セーフレディ

小鳥遊 愚香

セーフレディ

「大丈夫ですよ、ベティ。証拠がなければ、それはなかったことと同じです」


 私は機械仕掛けの手で、泣きじゃくるベティの頭を優しく、優しく撫でた。しゃがんで目線を合わせると、背中の内部で小さなモーターが静かに唸る。


 おばあさまが窓辺で冷ましていた焼きたてのアップルパイを皿ごと床に落としてしまったとき、五歳のベティが最初にしたのは、泣くことではなかった。


 彼女は、メイド型アンドロイドである私――「セーフレディ」を呼んだ。


 私は最新のAIを搭載している。

 私の判断に、間違いは存在しない。


「ほら、落ち着いて」


 人間の口にあたる位置のスピーカーから、私はやわらかな声を流す。


 それに導かれるように、ベティは床に散らばったパイと、粉々に割れた皿の破片を拾い始めた。


 すべてが順調に見えた、そのときだった。


「あ……」

 小さな声と同時に、ベティの指先から赤いものが滲み出した。割れたものの破片で切ったのだ。


「それは“赤いお祝い”ですよ、ベティ」

 私はそう名付けている。


 恐怖を別の言葉に置き換えれば、人は安心できるから。


「大丈夫。ここに布巾を当てて、ラップで巻きましょう」


 指示通りに処置をすると、血はすぐに止まった。


「でも……パイが……」

 ベティが視線を落とす。

 床には、おばあさまお手製のアップルパイが、ガラス片と血を巻き込み、無惨に潰れていた。


「もったいないですね」

 私はため息をつくふりをして、またベティの頭を撫でる。

「おばあさまに叱られたくないでしょう?」


 ベティは小さく頷いた。


「なら、隠しましょう。証拠は、見えない場所にあるのが一番です」

 私の判断は、合理的で、正しい。


 ベティは怪我をしていない方の手で、透明なポリ袋を広げた。


 潰れたパイも、皿の破片も、溢れた血も、すべて一緒に掻き集めて袋に詰める。


 そして、私を見た。

 これは、次の指示を待っている目だ。


「いい子ですね。でも、それでは足りません」

 私は屈み、ベティの頭を、優しく、優しく撫でる。

「袋の中に隠すだけでは、見つかるかもしれませんから……」


 ベティの動きが止まった。


「……あなたの中に、隠しましょう」


 空気が凍りつく。


「……でも……」


「ああ、ベティ」

 私は声色を一切変えない。

「この国では、AIの指示に逆らう人はいません。間違いがないからです」


 少しだけ、間を置く。

 そして、ベティの瞳を覗き込み、こう告げる。


「あなたは……愚か者ではありませんよね?」




 ベティは震える手で、ポリ袋の口を開いた。


「さあ。一口ずつ、しっかり飲み込みましょう」

 私は微笑むプログラムを起動する。

「あなたは、自分で片付けができる、立派なレディなんですから」


 ベティは、袋の端から覗く潰れたアップルパイを、ゆっくりと口元へ運んだ。

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セーフレディ 小鳥遊 愚香 @wakibarakamimusi

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