万物を無へ還す終焉魔法しか使えない俺は、妹のほっぺキスがないと世界を救えない

メッザノッテ

プロローグ 終焉魔法は、妹のキス待ちです


辺境の街・リュネスは、だいたい平和だった。


平和すぎて、昼の鐘が鳴っても誰も急がない。

市場の果物は「朝採れ」ではなく「朝まで寝てた」。

兵士は見回りの途中でパン屋に寄り、パン屋の奥さんに怒られ、怒られついでに新作のパンを買わされる。――そんな街だ。


その街外れの、古い水車小屋を改装した家に、兄妹が住んでいる。


兄の名はノクス・エリディオン。

前髪が長い。目元が見えない。表情も見えない。

声も眠そうで、人生に対する興味が薄い。


「生きる目的? 睡眠」


そう言い切るタイプの青年だった。


妹の名はミル=エリディオン。七歳。

小柄で、ほっぺがふわふわで、目がきらきらしている。

とにかく元気だ。元気の密度が高い。


「お兄ちゃん! おーぷん、ざ、どあー!」


ドアは引くものだが、ミラは押す。

押して開かないと、次は全身で体当たりする。

その結果、ドアが開く。

正確に言うと、開くのは蝶番(ちょうつがい)の方だ。


「……壊すな、ミル」


ノクスは欠伸をしながら、壊れかけたドアを指で撫でた。

木材がきしむ音が、妙に情緒的に響く。


「だってぇ……ドアが、かたかったの」


ミルは悪びれずに頬を膨らませる。

その頬が、またちょうど良い柔らかさで――ノクスは視線をそらした。


(……頬が柔らかいって罪だな)


罪の定義がずれているが、本人は真剣だった。


ノクスが持つ魔法は、たったひとつ。


《ノクス・エラージオ》。


指定した領域を、地形・存在・歴史・因果ごと消し去る終焉魔法。

都市ひとつ、地図から削除できる禁呪。


回数制限なし。反動なし。詠唱なし。制約なし。


――ただひとつ。

妹ミルの承認がなければ、発動しない。


承認の形式は明確だ。


ミルが、ノクスの頬にキスをする。

それだけで、世界が“許可”を出す。


なぜそうなのか。

誰が決めたのか。

ノクスにもわからない。


わからないが――ノクスはそれを、ありがたいと思っていた。


(これがなかったら、面倒ごとが世界中から押し寄せる)


“都市を空間ごと消せる魔法使い”など、いちばん厄介な分類だ。

権力者は囲い込みたがるし、敵は暗殺したがるし、味方は「必要な犠牲」を口にする。


だが、鍵は妹。七歳。ほっぺぷにぷに。

誰も強制できない。誰も奪えない。

なにより、妹が首を振れば――ノクスは何もできない。


つまり、ノクスの魔法は「使えない」ように作られている。


その設計思想が、ノクスの人生を救っていた。


そして同時に――世界を救うのも、だいたい妹だった。


「ミル、おやつは?」


「たべた! さっき、ぱん!」


「それは昼」


「えー? じゃあ、あしたのぶん?」


「時間の概念を学べ」


「お兄ちゃんが、やさしくおしえて?」


「……寝たい」


「ねむいの?」


「うん」


「じゃあ、ミルが、おひざを、かしてあげる!」


ミルはノクスの膝に登って、どっかり座った。

小さな体重なのに、妙に“支配者”の圧がある。


ノクスは観念して背もたれに沈む。

前髪の奥の目が、少しだけ柔らかくなった。


――そのとき。


遠くから、鐘が鳴った。


昼の鐘ではない。

街の非常鐘だ。


続けて、地面が、微かに震えた。


ミルが首をかしげる。


「……おまつり?」


ノクスは静かに立ち上がった。


「……違う。面倒なやつだ」

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