第10話 聖なる簒奪:灰の帝国

1. 議長室の沈黙

​2029年、冬。かつての首相官邸、今は評議会議長室となった部屋で、新田真悟(あらた しんご)は一人、机上の写真を見つめていた。


10年前に逝った上官・葛城義彦(かつらぎ よしひこ)の穏やかな微笑みが、今の新田には耐え難い糾弾のように感じられた。


​「俺はこの国を強く、豊かにしたかった……。だが、これは本当に俺が望んだ景色なのか?」


自問自答を繰り返す新田の思考を、冷徹なノックの音が切り裂いた。


​2. 榊鉄平の虚無

​入室してきたのは、国家非常事態担当官・榊鉄平(さかき てっぺい)だった。彼は無造作に、その月に「排除」された反逆者の統計データを差し出した。「国家の浄化は順調です」


​その血の通わない声に、新田は思わず問いかける。「榊……君は自分の選択に疑問はないのか?愛する者を守るために自衛官になったのではないのか」。


榊は鼻で笑い、冷酷な本音をさらけ出しました。


「愛国心など、10代の頃の幻想ですよ。私が求めたのは、効率よく敵を殺害するスキルだけだ。私は慈眼(じげん)大師に従う。合法的にこの殺戮の腕を振るえるからです」。


かつての親友であり同期の、救いようのない虚無。新田は後戻りできない絶望を突きつけられた。


​3. 慈眼の「浄土」はアジアへ

​その頃、寺院では慈眼が側近の坊官・良覚(りょうかく)から、新田の「迷い」と榊の「忠誠」について報告を受けていた。


「真悟が統制不能になるなら、別の首にすげ替えるまでじゃ」。


慈眼の目は、すでに日本という小国を通り越し、世界地図に向けられていた。


​「日本の統治は足掛かりにすぎぬ。アジア5億の仏教徒を一つにまとめ、仏教王国を創るのじゃ。チベットの法王、北の指導者、そして天竺(インド)からヒンドゥー教を放逐し、釈尊の法を根付かせる。それこそが真の浄土よ」。


日本を覆った黒い雲は、今やアジア全土へとその触手を伸ばそうとしていた。


​4. 再征服(レコンキスタ)の完了

​革命から3年。旧政府側の最後の砦であった釧路駐屯地、各務原の航空自衛隊基地、そして呉の海上自衛隊基地がことごとく陥落した。反乱軍による日本の「再征服(レコンキスタ)」は、皮肉にもかつての同胞たちの血によって完成した。


​5. 大法皇の誕生

​翌年の3月15日。釈迦が入滅したとされる「涅槃」の日、奈良・東大寺の大仏殿にて歴史的な儀式が執り行われた。


巨大な毘盧舎那仏の前に置かれた黄金の玉座。慈眼は天台座主から黄金の冠を授けられ「全日本仏教総護持職」へと就任した。


​詰めかけた民衆は、地鳴りのような拍手喝采を送った。しかし、それは歓喜ではなく、逆らえば消されるという根源的な「恐怖」が生み出した演技だった。


人々は、強大な畏怖を込めて、新たな支配者をこう呼んだ。


​「大法皇(だいほうおう)」。


​この日、日本は名実ともに、慈眼という名の神が支配する暗黒の聖域へと変貌したのであった。


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動乱 EPISODE1 無邪気な棘 @mujakinatoge

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