第五話 安らぎ、そして侵略
放課後。
いつものように静まり返った図書室で、高嶺はソファに横たわり、尋が持ってきた新刊を顔に乗せていた。
「あー、糖分が染みる。河井さん、さっきの飴食べた?」
「はい。すごく、酸っぱかったです」
「でしょ? 私のストレスと同じくらいの酸度。あ、それより」
高嶺がパッと本を顔からどけ、真剣な目で尋を見上げた。
「あんたさ。最近、教室でおどおどしなくなったよね」
「えっ、そうですか……?」
「そうだよ。前は怯えた小動物みたいだったけど、今は…なんていうか、秘密基地を持ってるガキみたいな顔してる」
高嶺は体を起こすと、尋の眼鏡のフレームを指先で軽く弾いた。
「あんたの『安らぎ』が、私といるこの時間なんだとしたら……光栄に思いなさいよね」
尊大な物言い。けれど、その頬がわずかに赤らんでいるのを、尋は見逃さなかった。
クラスの頂点と底辺。
その境界線は、図書室の窓から差し込む夕闇に溶け、もうどこにも見当たらなくなっていた。
「……はい。私も、ここが一番好きです」
尋の言葉に、高嶺は「ふんっ」と鼻を鳴らして本に目を戻した。
二人の距離は、昨日よりも、文庫本一冊分だけ近付いていた。
翌日。いつもより空気が張り詰めていた。
放課後の図書室、高嶺はソファに深く沈み込み、毒づく元気もないほど疲れ切った様子で、尋の肩に頭を預けていた。
「ねえ、河井さん。今日、クラスの連中がさ……」
高嶺が本音を漏らしかけた、その時だった。
廊下から、複数の女子の笑い声と、バタバタと騒がしい足音が近づいてくる。
「……っ! 離れて!」
高嶺の目が一瞬で「ヒロイン」の光を帯び、弾かれたように尋から距離を取る。尋も慌てて返却本の山に手を伸ばした。
直後、図書室の重い扉が勢いよく開く。
「いたー! 霖ちゃん、やっぱりここ?」
入ってきたのは、クラスの女子グループのリーダー格・佐伯さんとその仲間たちだった。彼女たちは、場に似つかわしくない華やかな香水の匂いを振りまきながら、土足で踏み入るように室内を見渡す。
「最近、放課後すぐ消えるからさ。もしかして彼氏? とか言ってたんだけど、まさかの図書室?」
佐伯の鋭い視線が、高嶺の隣に立つ尋に突き刺さる。
「へえ、河井さんもいたんだ。珍しい組み合わせ」
尋は指先が震えるのを感じた。心臓が早鐘を打つ。
ここで自分が動揺すれば、高嶺の「仮面」が剥がれてしまう。
「あ、あの。高嶺さんは、その…推薦入試の、資料を探しに……」
尋が必死に声を絞り出すと、高嶺が被せるように、いつもの凛とした笑顔で言った。
「そう。河井さんに手伝ってもらってたの。私、図書の分類とか全然詳しくないから、助かっちゃった」
「ふーん」
佐伯は納得していない様子で、尋の机の上に置かれたものを見つめた。
片方は尋の地味な水筒。もう片方は、高嶺がさっきまで飲んでいた流行りの派手なカップ。
「霖ちゃんが、こんな地味な子と勉強ね。ねえ、河井さん。霖ちゃんって、教室では完璧だけど、二人きりの時とか、意外とわがままだったりしない?」
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