第九話 幸せな共存
「あー、もう! 意味わかんない! なんでレシピ通りにやってこうなるのよ!」
高嶺はキッチンカウンターに突っ伏して、じたばたと足を動かした。
「火加減とか、適当に最強にすれば早く終わると思っただけなのに……」
「料理は、強火で解決できることばかりじゃないですよ」
尋は思わず吹き出した。
いつも完璧で、教室の空気を指先一つで支配する彼女が、たった一皿のパスタに惨敗している。その姿が、たまらなく人間らしくて、愛おしかった。
「笑うな! もう、いいわよ。ピザでも取るから」
「あ…あの、もしよかったら、私が作り直しましょうか? 冷蔵庫にあるもので、よければ」
高嶺が顔を上げ、信じられないものを見るような目で尋を見た。
「あんた、料理できるの?」
「図書室の仕事がない日は、家でずっと作ってるので……」
三十分後。
キッチンから漂ってきたのは、食欲をそそるニンニクとベーコンの香ばしい匂いだった。
尋が手際よく作ったのは、あり合わせの野菜を使ったペペロンチーノ。
「信じられない。あんた、さっきまで本棚の隅っこで震えてたやつと同じ人間?」
高嶺はフォークを動かし、一口食べるごとに「悔しいけど、美味しいわね」と何度も呟いた。
さっきまでの「もてなす側の余裕」はどこへやら、今はただ、尋が作った料理を夢中で頬張る一人の少女だった。
「私…高嶺さんに勝てることなんて、何一つないと思ってました」
尋は、お団子頭を揺らしながら食べる高嶺を見つめ、小さく笑った。
「何言ってるのよ。あんた、私の前でそんな風に笑えるようになったじゃない。最初なんて、私の顔見るたびに辞世の句でも読みそうな顔してたのに」
高嶺は口をモグモグさせながら、尋の皿に自分のベーコンを一つ、分けてくれた。
「秘密の共有」から始まった関係は、いつの間にか「お互いの欠けた部分」を補い合う、不思議な心地よさへと変わり始めていた。
お腹が満たされると、部屋の中にはそれまで以上に濃密な、けれど刺々しくない静寂が流れ出した。
「あー、食った食った」
高嶺は行儀悪くベッドの上に寝転がると、枕元に置いてあった読みかけの文庫本を広げた。
「あんたも、そこ座って読みなよ。あ、椅子じゃなくていい。ベッドの上、来れば?」
尋は一瞬躊躇したけれど、高嶺のあまりに自然な誘いに、吸い寄せられるようにベッドの端に腰を下ろした。
柔らかなスプリングの感触と、高嶺から微かに漂う、フローラルなシャンプーとは違う、紙と埃が混じったような「本好き特有の匂い」が鼻をくすぐる。
二人は自然と、背中を合わせるような形で座り込んだ。
高嶺の体温が、制服ではない薄いジャージ越しに、じわりと尋の背中に伝わってくる。
「ねえ、河井さん。これ、良いね」
高嶺がページをめくる音と共に、ぽつりと零した。
「教室だとさ、誰かと一緒にいるってことは、喋り続けなきゃいけないってことでしょ。沈黙ができたら『私、何か失礼なことしたかな』とか『退屈させてるかな』って、みんなが私の顔を伺ってくる。それが、一番疲れるのよ」
尋は、自分の膝の上にある本を指でなぞった。
「分かります。でも、ここは、喋らなくていいんですね」
「そう。ただ、同じ空間に誰かがいて、それぞれ別の世界に浸ってる。こういうの、なんて言うんだっけ」
「……共存、でしょうか」
「固い。でも、嫌いじゃないわ」
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