決行
あくる日から、全てのタイミングが重なった時にすぐ動けるよう、猫たちは交代制で待機している。
おそらく夕方になるだろうが、いかなる事態にも対応できるよう、念入りに備えてだ。
なかなか良いシチュエーションは訪れない。三者面談からもう一週間が経ってしまった。いや、今日――この日こそが本命だ。
今日も道で井戸端会議が開かれ、皆でワゴン車を待っている。
三十年という日々を重ねてすっかりおばさんになった陽向(ひなた)は思った通りあのアパートが気になるようで、チラチラと視線を向けていた。
悟はすでに帰宅し、家の中で過ごしている。
吾輩はソラに声をかけた。
「ソラ、悟を外に連れ出してくれないか。」
「えっ、どのようにですか?」
「ソラ。お主が悟を救いたいと言い出したのだ。よく考えてみろ。お前がやらなければ、誰も悟を救えんのだぞ。」
ソラは小さく息を呑んだ。
目に力が宿る。
首をコクリと縦に振ると、そのままベランダへと飛び乗った。
吾輩は——陽向を連れてこないとだな。
ソラが「ニャー」と鳴くと、窓が開き、悟が顔を出した。いつもの通り、悟はソラの身体を優しく撫でる。
ワゴン車から荷物を受け取った人たちは、また散り散りに帰っていった。
吾輩は陽向の前に立つ。
陽向は立ち止まり、互いに真っ直ぐに視線をぶつける。何かを察したのか、陽向は「待っててね。今荷物をしまってくるから。冷凍物を頼んじゃったの」と言い、家の中に消えた。
ベランダに目を向ける。
ソラは一瞬こちらを見て、サッとベランダから飛び降りると、地面から思いっきり悟に向かって鳴き続けた。
悟は窓からその様子を見つめる。ソラは再びベランダに飛び移り、身体を擦り付けると、また地面に降りる。見上げて鳴き続け、悟を誘う。
(頑張れ、ソラ)
吾輩は静かに見守る。他の猫たちも同じく、動かずソラを見守っていた。
再びベランダに飛び移り、悟に身体を擦り付けると、悟は「ソラ、僕を呼んでるの?」と声をかける。「ニャッ」とソラは短く返事をすると、地面に降りる。二階の窓が閉まり、階段から悟が降りてきた。
ちょうどそのタイミングで、陽向も玄関から現れる。吾輩は陽向に背を向け、振り返って「ニャー」と鳴いた。
陽向はコクリと頷き、吾輩の後ろについて歩く。どこに連れて行かれるかわかっているらしく、迷いなく真っ直ぐアパートを目指して進む。
悟がソラの元に辿り着くと、「どうしたの、ソラ」と声をかけ、側に座ろうとした瞬間、猫たちが悟の背中に飛び乗り、足にもまとわりついた。その衝撃で悟は前のめりに倒れてしまう。
「うわっ、痛っ」
そこへ陽向が駆け寄る。「大丈夫?」
(今だ!)
吾輩は倒れている悟の長袖Tシャツの裾を思いっきり首まで引っ張り上げた。
「キャッ!」
背中には、普段隠されていた赤や青の痕が色とりどりに浮かび上がっていた。
陽向は悟に向かって微笑みながら言った。
「私はこの辺に住んでいる、菊田陽向(きくた ひなた)といいます。お名前は?」
悟をそっと立たせ、服を整えながら優しく話しかける。
「木内 悟…です。」
「そう、悟くんていうのね。
ごめんね、今背中が見えちゃったけど、この痣は友達との喧嘩とかじゃないよね。」
陽向の悲しそうな微笑みに、悟は何も言わず口をギュッと閉じる。
側には、ソラがぴったり寄り添って座っていた。
陽向は足元のソラに視線を向ける。
「あなたが悟くんを守っているの?」
ソラはゆっくりと目を閉じた。
「悟のことを知らせたかったのね、助けてほしくて。」
それを聞いた悟はソラの顔を見つめると、大粒の涙を流し始めた。
声を出さないように必死に両手で口を覆っている。
「大丈夫よ。声を出して泣いても。そんなことで怒ったりしないから。」
陽向は悟を優しく包み込む。
その瞬間、悟は声を出して泣き始めた。小さな声はすぐに大きくなり、今まで押し込めていた感情を一気に吐き出すように涙を流す。
陽向は悟を抱きしめたまま、静かに話し始めた。
「私もね、昔、猫に助けてもらったことがあるの。
当時は、自分が死んでしまうような病気にかかっているだなんて気づいていなくてね。それを教えてくれたのが三毛猫だったのよ。私の体の悪いところを、一生懸命、何度も押してね。
『痛いでしょう。変でしょう』って言うみたいに。」
そう言って、そっと身体を離し、悟の目を覗き込む。
「そこにいる猫も、あなたのことが大好きなのね。
悟くんが悲しくて、痛い思いをしているのが辛いの。だから助けてほしくて、私に悟くんの痣を見せたのよ。」
ヒック、ヒック……
悟は涙を止めようとして、細かく息を吸い込む。
悟はソラを見た。
「ソラ……」
小さく呼ぶと、答えるようにソラは「ニャー」と鳴いた。
「ねぇ、悟くん。お母さんと離れるのは、とても辛いと思う。
でもね、少しの間だけ、この家を出てみない?」
「……お母さんの、ため?」
「そう。お母さんが、これ以上つらい思いをしないため。
今のお母さんはね、きっと少し疲れてしまっているの。本当は悟くんのことが大好きなのに、疲れているせいで、うまく優しくできないだけ。
きっと後で、『ひどいことをしちゃった』って、悲しくなっていると思う。」
陽向は優しく続けた。
「悟くんも、お母さんにそんな悲しい思い、してほしくないよね。」
悟は、うん、と小さく頷いた。
「だから、一度だけ、私に任せてもらってもいいかな。」
悟は何も言わず、その場に立ち尽くしたままだった。
しっかりしているとはいえ、まだ二年生。『分かれ』と言われても、簡単に理解できるわけじゃない。
その時、ソラが悟の足に、思いきり身体を擦りつけた。
まるで、応援しているように。
悟くん小さく
「はい。」と呟いた。
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