出させてもらう。……預金準備率に響くかもしれないが、まぁ、優秀な君たちのことだ。何とかするんだろう?」


背後で、高橋が力なくその場に座り込む音がした。


廊下に出ると、湿った風が頬を撫でた。 胸の奥に溜まっていた、黒い澱(おり)のような感情が、雨と共に洗い流されていく。 だが、これはまだ復讐の序章に過ぎない。


四十億の巨龍が、今、本格的に目を醒ましたのだ。


次は第8話「ビットコインの王、正体を明かす」ですね。佐藤の存在が公になり、メディアやかつての知人たちが手のひらを返して群がってくる中、佐藤がさらなる「ざまぁ」を完遂する展開をお書きしましょうか?


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