第四話 2人だけの言語

放課後。図書室の扉を開けると、そこには既に「本性」の姿で、備え付けのソファにだらしなく座る高嶺がいた。

「遅い。待ちくたびれて、図鑑の分類始めちゃうところだったわよ」

「すみません、日直の仕事が長引いて……」

高嶺は尋の顔をじっと見つめると、ふっと笑った。

「何よ、今日。ちょっとだけ、顔つきがマシじゃない」

「えっ、そうですか?」

「昨日までは『踏んでください』って顔してたけど、今は『踏めるもんなら踏んでみろ』って、ほんのちょっとくらい思ってるでしょ」

図星を突かれ、尋は眼鏡を直しながら苦笑した。

彼女と一緒にいると、自分が「弱くて哀れな存在」であることを忘れてしまう。

「高嶺さんのせいです。……変なこと、教えるから」

「失礼ね。私は真実を教えてあげただけ。さ、今日こそ『オリエント急行殺人事件』のラスト、徹底的に吟味するわよ」

尋は自分のカバンから、昨日より少しだけ大切に扱っている文庫本を取り出した。

クラスでは誰とも繋がれないし、繋がろうともしないけれど、この静寂の中では、誰よりも深くこの「完璧な少女」の心と繋がっている。

尋の心臓の音は、もう昨日ほど、怯えてはいなかった。


それは、退屈な現代文の授業中のことだった。

窓際の席で、尋は教科書の行を追うふりをしながら、いつの間にか廊下側の席に座る高嶺の背中を目で追っていた。

高嶺はいつも通り、教師の質問にハキハキと答え、完璧なノートを取っている。

(やっぱり、昨日の放課後は幻だったのかも……)

そう思いかけた、その時。

高嶺が不自然に、後ろ手に組んだ指を動かした。

トントン、とリズムを刻む。それは昨日、図書室で二人で笑い合ったミステリー小説の「犯人の癖」と同じ動きだった。

(えっ)

尋が息を呑むと、高嶺は振り返りもせず、机の横にかけたトートバッグの隙間から、昨日貸したはずの栞を一瞬だけ覗かせてみせた。

「見てるんでしょ?」

そう言わんばかりの、無言の通信。

尋の胸に、甘酸っぱい熱が広がる。クラスの誰も知らない、自分たちだけの言語。それは、世界で一番贅沢な遊びのように感じられた。


「ねえ、霖ちゃん! 次の体育、一緒に行こ!」

「ごめん、先行ってて。ちょっとお手洗い寄ってから行くわ」

昼休み、高嶺の声が聞こえる。尋はそれを合図に、数分遅れてトイレへと向かった。

一番奥の個室。そこには、トイレットペーパーのホルダーの上に、小さく折りたたまれたメモが置かれていた。

『今日の放課後、新刊のミステリー入るって言ってたよね。

一番に読ませて。あと、飴あげる。これ、結構おいしいから』


メモと一緒に置かれていたのは、少し高級そうな包み紙のレモン飴。

尋はそれを口に放り込む。鋭い酸っぱさと、後からくる暴力的な甘さ。

(高嶺さんみたいだ…って、なんか変態みたい)

そんなことを思いながら尋はメモを丁寧にポケットにしまい、鏡に向かった。

少しだけ、自分の背筋が伸びていることに気づく。

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