第十二話 暖めなさいよ

残酷なことに、2人の時間は唐突な終わりを告げた。

夕暮れ時、尋の家を出て駅まで送っていく道中、公園の角を曲がったところで、それは最悪のタイミングで現れた。

「…え、霖ちゃん?」

そこにいたのは、クラスの男子数名と、あの佐伯だった。

「なんでこんなところに? ってか、隣にいるの……河井さん?」

静まり返る住宅街。霖の身体が、一瞬で「高嶺霖」の強張ったモードに切り替わるのが分かった。けれど、今回はいつもと違った。二人とも私服で、あまりにも「プライベートな距離」で並んでいたからだ。

「あ、えっと。偶然、会っただけ……」

尋が必死にフォローしようとするが、佐伯の目は誤魔化せなかった。

「偶然? 霖ちゃんの家、ここから電車で三十分はかかるよね。ねえ、もしかして河井さんの家に行ってたの?」


翌朝、学校へ行くと、空気は一変していた。

「高嶺さんが、あの根暗な河井と遊んでるらしいよ」

「図書室の話から怪しかったよね」

クスクスと笑い声が、棘のように尋の背中に刺さる。霖は中心で囲まれながら、必死に「勉強を教えてもらっていただけ」と取り繕っていたが、その表情にはかつてないほどの疲労が滲んでいた。


その日の放課後、図書室の扉は内側から鍵がかけられていた。

「尋。ごめん、今日だけは、外からの音を聞きたくないの」

霖は床に直接座り込み、膝に顔を埋めていた。

「バレちゃったね。私の、私達の『安らぎ』が、壊されちゃった」

震える声。尋はそっと、彼女の隣に座った。

「私のせいです。私が、なにも考えず送るなんて言ったから……」

「違うわよ。……私が、あんたといたかっただけ」

霖は顔を上げると、潤んだ瞳で尋を見つめた。

「ねえ、尋。今日も、あんたの家に行っていい? 帰りたくないの。今夜は、一人でいたくない。……泊まらせて」

それは、女王様のような命令ではなく、迷子の子供のような、弱々しくて辛さを隠そうとしない程の懇願だった。

尋は親に無理を言って許可を取り、二人は再び、あの狭い六畳間へと逃げ込んだ。

パジャマを貸し、一つの布団に潜り込む。

「狭いし、布団硬いし。でも、尋の匂いがする…」

口ではそんな毒を吐きながらも、霖は布団の中で、尋の手を痛いくらいに強く握りしめていた。


夜が更け、隣で霖の寝息が聞こえ始めた頃。

尋はふと思い出した。霖が、あの読書ノートを「まだ最後まで読んでない」と言って、枕元に置いていたことを。

(待って。最後のページには……)

心臓が止まりそうになった。

慌てて起き上がりノートを回収しようとした瞬間、隣の霖が、ゆっくりと尋に目を向けた。

その手には、既に開かれたノートがあった。

「尋。これ、いつ書いたの?」

月明かりに照らされた最後のページ。そこには、物語の考察ではなく、一人の少女への、あまりにも愚直で不器用な言葉が綴られていた。

『高嶺さんは、月みたい。周りの他人に照らされて遠くで光っている時は綺麗だけど、図書室で近くで触れ合うと、傷だらけで、寒そうで。私がその冷たさを、ずっと暖めてあげることができたらいいのに』

「…………」

沈黙が、部屋を支配する。

尋は顔を覆いたかった。消えてしまいたかった。

けれど、霖はノートを閉じると、そのまま尋の胸元に飛び込んできた。

「あんたの考察は、いつも正解ばっかりね。……ほんと、ムカつく」

霖の腕が、尋の首に回される。

「寒いのは嫌いよ。だから……責任取って、ずっと暖めなさいよ」

暗闇の中で、二人の呼吸が重なる。

教室のカーストも、他人の噂話も、もうここには届かない。

ただ、一冊の本を読み終えた時のような、深く、静かな余韻だけが、二人を包み込んでいた。

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