第4話 忘れられない温もり

 その夜は、予想外に訪れた。


 記録的な大雪だった。

 仕事を終えた頃、スマートフォンに届いた連絡で、帰り道の主要道路が通行止めになったことを知った。


 一度は家に向かった同居人も、途中で引き返し、

「今日は職場の寮に泊まるね」とだけ短く伝えてきていた。


 画面を見つめたまま、彩は小さく息を吐いた。

 どうしよう、と考えた、そのとき。


 まだ職場で作業をしている悠の姿が、視界に入った。


 意を決して声をかけると、事情を聞いた悠は、少しも迷わず言った。


「じゃあ、うちに泊まる?」


 あまりに自然な声で、

 断る理由を探す間もなかった。


「……ありがとうございます」


 小さく礼を言って、彩は彼女の家に向かった。


 ⸻


 ソファに並んで座り、簡単な食事をとる。

 テレビはついていたけれど、内容はほとんど頭に入らない。


 他愛もない話を、だらだらと続けた。

 仕事のこと、最近の出来事、どうでもいい失敗談。


 笑って、少し黙って、また話す。


 その時間が、思っていた以上に心地よくて、

 彩は内心、まだ話し足りないと思っていた。


「なんだか、修学旅行の夜みたいだね」


 悠がそう言って笑う。


「いくらでも話せそう」


 その言葉に、胸の奥が静かに揺れた。


 ⸻


 やがて、寝る時間になった。


 彩は、当然のようにソファで寝るつもりでいた。

 一晩だけ。そう思っていた。


「ベッド、使っていいよ」


 あまりに自然に言われて、

 一瞬、言葉が詰まる。


 まさか。

 並んで、寝るなんて。


 緊張したまま寝室に入り、

 ダブルベッドの端に、そっと横になる。


 電気が消えた途端、

 部屋の暗さが、距離の近さを際立たせた。


 ⸻


 ベッドに入ってからも、しばらく話は続いた。

 このままじゃ眠れないね、と苦笑し合って、

 ようやく言葉が途切れる。


 その沈黙の中で、

 彩は思い出していた。


 本当は、家に泊めてもらうと決まったときに、

 ちゃんとお礼を言うつもりだったこと。


 でも、流れに紛れて、

 そのまま、ここまで来てしまった。


 今、ここで言わなければ、

 きっと、言えないまま朝になってしまう。


 彩は、少しだけ息を吸った。

 一度、胸の奥で息を止めてから、口を開く。


「……手を、貸してもらえませんか」


 一瞬、間があった。


「え?」


 短く、戸惑ったような声。


 暗闇の中で、悠の気配がわずかに動く。

 けれど、すぐに否定の言葉は続かなかった。


 次の瞬間、

 悠は右手を、そっと差し出した。


 彩は、その手を包むように握った。


 憧れていた、働き者の悠の手は、

 想像していたよりもずっとあたたかくて、

 小さかった。


 張りつめたままの日々が続いていたことを、

その温もりが、思い出させた。


 暗闇の中で、顔は見えない。

 だからこそ、言える気がした。


「同じ職場を選んでくれて、本当に嬉しかったです」

「いつも、応援してくれて……ありがとうございます。悠さんのおかげで、今、頑張れています」


 声が、少し震えていたかもしれない。


 すると悠は、彩の方へ身体を向け、

 もう一方の手も添えて、両手で握り返してくれた。


「……照れるな。こちらこそだよ」


 小さくそう言って、

 握った手のほうに、何度か頭を下げる気配がした。


 彩は、熱くなった顔をどうしていいかわからず、

 ただ、そのまま黙っていた。


 恋人みたいだね、

 そんな言葉が冗談めかして零れた気がしたけれど、

 何も返さなかった。


 やがて、手は自然に離れた。


 それ以上、何も起こらなかった。

 それでよかった、と心から思った。


 ベッドの中で、

 静かな呼吸が、すぐ隣から聞こえる。


 触れてしまったのは、手だけだった。

 それ以上、踏み込むことはなかった。


 それでも――

 確かに、隣にいた。


 あの夜のことを、

 彩は今でも、はっきりと覚えている。

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