第2話 通う理由

 仕事がきつい、と感じるようになったのは、いつからだっただろう。


 準備をして、考えて、全力で指導しても、評価は変わらない。

 上の立場は変わらず、努力が結果に結びつくこともない。

 それでも、身体を動かすことが好きで、現場に立つことだけはやめられなかった。


 だから私は、外の指導を受けてみようと思った。

 学びのためでもあり、少し息を抜くためでもあった。


 そうして出会ったのが、彩のクラスだった。


 彩の指導は、太陽みたいだった。


 心からトレーニングを楽しみ、弾けるような笑顔で、参加者一人ひとりを支えている。

 自分をよく見せようとする気配は、どこにもない。

 ただ、上手くなってほしい、続けてほしい、応援している――

 その思いが、動きや声のすべてに滲んでいた。


 ときどき、背中をぐっと押すような力強い声が飛ぶ。

 その一言で、場の空気が一段明るくなる。


 いつも、トレーニング後は疲労よりも温かさが残る。不思議な感覚だ。


「楽しかったです」


 トレーニング後、そう伝えることはあった。

 それ以上の言葉は、そのときはまだ口にしなかった。


 彩が私の店に来てくれたのは、あの一度きりだった。

 それなのに、気づけば今度は、私のほうが彼女の店を訪れるようになっていた。

 三時間の距離を越えて、月に何度か。


 当時の私は、それを特別なことだとは思っていなかった。

 学びと、気分転換。

 そう自分に言い聞かせていた。


 ただ、トレーニングを終えると、決まって肩の力が抜けていた。

 店を出る頃には、気持ちまで軽くなっている。


 あの場所には、彩が作る空気があった。


 前の職場を離れる決断をしたとき、

 努力がきちんと見てもらえる場所で、もう一度挑戦したいと思った。


 次の職場を探す中で、彩が店長を務めている店の名前を見つけた。

 条件だけなら、他にも選択肢はあった。


 それでも、あの空気の中で働いてみたいと思った。

 彩が、太陽みたいに人を照らしている、あの場所で。


 同じ職場で働くようになってから、

 私は初めて、面と向かって言葉にした。


「彩さんのレッスン、本当に楽しいです」

「もっと、自信を持っていいと思います」


 彩は一瞬きょとんとして、それから照れた顔を隠しながら少し困ったように笑った。

 その表情を見たとき、胸の奥がわずかに揺れた。


 これは尊敬だ。

 憧れだ。


 そう思いながらも、

 仕事を終えて店を出るたび、

 また明日会えるのが楽しみだな、と、

 自然に思ってしまう自分を、

 私はまだ、うまく説明できずにいた。


 その気持ちに名前をつけてしまったら、

 きっと、今の距離ではいられなくなる気がして。

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