第1章 君はいま嬉しそうに景色を 1
昨夜までの嵐が嘘のような晴天だった。霹靂や篠突く雨は人々に蒼穹の高さを知らしめるために完璧な幕引きをみせたらしい。
初夏。草木は街中に緑を湛え、花々が思い思いの色彩を添える。この国でもっとも美しい季節である。
「ここがベストな立ち位置のはず。面白いものが見れるよ、青祈」
飛鳥ははしゃいで、あと一歩で雲海に踏み出せるほど崖の縁に走りよった。飛鳥の茶髪が気流に乱され、セーラーの大きな襟がばたばたと肩を叩く。
「飛鳥が昨日から言ってるその面白いものってなんだ?」
青祈はさりげなく飛鳥の手を引いて数歩下がらせた。
「もうすぐそこ!ほら、北の方!見えない?」
青祈が目を凝らさずとも、巨大ななにかが遠くから近づいてくるのが見えた。ふたりは黙ってそれの到来を見守った。
大きな山が逆さまになって天空を浮遊しているかのようなそれは、少し高度を下げながら近づいてきて、やがてこの国と同じ高度になると重苦しい金属でできた要塞都市が見えるようになった。
「鉄の塊が浮いてるみたいだな」
青祈がつぶやいた。
「あれがレヴェデーレだよ。青祈は初めて見るでしょ。この国に比べたら面積や魔力量はあまり大きいとはいえないけど立派な国だよね」
「もしかしてここも外からみたら鉄の塊なのか?」
そうだったらいやだなあと青祈は思った。
王国メイルには四季があり、それぞれに違った趣の美しさがあるのだ。緑が芽吹き花々が咲く華やかさや、雪にしなだれる木々の静けさ、雨に反射する街のきらめきなど、どれも俯瞰して眺めたら筆舌に尽くし難い美しさがあるはずだ。それを金属の分厚い壁で囲ってしまうのはナンセンスに思えて仕方がない。
「メイルに城壁はないよ。アリア国王陛下が魔術結界を張っていて、おおよその敵意は無力化できるんだ」
「すごいなあ。俺は魔力を集めることすらできないのに」
「それができなきゃメイルの王にはなれないんだよ、青祈。レヴェデーレの防御が物理的な建築に頼っているのは、王様によっぽど魔術の素養がないか、魔力貯蔵量が少ないかだね」
そう聞いて青祈は知らぬ国の王に思いを馳せてみた。メイルではもっとも魔術に優れた七人の中から神に選ばれたひとりが王となるのに対して、レヴェデーレは世襲君主制がとられている。王族に生まれたというだけで、能力が不足しているのに国を浮かせ動かし守るという無理難題を押し付けられる苦労は計り知れない。生まれついての劣等生である青祈にとっては同情を禁じ得ないところである。
「このままメイルとレヴェデーレがドッキングして陸続きになるの。こんなことはそうそうないからね。わたしはこの貴重な瞬間を見せたかったんだよ」
青祈が勝手に他国の王の気持ちをしみじみと思っている間に、レヴェデーレは視界を埋め尽くすほど近づいてきていた。
青祈と飛鳥のいる国境より二キロメートルほど東にいったところに他国と接続するための関所があり、そこで国王アリアや要人たちは国賓を迎えるのだ。
飛鳥が選んだベストな立ち位置とは、その様子を斜め後ろから眺められるような森の中であった。もっともあまりにも遠いので、魔術で望遠できない青祈には何が何だか分からなかったが。
「青祈見てー。つながるよ」
とうとう接続のときがきた。両国の関所のある懸崖はジグソーパズルのように岩肌がぴたりと噛み合い、そのうえに国王アリアの魔術刻印が刻まれ継ぎ目なく繋がった。その際、両国は少しも揺れの起きることがなかったので、この歴史的な接合に気づいた一般市民は飛鳥と青祈しかいなかった。
「レヴェデーレの王様が来ることはみんな知っているけど日時と場所は公にされていないのよ。だからここでみたことは内緒ね?」
飛鳥はいたらずらっぽく笑って青祈の顔を見つめた。
「こんな揺れもしないんじゃ見てないと気づけないよな。遠すぎてよく見えなかったけど……え?内緒ねって、じゃあなんで飛鳥は知ってたんだ?」
青祈はことの重大さをあまり実感出来ないままきょとんとして飛鳥を見つめ返した。
「わたしはアリアとマブだからー」
そんな青祈の目線を避けるように飛鳥はふっと踵を返して、元来た道を辿りはじめた。
「えー誤魔化すなよー」
青祈も遅れてついて行って、ふたりは並んで歩いて帰路に着いた。
***
新学期を迎えるにあたり、青祈は学内の魔学部島の購買部へ新しい教材を買うために足を運んでいた。
「進級できなかったのに、どうして新しい教科書を買う必要があるんだ」
青祈は大げさにため息をつき、がっくりと肩を落としてみせた。隣を歩いている友人のセインはその様子をみて楽しそうに笑う。
「一、二冊で済んでよかったですね。進級するとこんなに買わないといけないですから」
くすくすと笑い、セインは魔学部の事務員から配布された教材の購入リストを広げて見せた。青祈よりも頭一つ分は背の高いセインの膝までぱらりと垂れ下がった長い羊皮紙には、ずらりと教材の品番が並んでいた。
「さすがセインくんだね……俺だってサボってるわけじゃないんだけど」
くるくると巻きとられていく羊皮紙に目を向けたまま青祈はさらに肩を落とした。
「魔術の鍛錬を人一倍やればこのくらいは」
セインがとぼけた表情で明るくそう言ったので、青祈は苦笑したあとで覇気のない凪のように無気力な表情で遠くを見つめながら言う。
「……人一倍どころか十倍はやってるよな……いいの、俺は。セインくんと同じようにはできないから」
青祈とセインは半年ほど前から同じ寮棟の同じ部屋に割り振られたことで知り合い、学級こそ違えどほとんどの時間を一緒に過ごしていた。
セインは今回の期末考査で中上級から最上級への飛び級を認められた。そこに至るまでの並々ならぬ努力の片鱗を傍で見てきたので、セインの言葉を軽口として捉えて小粋な会話をすることはできなかった。
そろそろ購買部につく頃なので、青祈は腕を上げてセインの肩を掴み、下に押し込んだ反動を利用して体勢を元に戻した。
前に目をやると、灰色がかった茶髪を高い位置でハーフアップにし、緑を基調とした水兵の制服を着た女子生徒が立っているのが見えた。
「あ、飛鳥おはよう」
青祈が購買部の建物の前にいた池井飛鳥に声をかけると、飛鳥はふりかえって笑顔を向けた。明るい朝の日差しに、新緑を思わせる飛鳥の瞳が眩しかった。
「青祈、進級できたの?おめでとう」
購買部に新しい教科書を買いに来たということは進級したのだと飛鳥は考えたらしい。このような皮肉は飛鳥の得意技だ。
「進級してるわけないじゃないか。飛鳥は俺の成績知ってるくせに」
青祈が不満げに唇を尖らせると飛鳥もセインもただ笑った。三人の間を朗らかな初夏の風が通り抜けた。
「おはようセインくん。飛び級したんだってね、おめでとう」
「アスカさんおはようございます。本当は飛び級の要件を満たしていなかったのですが、主任教授から応用魔術の成績に目を見張るものがあると推薦していただいたんです」
飛鳥とセインには同じ教授が主任として割り当てられているので、セインと飛鳥は先輩後輩の間柄である。ただセインが飛鳥に丁寧な言葉遣いをするのはその理由からではなく、単に全ての人に対して丁寧な態度をとっているだけである。
「俺だって物理の成績はよかったってエルメ先生に言われたんだ」
「他を補って余りあるほどじゃなかったのね」
「基礎魔術と初級呪文の成績が散々だったんだ。それでエルメ先生が直々に補習をしてくれることになって教科書を買うはめに──」
三人が談笑しながら購買部棟に入っていくと、店内は多くの生徒でごった返していた。それぞれ必要なものが違うので店内では別れて、買い物が終わったら購買部棟のまえの中庭で待ち合わせることにした。
青祈はふたりに手を振って、魔術関連の教材を取り扱っている二階へあがった。
二階にいる多くは新入生と思しき生徒であった。青祈よりも年下と見える新入生もみなどこかあどけない感じのする顔つきをしていて青祈は少し驚いた。そして、この生徒たちが皆自分よりも早く魔術を習得するのだろうと容易に想像できてしまって劣等感を感じた。
さっさと買って出よう、と青祈は教科書のある棚番号の確認を急いだ。青祈の主任教授であるエルメから指定された教科書は、新入生向けの基礎魔術の教科書とは違うものらしく、青祈はあまり周囲に人のいない本棚の前にたどり着いた。
少し離れたところにいる新入生たちの談笑する声がここまで聞こえてくる。数秒前にすれ違ったときに思わず目を向けしまったほど高慢そうで、豪勢なみてくれの貴族の子らしき集団だろう。
「お父様のパーティーで聞いたんだ。レヴェデーレがメイルにきたのは、王アルテミシアの学術院編入のためらしい」
レヴェデーレの王という話題に青祈は思わず耳をすませてしまった。飛鳥に酷評されていた王に対して青祈は身勝手な仲間意識を抱いていたのだ。
「ははっまさに亡命だな」
「とうとうあの国は鬼に征服されるのではないか」
まだ魔術を始めたばかりの学生たちに、顔も知らない他国の貴族の子どもたちに、侮蔑されている王に青祈は心を痛めた。
「しかしあの無力なアルテミシア嬢のいたところで国の行く末は変わらないだろう」
「むしろ自国の重さに耐えきれず鬼もろとも海に堕ちてくれたほうが世のためだな」
あまりの言われように青祈は怒りさえ湧いて、本棚を見ていた視線は気づけば自分のつま先を眺めていた。下唇を噛む。貴族相手に自分が出来ることは何も無いということを青祈はよく分かっていた。そして同時に、よく知りもしないアルテミシアのことを無自覚に力不足な王だと認識していた点において、彼らと同様に厚顔であると気づいて恥ずかしい気持ちになった。
顔が赤くなるのを感じながら、視線の少し上、本棚の下の方にあった指定の教科書を乱暴に手にとって、逃げるように青祈はその場を離れた。
*
会計をすませて店の外にでたが、まだ飛鳥もセインも買い物を終えていないようでそこにはいなかった。ふたりとも進級の証である長い羊皮紙に記載のある教材をすべて買うのだから、まだまだかかるだろうと思い、青祈はこの辺りを散歩することにした。何度か通ったことのある購買部前の中庭はつまらないので、棟の裏に行ってみることにした。
購買部の裏は大理石の廊下と荷物搬入用の転移ポイントの広場があるのみであとは鬱蒼とした森が広がっていた。森と転移用魔法陣と大理石の廊下。それがこの学校の主な風景である。
メイル王立学術院は王国メイルの北東にある巨大な火山のカルデラ湖にたっている。カルデラ湖に浮かんだ五つの島にいくつもの建築が建ち並ぶ、この空で最も大規模な学園都市である。このカルデラ湖が広大なために、建築のないところは自然がそのまま残されており、土地の七割を占めている。物資は魔術を使って瞬間転移させ、人間は大理石の廊下を歩いて移動する。たまに廊下の脇に中庭が整備されており、花壇やベンチ、噴水など人々の滞留するちょっとした公園のような場所はあるが、外を歩いていて視界に入るのはだいたい森である。
何も面白そうなものはないらしいと思いつつ、森の中に伸びていく廊下を歩くのもつまらないので、青祈は大理石の廊下を降りて土を踏み抜いた。魔法陣の脇を通って森に入るとほどなくして頭上を木々が覆い、視界が暗くなった。木漏れ日がちらちらと辺りを照らすような、夜明け前ほどの暗さに目が慣れてきたころ、前方になにか白いものが見えた。
どきっとして青祈は歩を止めた。幼い頃からお化けの類は苦手である。火のないところに煙は立たないのだから、幽霊を見たことがあるという人がいる時点で幽霊はいるのだし、ないことを証明することはできない。青祈はお化けなんてないさ、とは到底思えない質であった。
しかしこんな白昼堂々出てくる幽霊もいないだろうと半ば祈るように自分に言い聞かせながら、その方向へ行ってみることにした。
ぱきっと足で小枝を踏み抜く音が響くと、その先でひっと小さな声が聞こえた。青祈の声ではない。
そこは森に放置された廃材置き場のようにも見えた。木々が少しひらけた直径十メートルほどの円形の広場に、錆びた机や椅子、ぼろぼろの本などが散乱している。その椅子のひとつに腰掛ける青い髪飾りをつけた少女と目が合った。
「こ、こんにちは」
青祈は思考停止して、反射的に挨拶をした。少女は青祈の顔を睨みつけた。警戒と怯えの混ざった鋭い眼差しであった。
「あなた、誰なのです?目的を言いなさい」
「い、いや、ただ散歩をしてたら、人影が見えたから道に迷ったのかなーって……」
少女は黙って青祈を睨み続ける。
青いドレス姿の華奢な少女だ。灰色がかった青色の瞳、きらきらした癖のないブロンドの髪に、真っ白な肌と薔薇色の頬。おとぎ話にでてくるプリンセスそのものといった風貌であった。
「……道に迷ってなどいません。下がりなさい」
このままこの場を離れては本当に不審者だと思われて、後で警備員を呼ばれてしまう。そう考えた青祈は身の潔白を証明するために焦って話を続ける。
「き、きみは新入生?購買部に教材を買いに来たの?」
「ええそうですが……あなたは何者なのですか?」
「いや、決して怪しいものじゃなくて、俺はこの学校の二年生なんだ。といっても、落ちこぼれで、魔学部の下級クラスを二度目なんだけど」
青祈がはにかんで笑い、恐る恐る少女の目をみた。少女は少し警戒を解いたようで強ばった顔をふっと緩めた。笑ったような困ったような微妙な表情だった。
「きっと魔術以外にできることがあるのよ」
少女はそう言いながら青祈の目をまっすぐに見つめかえした。優しげな瞳であった。青祈は自虐に真面目なフォローの言葉をかけられたのが初めてで面食らった。否、正しくは年下の女の子にまっすぐな眼差しを向けられたのが初めてで驚いたのである。突如忘れていた熱を頬に感じる。
「──……本当に散歩していただけなのですね。失礼いたしました」
「あ、う、うん……そ、その服可愛いね」
青祈は会話続行の司令が脳内で空回りして、ぐるぐると目を泳がせながら絞り出した褒め言葉を言った。センスの欠けらもない気の利かない言葉だったが、間違いなく本心であった。
だが、少女は嬉しそうどころかむしろ表情を曇らせて苦い表情をした。薄い眉をひそめて、思わず漏れたような小さな声で言う。
「ありがとうございます。ああ、でも、だめですね。この服は今日で着納めです」
「そんな!なんで」
「……これでは鬼に襲われたとき、逃げられませんから」
「鬼?」
まさか、青祈と同じでお化けがいると信じている質なのだろうか。
「鬼、ご存知ありませんか?メイルにも鬼はあると伺っていましたけれど……」
青祈がぶんぶんと首を横に振ると、少女は大きく息を吸ってから説明を始めた。
「鬼は人を支配しようとする忌々しい魔法族で、そのほとんどがレヴェデーレに生息しているとされています……レヴェデーレは過去に鬼の反乱に耐えきれず征服されたことがあるからですね。もっとも恐ろしい点は、鬼の魔力量がわたしくしたちの比にならないほど大きくそして衰えない点で、一度戦争がはじまったら人は防衛もままならないほど、能力において圧倒的な差があります。今のような平和な日々、鬼の制圧と統制を実現できたのは人海戦術……多大な犠牲を払ってでも現メイル国王のアリアさまがそれを成し遂げたからに他なりません」
青祈は少女の語りの半分も理解できる気がしなかったが、右から左に流さないように、わかる言葉は咀嚼した。
「制圧と統制?…………処分じゃないんだ。鬼といえば、人を食べるんじゃないの?」
少女は伏し目がちに神妙な面持ちをしていたのをばっと上げて、丸く大きな目で青祈を見た。頭飾りの青いリボンがさらさらと揺れる。それを抑えるように右手を耳の後ろに添えて、左手では胸を抑えた。驚きと恐れが混じったような震える声で言う。
「──!!人を!?何のために食べるのです?そのような猟奇的な発想をしたことはありませんし、そのような話も聞いたことがありません」
眉を顰めて、青祈の全身をしばらく見回したあと、小さく息を吐いて再び目を伏せた。
「──ええと、鬼の見た目はわたくしたちと同じですし、メイルはアリアさまに守られていますから……そうですね。あなたが鬼について知らないのは不思議ではないけれど──……この学校では鬼については学習なさいませんのね」
「いや多分、俺が無知なだけだと思うよ。説明してくれてありがとう。でもアリア様……がいるこの国ならその服を着ていても問題はないんじゃないの?」
少女は頭飾りから靴の先まで同じ青色のドレスを身にまとっていた。白いブラウスの襟ぐりやスカートの裾に施された鈴蘭や動物の緻密な刺繍が目を引く華美な衣装であった。
「このドレスはわたくしの祖国の伝統的な衣装です。これを着るのはわたくしの誇りですが、いざというとき……わたくしや服に何かあったら皆が悲しみますから、とてもじゃないけれど着られません」
そのドレスの装飾に説得力を感じるほど、少女の声は鈴を鳴らしたように可憐で、気品と少女らしいあどけなさが両立した立ち姿は繊細なレースのように透明感があった。
「そっか、そうだよね」
青祈は少女に見蕩れてしまって言葉が上手く出せず、辛うじてそれだけを言った。それに、本気で鬼とやらを心配している少女に何か言葉をかけられるほど青祈には知識がなかった。
そうしてふたりとも黙った。
青祈には少女が何をそれほど警戒しているのかさっぱりわからなかった。青祈がメイル王立学術院に入ってから半年ほどがたつが、その間鬼なんてものに関わる機会もなければ知識すらなくとも何ら問題はなかったのだから。
様子をみるに少女はメイルの生まれではなく、メイル王立学術院に入学するために越してきた新入生なのだろう。彼女の祖国ではメイルほど鬼が管理されておらず、もっとも恐ろしいものとしての認識があるのだと青祈は考えることにした。
しばらく続いた沈黙を破ったのはやはり青祈だった。
「も、もっと魔術を勉強したら鬼に怯えなくてよくなるかな!?」
青祈が少女のほうを向くと、少女はその優しげで大きな目を瞬かせた。
「……ええ、わたくしがもっと強くなればドレスを着られるかも知れませんね」
「よかったら俺と一緒に放課後とか、魔術の特訓しようよ。優秀な友達が二人もいてさ、きっと先生になってくれるよ。俺は落ちこぼれ脱却を目指して、きみはドレスを着られるようになることを目指すんだ」
青祈は当然のように断られるかと思ったが、案外少女は乗り気であった。
「たのしそうですね。ぜひ参加させていただきたいです。あなたのお名前をお伺いしても?」
少女は笑顔をみせた。
「青祈だよ。きみは?」
「……エミーリヤです」
青祈はあまり現実味を感じられないまま、少女と来週また会う約束をして別れた。
***
「アオイさん、その女の子には今日見に来ることを伝えたんですか?」
「あれ以来あの子に会ってないからなあ、言ってないよ」
「じゃあ本当にいるかどうかも分からないわけですね」
「この遠さじゃオペラグラス使わないと無理だね」
メイル王立学術院の全学部合同の入学式は学内でいちばん大きな芸術学部の劇場が会場として使われ、青祈たち在校生の参観には四階席が割り当てられていた。一階席には新入生、二階席にはその保護者たちがいて、舞台上には国内外の学校のお偉いさんたちが整然と並んで腰掛けていた。
「そもそも後ろ姿から探さないといけないし。ここじゃブロンドの髪なんて珍しくもないしなあ」
ふたりは最前列の座席をとることが出来たが、柵から乗り出してみても、一階席に座る新入生の後頭部や頭頂部が眺められるだけで、一度あっただけの少女を見つけ出すのは不可能であった。
「そのうち会えるのでしたら、いま無理に見つけ出さなくていいですよ。アオイさん」
「そうだなあ……全く何のために退屈な入学式に来たんだか。セインくん貴重な時間をごめんね」
青祈は先生役を務めてくれるセインにエミーリヤがどんな人物であったかを見せておきたかったのだが、こうなってはここへ来た意味がない。
「僕はこういった式は嫌いじゃないですよ」
セインがそう言って微笑むので、青祈も大人しく式を眺めることにした。
入学式は始め順調に進んだが、新入生代表のあいさつの段になって人々がざわめきだした。
今年の新入生代表はかねてからその入学が噂されていたレヴェデーレの王、アルテミシアなのである。
「厳粛な式であの格好は……」
そんな声が後ろから聞こえてきた。
舞台にあがったアルテミシアは頭までしっかりと甲冑を着込んでいた。大きな兜と鎖帷子に隠されその貌は分からない。
王は人々のざわめきに勝るほどの大きな金属音をがっちゃんがっちゃんと鳴らし歩き、壇上に立つ。
じゃらっ──。
アルテミシアが舞台の中央に立ち、鉄のかんばせを堂々と皆に向けたその一瞬だけ劇場ホール全体が静まり返った。
式辞を述べ始める。
青祈とセインは放心したような表情で黙ってそれを聞いていたが、周囲の、特に三階の貴賓席に座る人々は、ひそひそと鎧に関することからアルテミシアについてまで批判を言い合っているようだった。
青祈はもう一度飛鳥の言葉について考えずにはいられなかった。
──レヴェデーレの防御が物理的な建築に頼っているのは、王様によっぽど魔術の素養がないか、魔力貯蔵量が少ないかだね。
あれは空に浮かぶ国土の防御の話であったはずだった。少なくとも王自身の防御の話ではない。青祈は、空にいる王と呼ばれる人物は
それは違う、と青祈は思う。
青祈の主任教授エルメの話によれば、個人の扱える魔術の優劣というのは、基本的に
となると、アルテミシアが甲冑を着ているのは心的な要因からなのではなかろうか。不自然なまでに顔を覆い隠す兜を見るにその推察は正しいような気がする。
青祈は壇上のアルテミシアをもう一度しっかりと見た。よくみると背が低い。金属のがっちりとした甲冑を着ていても、横に座る肥満体型の重鎮たちよりも肩幅が狭い。
そこで青祈は購買部での貴族の子供たちの会話を思い出した。
──アルテミシア嬢。
青祈にはあまり馴染みのない響きであったために、アルテミシアという名が女性につけられる名であることに気づかなかった。レヴェデーレの王は女の子なのである。
空では、各国の中枢に関することや王族・貴族のことはエンターテインメントとして消費されることがない。直接的な関わりがなければ人々は王の姿や出自などを知ることはできないのである。
青祈は、メイル王立学術院の元老院院長としてメイルの王であるアリアを見かけたことがあったが、アリアの君王結界によってその姿や発言、何をしていたかも思い出されることはなかった。
その結界は神たるイフの特別な魔術で、各国でイフにより王だと認められたひとりだけが扱うことが出来る。国土全体に防御結界を張り敵意から国を守るという機能はもちろん、君王結界を展開している王を見る人が、その意識を王に向けているうちは顔や姿、帯びている魔力までもを認識できるが、ひとたび視線や意識を背ければ途端に秘匿すべき情報をごっそり脳から消してしまうという効果を持つ神秘とも言える魔術である。王を見たその時は王だと認識できても、なんとなく見かけた気がする程度にしか記憶に残らないのが青祈にとっては不思議で仕方がなかった。
秘密情報の保持は厳格にするのが空の定石であったが、アルテミシアの甲冑は逆効果である。確かに顔や姿は隠せるかもしれないが、昨今あまり見かけない甲冑そのものの印象が強すぎて、仮に甲冑に魔術回路が組まれていたとしても魔術効果を貫通して人々の記憶に残るだろう。
甲冑の体格で年端もいかぬこどもであることは分かってしまうし、利点は何もないように思える。
アルテミシアが甲冑を着ている理由は、他人には伺いしれない理由、やはり心的な要因からなのだと自分の中で結論づけた。
「アオイさんアオイさん、お昼ご飯食べに行きましょう」
「──と、そうだね」
青祈が思考に夢中になっている間に入学式は閉式を迎えていた。式が終わって一層がやがやとうるさくなった観覧席に不快感を募らせながら、青祈はセインと連れ立って劇場を後にした。
*
入学式のあと、昼食を食べ終えた青祈とセインは、エミーリヤと約束した購買部裏の廃材置き場に足を運んでいた。
「あ、いるね」
少し先の木々の隙間に揺れる金髪がみえて青祈がつぶやいた。
「こんにちは、アオイさん」
青祈たちよりも先に到着していたエミーリヤは、しっかりとした質感の青いキルティングジャケットを着ていた。初夏の燦々と降りそそぐ日差しの下に季節外れなその服装が目に付いたが、前回ドレスを着れなくなることを彼女が嘆いていたため、青祈は何も触れないことにした。
「こんにちは。この前話した友達のセインくんだよ。とても優秀なんだ」
「初めまして、エミーリヤさん」
セインがにこやかに挨拶をすると、エミーリヤは大きな瞳でセインを見上げた。セインと目が合った途端エミーリヤが目を見開いたのを青祈は見逃さなかった。しかし、この優しい目をした好青年に対して驚きに似た表情を浮かべる理由が青祈には分からなかった。
「初めまして……エミーリヤです」
エミーリヤは軽くひざ曲げてお辞儀をした。お辞儀をしなくてもエミーリヤの背はセインの胸ほどの高さしかないので、青祈の初めて会ったときの印象よりも少女が一層小さく見えた。
「エミーリヤは新入生だよね?入学式どうだった?」
青祈が尋ねると、それまでセインを見上げていたエミーリヤは視線を青祈に向けた。
「はい。劇場があんなに大きいなんて知らなかったから、わたくし圧倒されてしまいました」
「たしかに。俺とセインくんは四階席に座っていたけど壇上の人が豆粒くらいにしか見えなかったもんね」
「──アオイさんから細かいことを聞いていなくて。僕が貴女に教えられることがありますか?」
セインがエミーリヤに訊ねる。
「セインさんは鬼のことは知っていますか?わたくしは鬼に対する防衛術の鍛錬をしたいのです」
少女は真剣な表情でセインを見つめた。
「鬼……はい、知っています。ですが、なぜ?メイルでは鬼は日中出歩くことを禁じられていて、あまり脅威と呼べるものはないですよ。アリア国王陛下のご意向でその法が緩和されている学内はその限りではないですが」
セインは困り顔で答えた。
青祈は心の中でさすがセインだ、と思った。セインは、青祈が知らないことを当たり前のことのように知っているのだ。
「……メイルならそうですね。おふたりはご存知ないかもしれませんが、未だ人が鬼を支配できていない国が空にはあるんです」
それを聞いた瞬間、セインから穏やかな表情が消えた。
「まさか、レヴェデーレでまた戦争が?」
セインの問いにエミーリヤは躊躇いがちに答える。
「表立ったものはありませんが、何名かのレヴェデーレの要人はすでに……」
続けて青祈がエミーリヤに問う。
「待って、それは、危ないのはレヴェデーレの偉い人たちで、一般市民は関係ないってことなのかな?もし市民に危険があるなら、今現在、メイルとレヴェデーレの国土は繋がっているのに、ふたりの王様はどうしてこのことを国民に知らせていないんだろう」
「……アリアさまは秘密情報の管理に最も厳格な方です。この情報を皆にお知らせしなくともご自身の力で国と民を守れるとお考えならば、民を怯えさせぬよう情報を無闇に開示しないのです」
「そうなんだ……やっぱりきみはレヴェデーレの出身なんだね。だから鬼を恐れているんだ」
青祈が納得したようにつぶやくと、それを聞いたセインは真剣な表情から一転し、いつものようにふわっと口角を緩めて青祈のほうを見た。
「…………」
変な沈黙が流れた。青祈はセインが微笑んだ意味が分からずに、セインとエミーリヤの顔を交互に見つめた。ふたりとも何か言いたげであるのに、言おうとしない。
「え?俺、何か間違ったことを言ったかな」
青祈が戸惑っていると、エミーリヤも微笑みを浮かべた。初めてあったときに緊張を解いたあの顔と似た、優しげな瞳であった。
「レヴェデーレの王は秘密情報の保持に厳格ではないということですね。あるいは、王ひとりでは国を守れないとも考えられます」
「うん?……あ、エミーリヤが反乱について知っているのは──」
青祈が間の抜けた顔でエミーリヤを見つめると、少女は大きく息を吸い、決心したように口を開く。
「ええ──わたくしの名はエミーリヤだといいましたが、あれは嘘です」
「嘘!?」
青祈が仰天してあほ面を晒しているのを一瞥し、真剣な表情で少女は続ける。
「わたくしの名はアルテミシア・アレクセイ・レヴェデーレ。わたくしはレヴェデーレの王です」
「なん!?……」
青祈にとっては、なんで王様がこんなところに?という戸惑いよりも、自身が王であることを明かしていいのだろうかという心配のほうが大きかった。──君王結界を展開していない王を初めてみたけどこれは犯罪ではないよな?などと色々な考えが脳内を駆け巡って青祈は硬直した。
セインはというと、少女の服装から、先程まで鎧を着ていたのではないかと半ば冗談のようなつもりで疑ってはいたが、それが本当だとは思わなかったので驚愕した。
「白状しますが、わたくしは国土や自身に結界を張ることができません。これは王としては半人前どころか、全くの力不足です」
アルテミシアはまっすぐにセインをみて言葉を紡いでいた。とても真剣な口調であった。
「わたくしは一国の王として、鬼の反乱から民を守れるように鍛錬を積みたいのです。協力してくださいますか、セインさん、アオイさん」
沈黙。青祈もセインもその重すぎる責任にすぐに返事ができなかった。
そして青祈の沈黙の理由はそれだけではない。アルテミシアはたしかに青祈の名前も挙げたが、青祈は蚊帳の外に追い出されたように感じたのだ。青祈は彼女に魔術を指導できる能力を持っていないし、セインに学びを乞うにも彼女のような立派な大義名分も持っていない。この先放課後に開催しようと思っていた勉強会は、もちろん彼女のためのものであったが、青祈はそれに参加する意味を見失ってしまった。一国の王の鍛錬の場において、青祈のような半端な劣等生は完全なる邪魔者である。
青祈は、助け舟を求めてセインに目を向けたが、彼もまた自身に期待された役割の重大さに戸惑い返事をできないでいる。セインの代わりに自分が彼女に返事をしなければならないと感じた。心の中の苦いものを噛み殺して、必死に笑顔を作った。
「もちろん。俺たちでいいのなら喜んで協力するよ。そうだろう、セインくん」
セインにもう一度視線を向けて、その高く大きい背中にそっと手を当てた。王様の魔術の先生という大きすぎる役割をセインに与えてしまったことを詫びる気持ちからであった。
セインは青祈の詫びの意を汲み取ったのか、またはなにか他に考えがあるのか、綺麗で隙のない微笑みを浮かべて頷いた。
「え、ええ、身に余る光栄です。僕に務まるのであればよろこんで」
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