第4話 禁呪研究者リュミエラ、理論ごと崩壊する


王女が住み始めた翌日、家のドアが壊れた(また)。


原因はミラの体当たり……ではない。


家の前に、巨大なトランクが三つ積み上がっていた。

その横で、眼鏡の女性が唖然としている。


「……ここ? 本当に? あの禁呪使いが、こんな……水車小屋?」


魔導士リュミエラ=クロウ。

禁呪研究の第一人者。

王都の魔導塔に引きこもり、理論と紙とインクだけを友として生きてきたタイプ。


彼女は“現場”が苦手だ。

なのに今、現場の最前線である兄妹の家に立っている。


ノクスは玄関先で欠伸をした。


「誰」


セレナが腕を組む。


「国家推薦の監査……いや、研究者だ。君の禁呪を解析する」


リュミエラは眼鏡を押し上げ、早口で言った。


「はじめましてノクス・エリディオン! あなたの《ノクス・エラージオ》について、まず確認したいことが三百二十七項目あります! 今から質問していいですか!?」


ノクスは即答した。


「だめ」


リュミエラが固まる。


「……え?」


「眠い」


「睡眠は私も必要だと理解しています! ですが世界が――」


「世界は寝てる間に勝手に回る」


「回りません!」


セレナが横から言う。


「回らない」


ミルがトランクの上に登って、リュミエラの顔を覗き込んだ。


「おねえちゃん、めがね!」


「お姉ちゃんじゃないわ、私は……えっと……リュミエラよ」


「りゅみえら!」


ミルは発音が難しいので、一回口の中で噛んだ。

リュミエラはその可愛さに一瞬で理性が揺らぐ。


(かわ……いや、違う、私は研究者……!)


ミルが首をかしげる。


「りゅみえら、おやつ、たべる?」


「……え? おやつ?」


「お兄ちゃんのおうちは、おやつがあるよ」


ノクスがぼそっと言う。


「ミル、勧誘するな」


「だって、りゅみえら、つかれてる」


リュミエラは思わず胸を押さえた。


(なにこの子……心が……浄化……)


セレナが小声で言う。


「……落ちるな」


「落ちてません!」


落ちている。


家の中に入ると、リュミエラはすぐに“違和感”に気づいた。


結界がない。

魔力循環の痕跡が薄い。

禁呪使いの住居なら、最低でも三重の封印があるはず。


なのに――ただの生活空間だ。


洗濯物。

干し草の匂い。

小さな椅子。

ミルの落書き。


「……理解不能」


リュミエラは呟く。


ノクスはソファに沈み、ミラは膝に座る。

ミルがノクスの前髪を指で持ち上げた。


「お兄ちゃん、こんにちは!」


「こんにちは」


「みんなにも、おかおみせて?」


「やだ」


「じゃあ、ちょっとだけ!」


ミルがにへらっと笑う。

ノクスは観念して、前髪を少しだけ上げた。


その瞬間。


セレナが息を止めた。

リュミエラが眼鏡をずらした。

家の隅にいた護衛が壁に頭をぶつけた。


整いすぎている。

目鼻立ちが、現実味を失うレベルで整っている。

“美形”という言葉が追いつかない。


ノクス本人は無自覚で、ただ眠そうな目をしているだけだ。


リュミエラは研究者としての本能で、別の部分に注目した。


(……目。魔力回路の走り方が、普通じゃない)


彼の体内魔力は、“巨大な穴”の周りを回っているように見える。

穴の中が見えない。見えないのに、吸い込まれそうだ。


「――あなた、魔力の器が……」


リュミエラが言いかけた瞬間、ミルが口を挟んだ。


「りゅみえら。お兄ちゃんのこと、こわい?」


「こわ……? え、ちが……」


ミルはにこっと笑って、リュミエラの手を握った。


小さな手が、温かい。


「じゃあ、なかよくしてね」


リュミエラの脳内で、三百二十七項目の質問が消し飛んだ。


「……はい」


セレナがつぶやいた。


「……落ちたな」


ノクスはため息をついた。


「また増えた・・・」


こうして、禁呪研究者も同居することになった。

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