第1話 動かない終末兵器


リュネスの大通りは、朝の市場の名残でまだ香っていた。

焼きたてのパン。干し肉。香辛料。

それらの匂いが、恐怖で一気に上書きされる。


焦げ臭い。

鉄の匂い。

血の匂い。


空に、黒い裂け目が走っていた。

雲ではない。煙でもない。

空そのものが、裂けている。


裂け目から、降りてくるものがあった。


鎧のような外骨格に、獣のような脚。

背中には膜翼。

顔は――人間の仮面を、雑に貼り付けたみたいに歪んでいる。


魔王軍の魔獣兵。

それが、街の広場に降り立つ。


次に降りてきたのは、ひとりの男だった。


人間の姿をしている。

長身。黒い外套。

笑っているのに、目が笑っていない。


――幹部級。


「……やっぱり、来たな」


ノクスは人混みの端で欠伸をした。

欠伸がのんびりしすぎて、周囲が一瞬だけ安心しそうになる。


ミルはノクスの手を握っている。

小さな指が、しっかりと。


「お兄ちゃん。あれ、こわい?」


「怖くはない。めんどい」


「めんどい、が、こわい?」


「同じ」


ミルは真剣にうなずいた。

彼女なりの世界認識がそこにある。


広場では、兵士たちが槍を構え、弓兵が矢を番えていた。

だが距離が近すぎる。

魔獣兵は数が多い。

空から増援が落ちてくる。


指揮官が叫ぶ。


「市民を下がらせろ! 結界班、前へ! 弓兵、撃て!」


矢が飛ぶ。

刺さる。

だが魔獣兵は、刺さった矢を気にも留めない。

一本、二本、十本と突き立ったまま、脚を鳴らして進む。


「硬すぎる……!」


兵士の声が裏返る。

恐怖が伝染していく。


そこへ、誰かが叫んだ。


「ノクスだ! ノクス・エリディオンがいるぞ!」


視線が一斉に集まる。

期待と、押しつけと、祈りと、責任と。


「撃て! 魔法を使え!」


「この街が消えてもいい! 魔王軍を止めろ!」


「俺たちを救え!」


その言葉の雑さに、ノクスは心底うんざりした。


(“この街が消えてもいい”って言うの、だいたいこの街の外から来た奴なんだよな)


ノクスはミラの頭に手を置いた。

柔らかい髪が指の間をすり抜ける。


「ミル。どうする?」


ミラは広場の方を見た。

泣いている人。逃げ遅れた子。転んだ老人。

兵士の肩から血が流れているのが見える。

血の赤は、ミラの目にはまだ“絵本の色”に近いはずなのに。


ミルは、ゆっくり首を振った。


「だめ」


その一言で、終末兵器は不発になった。


周囲がざわつく。


「な、なぜ……!」


「妹が承認しないと撃てないんだ、誰か頼む、説得してくれ!」


「子どもに何を……!」


ノクスは肩をすくめた。


「ほらね。めんどい」


そのとき、魔王軍幹部が、広場の中央から声を響かせた。


「いい眺めだ。恐怖は、甘い」


声が届く距離。

それはつまり、殺せる距離でもある。


幹部が手を上げると、魔獣兵が一斉に動いた。

脚が地面を叩く音が、鼓動みたいに揃う。


兵士たちが踏ん張る。

槍を突き出す。

――折れる。

槍の穂先が弾かれ、柄が砕け、兵士が腕ごと持っていかれる。


「ぐっ――!」


骨が鳴る音がした。

悲鳴があがる。

血が飛ぶ。

それでも兵士は倒れない。倒れたら、市民が死ぬからだ。


ノクスは少しだけ目を細めた。


(現実ってのは、いつもこうだ)


ミルが、ノクスの手を引いた。


「お兄ちゃん。ミルが、いく」


「……おい」


「だって、だめっていったの。だから、ミルがやるの」


理屈が通っているようで、どこかがズレている。

だが、そのズレがミルの強さだった。


ミルはノクスの手を放すと、広場へ歩き出した。


小さな足。

薄い靴。

危なっかしい歩幅。


周囲が凍る。


「待て! 子どもが――」


「戻れ! 危ない!」


ミルは振り返らない。

ただ、無邪気に手を振った。


「だいじょうぶー!」


その瞬間、魔獣兵の一体がミラに向かって跳んだ。

口が裂け、刃のような歯が並ぶ。


――食われる。


誰もがそう思った、その刹那。


ミルは、右手の指を軽く鳴らした。


ぱちん。


音は小さい。

だが、空気が変わった。


魔獣兵の動きが、まるで“重力が二倍になった”みたいに鈍る。

着地の瞬間、脚が地面にめり込む。

舗装石が粉砕され、砂煙が舞う。


ミルはその砂煙の中を、ひょい、と横へ避けた。

避け方が、子どもが鬼ごっこをするみたいに軽い。


次の瞬間、ミルの左手が、魔獣兵の胸に触れた。


触れた、だけ。


魔獣兵の外骨格が、内側から破裂した。

破片が散る。

黒い体液が飛ぶ。

臭いが一気に広場を満たす。


「うぇ……くさ」


ミルが鼻をつまむ。

その仕草が可愛いせいで、場の空気が一瞬だけバグる。


兵士たちが呆然とする。


「……なに、今の……」


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