第2話 鍵じゃないよ、ミルはミル


ミルは、広場を見回して、首をかしげた。


「えっとー。じゃあ、つぎは、あっち?」


“次”とか言っている場合ではない。


魔獣兵が数十。

空からさらに降りてくる。

幹部は愉快そうに拍手をした。


「素晴らしい。抑止力とは聞いていたが――本物だ」


幹部が地面を蹴った。

一瞬で距離が詰まる。

速度が異常だ。人間の筋力ではありえない。


ミルの目の前に、黒い外套が落ちる影。


幹部の指が、ミルの額に伸びる。


「その鍵を――」


「鍵じゃないよ?」


ミルがにこっと笑った。


「ミルは、ミル」


次の瞬間。


幹部の腕が、肘から先だけ“存在しなくなった”。


切断ではない。

斬撃でもない。

消滅。

ただ、そこだけが抜け落ちた。


遅れて、血が噴き出す。

幹部は一歩遅れて痛みを理解し、顔を歪めた。


「――っ、貴様……!」


ミルは首をかしげた。


「いたい?」


幹部が後退する。

本能が危険を叫んでいる。

だが幹部のプライドが、それを許さない。


「面白い……! だが、お前は――」


言いかけた瞬間、ミルの足元から光が走った。

結界。

いや、結界というより“世界の書き換え”に近い。


幹部の影が、地面に縫い付けられたみたいに動かなくなる。

全身が硬直し、口だけが動く。


「――何、を……!」


ミルはしゃがみこんで、幹部の顔を覗き込んだ。


「お兄ちゃんの、いえに、こないでね?」


その声音は、幼い。

だが、拒絶は明確だった。


幹部の瞳が揺れる。

恐怖が、そこに初めて宿った。


「……抑止力。いや――」


ミルは立ち上がると、指をふわっと振った。


すると幹部の体が、広場の端へ“投げられた”。

物理的に投げたのではない。

空間が押した。世界が拒んだ。


幹部は壁に叩きつけられ、骨が鳴る音がした。

吐血。

それでも死なない。

ミラは“殺さない”を選んだ。


魔獣兵たちは、主の不調を感じて動きが鈍る。


ミルは両手を広げた。


「じゃあ、みんな。おうち、かえろー?」


帰るわけがない。


魔獣兵が再び突っ込む。

ミルの表情が少しだけ真面目になる。


次の瞬間、広場が――戦場になった。


ミルは走る。

子どもの走り方なのに、地面を蹴るたび空気が爆ぜる。

魔獣兵の間を縫い、足首を“撫でる”だけで腱が切れる。

胴体に触れれば、内側から圧がかかり、骨と臓器が耐えきれずに潰れる。


黒い体液と血が混ざり、石畳が滑る。

兵士が転びかける。

ミルはその兵士の背中をぽん、と押した。


「だいじょうぶ!」


転びかけた体が、ふわっと立て直される。

支える力が優しすぎて、逆に怖い。


兵士たちは理解した。


――この子は、戦争のルールの外側にいる。


数分後。


広場には、魔獣兵が折り重なって倒れていた。

死んでいるものもいる。

だが、ほとんどは“戦えない形”に壊されているだけだ。


幹部は壁にもたれ、歯を食いしばっていた。

片腕は消えたまま。

血は止まらない。

魔力で塞ごうとしても、塞がらない。

“消滅”に近い傷は、治癒の論理が通らない。


幹部はノクスの方を見た。


ノクスは、広場の端で、ずっと立っていた。

手はポケット。

欠伸をしている。

戦場に立つ人間の姿ではない。


だが――前髪の隙間から覗く瞳は、深い夜の色をしていた。


幹部は笑う。


「……やはり、お前が本体か。完成された終焉」


ノクスは肩をすくめた。


「本体とか言うな。俺は寝たいだけだ」


ミルが駆け寄ってきて、ノクスの服の裾を引っ張った。


「お兄ちゃん! おわった!」


「……お疲れ」


「ほめて?」


「えらい」


ミルは満面の笑みになった。

その笑顔を見て、周囲の大人たちが言葉を失う。


――この子が、さっきまで戦場を“片付けて”いたのか。


幹部は息を吐きながら、最後の言葉を残した。


「……覚えておけ。魔王は、お前の魔法を――」


ミルが首をかしげる。


「まおう?」


幹部は、そこで意識を失った。


広場に静寂が落ちる。

次に落ちたのは――歓声だった。


「助かった!」「生きてる!」「奇跡だ!」


そしてまた、あの言葉が飛んでくる。


「ノクス! 消滅魔法は温存したのか! さすがだ!」


「次も頼むぞ! 世界を救ってくれ!」


ノクスは心の底から思った。


(……世界って、面倒だな)


ミルはノクスの手をぎゅっと握る。


「お兄ちゃん。かえろ? おやつ!」


「……帰ろう」


その瞬間。


遠くの空で、別の裂け目が、もう一つ開いた。


世界は、もう兄妹を見逃さない。

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