第一話 探索者たち その1

 †1


【ニーナ・ゴーゴリの手紙 ――聖王暦240年春】


 拝啓


 長かった冬も過ぎ、ようやく新緑の芽吹きが感じられる季節となってまいりました。

 女王陛下におかれましては、ますますご健勝のことと、およろこび申しあげます。

 先日は心のこもったお手紙と貴重な品の数々、誠にありがとうございました。

 いただいた珍しい果物や食材、香辛料は家の者たちと早速たのしんでおります。

 子供たちはチョコレートやアイスクリームに大はしゃぎで、それと同時にいまは遠い記憶にある《彼》のなつかしい顔が思い出され、家族みなで泣いたり笑ったりして、クランを立ちあげた当時の古い思い出話に花を咲かせる場面などありました。


 さて、お手紙にもありました今回のご依頼の件ですが――ガラテアの義母ははにも確認したところ、特に問題はないとのことでございました。

 わたくしたちとしても、このまま《彼》という人間がただ忘れ去られていくことに、内心忸怩じくじたる思いがなかったとも言えず、このたびの陛下のお申し出を、大変ありがたく受け止めております。


 しかしながら、一点だけ難を申しあげれば、なにぶん古い話でもあり、関係者の証言、手記、記録、関連する資料等、残されたすべてが膨大な量におよび、また散逸した分も少なからずあるものですから、これらを補完し時系列順にまとめるとなれば、畢竟ひっきょうそれなりの時間と労力がかかると思われます。

 ですので、どうかその点だけはご承知いただきたく存じます。


 つきましては、まず彼の青年時代の手記から始め、まとめてみたいと考えております。

 このひとりの青年の悲劇的な物語の結末が、どういった経緯を辿り、あの当時の中央大陸、聖王国、そして各都市の指導者たちにどういった影響を及ぼしたか――。

 歴史を検証するうえで判断の一助になること……。

 また彼という人間が、この大陸の歴史において、大変に大きな役割を担っていた――その事実が記録のうえでも明らかとなることを心より願っています。

                                 敬具


 聖王国辺境伯ニーナ・ゴーゴリより

 聖王国女王シルビア・オールウッド様へ




 †2


【ラファエル・バーキン ――聖王暦218年冬、冒険者の町キンティア】


 正午をすこし回ったころ、外はまだ生憎の雨模様だった。

 ぽつぽつ、ガラス窓にちいさな水滴が張りついている。

 ラファエル・バーキンはあらかじめ買い込んでおいた食材と調理器具の袋を手に、厨房の沓摺くつずりをまたいだ。

 どこか清浄な感じのする空気が鼻先をつつんだ。


(いい匂いだ)


 もしかすると、ついさっきまでかまどの女神でもいたのかもしれない。

 子供のころ、よく祖母にそんな話を聞かされた――そんなことを思い出しながら、ラファエルはゆっくりと炊事場全体を見回してみた。

 流し台シンクがある。

 作業台がある。

 煮炊き用の竈がある。

 花崗岩の暖炉、ひらいた換気口の窓もある。

 食器棚に木製のボウル、吊るした大鍋、壁に掛けたフライパンもあった。

 部屋の突き当りには燻製肉とチーズのための貯蔵庫があり、近くには葡萄酒の樽や、ロティサリー(肉をあぶるための回転台)なぞも置かれていた。

 厨房には穏やかな午後の静寂が満ちている。


「悪くない」


 と、ラファエルはつぶやいた。

 こうした落ち着いた雰囲気をなんとなくながめて、それだけで彼はすこし満足した気分にもなった。


 ……今夜からはじまる、半年に一度の探索士試験。

 特に《冒険者の町》として知られるこの《キンティア》では、それは「鋼の芯入り」と評されるほど難易度の高い試験だった。

 毎年の平均合格者数から見ると……。

 王都の官僚登用試験などとくらべても、こちらに合格するほうが格段にむずかしい。

 都合三度。これまで他都市での探索士試験に落ちてきたラファエルにとっては、まさに今回の試験はどれだけ気合を入れても足りない、難関中の難関なのだった。

 だからこそ――。


「ようし、それじゃあ、つくるかァ」


 まずは英気を養う必要がある、とラファエルは自分で自分に云った。

 美味いものを食い、十分な休息を取り、張りつめた精神を適度にゆるめる……。

 それでようやく、ひとは本来の実力を発揮できる。そうした考えだ。

 これはラファエルの哲学――基本的に自分に甘い性格が彼だ――だったが、また同時に祖母から受け継いだ教えのひとつでもあった。

 基本的に孫を甘やかすきらいのある祖母だが……。

 まあ、これに関してはおおむね間違っていない、とラファエル自身も思っている。

 もっとも孫を溺愛するその祖母でさえ、彼が探索士を目指すことについては、一貫して反対の立場にあるのだが……。


「くは――」


 ラファエルは苦笑し、脳裏に浮かんだ祖母アルタイルの渋面を振り払った。

 そして、あらためて食材、それに調理道具のいくつかを作業台の上にならべていった。

 厨房の使用は、すでにあの偏屈そうな宿の主人にたのんで許可を取ってある。

魔印シジル》を使い、ラファエルは竈に火を入れた。

 メニューはもうすでに決まっていた。

 バーキン家の定番メニュー。実家で客のあるとき、決まって出されたごちそう。

 アルタイル・バーキン謹製、自慢のビーフシチューである。


 ……水瓶で手を洗う。

 バーキン家のビーフシチューの作り方はおおよそ次のようなものだ。

 まずは大鍋を火にかけ、鍋底にたっぷりとオリーブオイルをす。

 そうして金色の鍋底に赤身牛肉の角切りを、これまたどっさりと投入、塩胡椒を振る。

 強火で一気に焼き目をつけているあいだに、野菜の下準備をしておく。

 タマネギ、ニンニクはみじん切りに。ニンジンとセロリは乱切りにする。

 肉が焼けたら一度鍋から外し、代わりに刻んでおいたタマネギ、ニンニクを鍋に入れる。

 焦げた鍋底の、こびりついた肉汁と旨味を残さず絡めとりながら炒め、十分飴色になったところで、ベーコンを追加。

 火が通ったら、ふたたびニンジン、セロリを入れ、今度は炒めながら小麦粉を何回かに分け、ダマにならないようすこしずつ落としていくのだ。すこしずつ……。


(焦っちゃあ、いけないんだよな)


 ここまできたらもう完成は間近。

 野菜に火が通り、鍋のなかにまとまりができたら、そこに黒ビールとブロス――骨つき肉と野菜で出汁だしをとったスープだ――を鍋いっぱいになるまで注いでいく。

 仕上げにドライトマト、ローリエ、タイム……。

 最後に焼き目をつけた肉をスープにもどして、それらをまとめて一時間ほど煮込む。


 ……こうした作業を一時間あまり、ラファエルは黙々とこなしていった。

 そうしてシチューを煮込むあいだに、また付け合わせのパスタ、それに燻製肉パストラミのサンドイッチなども用意していった。

 今日の料理は、試験中に食べる弁当である。

 試験は二泊三日の日程。試験内容によっては野宿も考えられる。

 ならばパンも食べやすいモノがいいだろう。


「……よし、美味そうだ。こんなとこか」


 できあがったビーフシチューの鍋を火から外し、ラファエルはそうつぶやいた。

 厨房にはシチューの、食欲をそそる香りが立ちこめている。

 外の雨はいつの間にかんで、鈍色にびいろの雲の切れ間からは穏やかな冬陽ふゆびが、まるで天の階段のように差している。


 ラファエルはひとつ深呼吸し、それからゆっくりと両手を合わせ、自分だけの魔術を唱えた。


「【魔術マギア】、【カイ】」


 両の掌、そのあいだの隙間に、赤黒い魔力の光が揺らめいた。




 †3


 さまざまな準備を終え、宿のチェックアウトを済ませたときには、都市まちはもう薄闇につつまれていた。

 すでに日は西にある峰々の向こうへと沈みつつある。

 稜線りょうせんからにじんだ夕日も、そのほとんどを暗い陰へと溶かし、いまは紫や赤といった光の残色を、わずかばかり空の端へ投げかけているにすぎない。


 大禍時おおまがとき

 下町の宿、《森の赤山羊あかやぎ亭》を出たラファエルは、そのまま薄暗いなかを足早に歩いていった。

 バチェラ通りから裏路地を北へ、タモル街を目指し進む。

 家々のあいだのほそい道は、なだらかな下り坂となって、都市の中心部にある市場バザールのほうへとつづいている。


 ……ひとの姿はない。

 夕食どきにも関わらず、町はどこも静まり返っていた。

 家の明かりはあるが、団欒だんらんの気配がない。

 時勢のせいだ、とラファエルは苔むした石畳いしだたみを歩きながら考えた。


 ひと月前。

 王都エリクシルで起きた政変――クーデターのしらせは、すでにこの辺境近いキンティアにまでとどいている。

 英雄気質であり改革派として知られる王弟ニーストルフが、突如、聖王フィリップ2世を弑逆しいぎゃく――。

 新たに王の座へ着いたというのだ。


 その出来事が庶民の生活に、不安の陰を落としている。

 王都からの便りは、長い街道を経てきたため、この南の地へ届くまでかなりの日数がかかっている。

 いま王都はどうなっているのか。

 聖王国はこれからどうなるのか。

 詳しいことは誰にもわからない。


「どうも大変なことになった……」


 町の人々はそう、声をひそめてささやきあった。


 小道を抜けると、ラファエルの目に表通りと広場がはいってきた。

 広場の先には、貴族の屋敷とおぼしき邸宅があって。

 あか煉瓦れんが塀や、手入れの行きとどいた庭、松やイチイなど複数の針葉樹によって取り囲まれている。


 ブラン大公家の別宅だ、とラファエルはその豪奢ごうしゃな邸宅をながめた。

 ブラン大公家はかつて大陸中央部に存在した大国――聖王国における大身の貴族である。

 いわゆる四大家と呼ばれるうちのひとつで。

 先の時代、王国が崩壊し、大陸からもはや国という機能が失われた現在にあっても、いまだその影響力はこの大陸西部で頭ひとつ抜けているとされる。

 事実、キンティアふくむ五郡の領主であるブラン大公家より力を持った勢力は、この大陸西部において存在しない。

 しいて云うなら比較的近隣に位置する南部の大都市――《大砂海》交易の中心地、神都ティアクラウン――ここを治める地母神教が大勢力と呼べるだろうが……。


(ブラン大公も賢いからな。衰退していたはずの地母神教が、近年になって復活の兆しを見せはじめたと見るや、すぐさま友好の使者を送り、他領に先駆けて同盟関係となった……)


 まさに古狸と呼ぶにふさわしい外交手腕。

 そして、その大公の別邸も、いまはただひっそりとしていた。

 うつくしい白壁も、大理石の敷かれた玄関も、黒い粘板岩スレートでおおわれた屋根も。どこかつめたい気配を漂わせ、秋の夕暮れに沈んでいる。


 メランティはいるだろうか。

 正門前を横切りながら、ラファエルはつい最近知り合った友人の顔を浮かべた。

 もっぱら遊び仲間である、あのメランティは、大公家に代々馬丁ばていとして仕える家の長男で今年十八になった。

 父親同様、大公家の使用人で、現在はこの別邸に住みこみではたらいている。

 身分は低いがよく気がつくため、大公夫妻にも気に入られているらしい。


 大公家もいまは大変なときだ。

 そうしたこともラファエルは思ってみた。

 いや、これは大公家に限った話ではないのだ。

 いまごろ大陸中央地域の領主貴族たちはみな、上を下への大騒ぎになっているだろう。


 聖王家に近い者たち。

 宰相を筆頭とする保守派の勢力。

 聖王教会――。

 みながみな、事態を把握するため、文字どおり情報の収集に奔走しているはずだ。

 新王ニーストルフを王都の新たな領主として認めるか、あるいは反逆者として指弾するか。

 王都の現状と、事の流れを確かめたうえでなければ、旗幟きしを鮮明にできないからだ。

 ひとつ間違えば、彼ら自身の地位をあやうくしてしまう。

 逆に、適切な対応さえ取れたなら、大陸中央地域において、より力を得る、その端緒たんしょともなりうる。

 つまり算盤そろばんさえ合うなら、貴族たちは、と云っていい。


 重要なのは自分たちにとっての利益であって、正義でもお題目でもない。

 だからこそ彼らは方針を定めるため、情報の収集に躍起になるのだ。

 そして、そんな貴族たちの政治に、庶民は振りまわされる。


 ラファエルは冷めた目で屋敷を一瞥すると、しかし、すぐさま興味をなくしたふうに、視線を遠くの先へとやった。

 外套コートの襟をかきあわせる。

 肌に突き刺さる冷気が、冬の寒さの訪れを告げていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界ドリームクラン ~転生先の18禁ゲー世界がハードすぎてしんどい。誰でもいい、助けて~ 長尾好孝 @yoshitaka_nagao

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ