第3話 Dead or Alive

 荒野は、乾いていた。


 風が吹くたび砂が舞い、岩肌に細い線を刻んでいく。遠くの地平は白く揺れ、陽炎が空と地面の境界を曖昧にしていた。草はまばらで、ところどころに焼け焦げた灌木の骨が突き出している。崩壊から何年が経っても、土はまだ生き返らない。


 男は一人で歩く。


 背中の荷物は小さく、腰の剣だけが目立った。鞘は古いが、余計な飾りは削ぎ落とされ、手入れの痕がある。刃は磨かれ、握りは汗と革で黒ずんでいる。王国の紋章が刻まれていた場所は、浅く削り落ち始めているが、完全には消えていない。


 岩の連なりの奥、二つの巨岩が裂けるように口を開けている場所があった。自然の割れ目を人の手で広げ、粗末な木の補強が施されている。入口は狭い。だが、奥へ続く風の流れがあり、内部に空間があることは分かる。


 洞窟。


 聞いていた通りの粗末な居住地。ここがこの辺りのレイダーの根城だ。


 入口の前に男が二人立っている。革鎧は擦り切れ、金具は錆びているが、形はどこか揃っている。腰の剣の位置、足の開き、肩の落とし方。――訓練で叩き込まれた癖だ。官給品だった名残の胸当てには、かつての青い塗装が剥げ残り、布の袖には色あせた部隊章の縫い跡が見える。


 元、王国軍。


 ただし今となっては、秩序守る騎士でも雇われ兵でもなく、ただのレイダー集団の門番だ。


 男――マックスは、隠れもせず近づいた。


 門番の二人はまだ、警戒していなかった。二対一だし、背後には洞窟と仲間がいる。ここまで来る間に、彼らは何度も旅人を追い返し、脅し、奪ってきたのだろう。荒野では、それで十分だった。


「おい」


 門番の一人が、気だるげに声をかける。


「この先は通行止めだ。引き返せ」


 もう一人が、肩をすくめて笑った。


「道に迷ったなら帰れ。――いや、迷ってなくても帰れ。ここはお前の居場所じゃねぇ」


 マックスは立ち止まり、二人を見た。視線は穏やかで、敵意はない。だが、その目は曇っていない。曇っていないことが、むしろ不気味だった。


「迷ってない」


 淡々と答える。


「中にいる奴に用があって来た」


 門番の片方が眉をひそめる。


「中? ……誰にだ」


「ブルート」


 その名が出た瞬間、二人の表情が少しだけ固くなった。完全な怯えではない。だが、反射的に「上官の名を呼ばれた兵士」の顔をした。


 マックスは服の胸元に手を入れ、紙を一枚引き抜いた。小さく折り畳まれた薄い紙だ。荒野の風で端がばたつく。


 彼はそれを破れないよう開くと、門番の目の前に差し出す。


「これだ」


 門番の視線が紙に吸い寄せられる。名前と、条件と、報酬。そこに並ぶ文字を追う。


「ドン・カノーリよりブルート・ギーランを連れてくれば金貨五十枚」

「生死は問わない」


 マックスは読み上げるように言い、紙を戻す。


「だから来た。……中にいるんだろ?」


門番の喉が鳴った。金額が頭をよぎらなかったわけではない。

だが二人は即座に洞窟の奥を見た。

そこにいる者の名を知っている者の、条件反射だった。

彼らは金では動かない。ただ、命令に従うだけだ。


 マックスは門番に向けてではなく、洞窟の奥へ向けて声を張った。


「おいブルート、聞こえるか?」


 声は岩に反響し、洞窟の内部へ滑り込む。


「俺だ。今外にいる」


 少し間を置く。奥から返事はない。


 マックスは続けた。


「あんたの首には賞金がかかってる。結構な額だし、生死は問われないそうだな」


 門番が苛立ったように言う。


「てめぇ、何言って――」


「黙ってろ」


 マックスの声は低い。強くないのに、門番の言葉は止まった。止まってしまった。


「死体は運ぶのが面倒だ」


 マックスは洞窟へ向けて言う。


「あんたが生きようが、死のうが勝手にしろ。俺は賞金が欲しい。生きて出てくるなら殺しはしない。自分の足で歩いてくれた方が運ぶのが楽だ」


 それから、皮肉を混ぜた。


「――元王国軍南方軍第4部隊長様も、ずいぶん落ちぶれたな」


 洞窟の奥から、ざわめきが返ってきた。笑い声が混じり、足音が近づいては止まる。誰かが唾を吐いた音がする。


 やがて、低い声が響いた。


「……誰だ」


 声は太い。だが、昔の張りはない。苛立ちと、油断と、わずかな警戒が混ざっている。


 マックスは答える。


「通りすがりの賞金稼ぎだ」


 洞窟の中から、短い嘲笑。


「賞金稼ぎが、わざわざ名乗りに来たのか?」


「名乗ってない」


 マックスは言う。


「確認してるだけだ。お前が本当にブルートかどうか」


「……ほう」


 洞窟の奥の声が少しだけ低くなる。


「俺を知ってる口ぶりだな」


「知ってる」


 マックスは、淡々と。


「お前は戦争時代、俺の前で偉そうに剣の握り方を語ってた。覚えてないなら、あとで顔を見せてやる」


 ブルートの声が苛立った。


「死にたくなきゃさっさと去れ。ここは俺の巣だ。お前が仮に俺の知る男だったとして多勢に無勢だ」


「巣」


 マックスが繰り返す。


「……野営じゃなくてか」


 一瞬、沈黙が落ちた。


 その沈黙の間に、門番の二人が視線を交わす。今の会話だけで、この男がただの旅人ではないと分かった。だが、理解したところで、彼らには選択肢がない。ここで止めなければ、洞窟の中の連中に殺されるのは自分たちだ。


 ブルートが洞窟の奥から叫ぶ。


「捕まって、晒し者になる気はねぇ!」


 声が荒い。


「……王国が滅んだ世界で、今さら誰に裁かれるってんだ!」


 マックスは肩をすくめる。


「裁きじゃない。取引だ。金になるかならないか、それだけだ。あんたの好き勝手にそろそろ周りが付き合いきれなくなったのさ」


 ブルートが吐き捨てる。


「金だと? ……勇者様も落ちたもんだな」


 その言葉に、マックスの顔色は変わらない。


「落ちたのは世界だ。俺はただ落ちた世界で堅実に生きてる」


 洞窟の奥の声が、はっきり命令する。


「殺せ」


 門番の二人が、即座に剣に手をかけた。


 ――そこで言葉は要らなかった。


 金属が擦れる音がした、その瞬間には、マックスの剣が抜けていた。


 半歩、踏み込む。


 一人目の喉が裂け、空気が漏れる。二人目の腹が割れ、力が抜ける。


 剣を抜いた腕の勢いだけで、彼らは倒れた。抜き切る前の剣が、最後の抵抗だった。抵抗は、抵抗にならなかった。


 鍛えられた兵士達を崩壊後の生活はこれ程までに衰えさせた。


 マックスは洞窟の中へ足を踏み入れた。


 内部は薄暗く、たいまつが不自然なほど等間隔に並んでいる。

 軍隊の癖だ。道を照らし、影を減らし、配置を整える。だが壁は煤で黒く、床には酒瓶や踏み潰された布切れが散乱していた。糞尿の匂いが混じり、規律の残骸に生活の腐臭が塗り込められている。


 奥から足音が近づく。


 現れたのは五人。


 官給品の胸当て、腕当て、脛当て。いずれも擦り切れ、革紐で無理に締め直されている。剣の柄は巻き直され、矢筒は継ぎ接ぎだ。

 剣が三、クロスボウが一、弓が一。


 ――元、王国軍。

 だが今は、隊列も号令もない。


「てめぇが賞金稼ぎか」


 剣を持った男が吐き捨てる。

 声は荒いが、視線が定まらない。洞窟に籠り、身内だけを相手にしてきた人間の目だ。


 マックスは答えない。


 弓の男が矢を番える。

 洞窟の距離を測った、慣れた動きだった。


 放たれた矢が風を切る。


 マックスは半歩踏み込み、肩をかすらせるだけで受け流す。皮膚が裂け、血が滲むが構わない。


 同時に、クロスボウの男が引き金に指をかける。


 ――遅い。


 マックスの手首が返り、投げナイフが放たれる。

 刃は正確に前腕を貫き、骨に当たって止まった。


 男は短く息を吐き、膝を折った。

 クロスボウが床に落ち、石に当たって鈍い音を立てる。


 剣の男たちが一斉に距離を詰める。


 洞窟は狭い。

 横に広がれない。隊列も組めない。


 最初の一人が突く。

 マックスは刃の線から半身を外し、喉元へ一閃。血が噴き、男はその場に崩れ落ちた。


 二人目が横薙ぎに来る。

 剣を弾き、返す刃で脇腹を深く裂く。内臓に届く感触。男は声を上げる前に倒れた。


 三人目が距離を取ろうとした瞬間、マックスは踏み込んだ。

 近すぎる距離。剣は振れない。


 短く突き、腹を割る。

 男は膝から崩れ、床に顔を打ちつけた。


 床に伏せたクロスボウの男が、呻きながら身じろぎする。


 マックスは一歩だけ下がった。

 距離を取るためではない。足元の武器を利用するためだ。


 床に転がるクロスボウを拾い上げ、即座に構える。

 引き金を引く。


 矢は、弓兵の喉を正確に貫いた。


 弓兵は一歩も動けず、その場に崩れ落ちる。

 洞窟では、弓は遅い。


 マックスはクロスボウを捨てた。

 使い捨てでいい。


 残った最後の剣の男が、血に滑って体勢を崩す。


 マックスは迷わず踏み込み、肩口から深く斬り下ろした。

 刃は骨に当たり、止まる。


 男は仰向けに倒れ、荒い息を吐いた。


 マックスは剣を引き抜き、喉元に刃を置く。


 短く、確実に突く。


 男の身体が一度だけ跳ね、それきり動かなくなった。


 洞窟に静寂が落ちる。


 たいまつの火が揺れ、血に濡れた官給品の金具が鈍く光る。

 床には、もう動かない身体が転がっている。


 マックスは剣を振り、刃についた血を払った。


 全員、終わりだ。


 マックスはそのまま、洞窟の奥へと歩き出した。


 洞窟の最奥へ進んだ。


 頑丈な扉があった。木と金属で補強され、内側から閂がかかっている。王国軍の倉庫にあった扉だろう。軍の残骸を集めて巣を作ったのが分かる。


 マックスは扉の前に立ち、声をかける。


「部下は五人だったな。全員、外で寝てる」


 扉の向こうから、息の荒い声が返る。


「……嘘をつくな」


「嘘だと思うならこのドアを開けて確かめてみろ」


 マックスは淡々と返した。


 扉の向こうで何かが蹴られる音。苛立ち。焦り。


「……出てきたところで、どうする」


 ブルートの声だ。近い。


「縛って運ぶ」


「吊るされる」


「そうだな」


 マックスはあっさり肯定する。


「言ってるだろ。死体は運ぶのが面倒だ。俺にとっちゃ、あんたが生きようが死のうがどうでも良い。だがこの場で殺せば俺は荒野をバカみたいな荷物を引き摺って歩く羽目になる」


 扉の向こうから、短い笑いが漏れた。


「……勇者様が、ずいぶん薄汚れたことを言う」


 マックスは答える。


「お前は昔から薄汚れてた。鎧が綺麗だっただけだ」


 扉の向こうで、息が止まった。もう返答は返ってこない。


 マックスは周囲を見回し、洞窟の端に武器棚を見つけた。棚は整然としているが、埃と油の匂いが混じっている。箱がいくつか積まれている。


 マックスは箱を開けた。


 中にあったのは、固い塊。


 ウォルト社製爆薬。戦争の時に流れていたものだ。今もこうして残っている。


 マックスは一つ手に取り、重さを確かめる。


 この仕事に十分な重さだ。


 マックスは扉へ戻り、もう一度だけ言った。


「これが最後だ、ブルート。自分から出て来る気にならないか?」


 間が空く。


 返事はない。


 マックスは爆薬を扉の前に設置する。導火線を伸ばし、距離を取る。


「お前がこうさせたんだからな」


 マックスは吐き捨てるようにそう言うと、腰のポーチからマッチを取り出し、革手袋を擦る。乾いた摩擦音とともに火がついた。炎が小さく揺れる。


 爆薬の導火線に火を移し、マックスは背を向ける。


 両耳を押さえた。


 爆音。


 扉が吹き飛び、木片と煙が洞窟を満たす。熱が頬を撫で、土埃が喉に入り込む。


 マックスは煙を掻き分け、中に踏み込んだ。


 部屋の中にいた男は、かつての姿と違った。


 肥満体。汗。荒い呼吸。腹の肉が鎧の隙間からはみ出している。剣を握る手は太く、だが鈍い。剣は重そうに揺れた。


 マックスは一瞬だけ、目を細めた。少なくともマックスの知るブルートとこの男には乖離があった。他人とまでは言わないが、この男はマックスの知るブルートを3日間水に漬けたくらい膨れていた。


「……ブルート?」


「随分と、いい暮らしをしてたんだな」


「黙れ!」


 ブルートが剣を振り上げる。遅い。重い。威勢だけの一撃。


 マックスは横へ外れ、ブルートの手首を剣で叩き落とすように斬った。剣が床に落ちる。ブルートが呻き、膝をつく。


「……こんなものか」


 マックスが言う。


「昔はもう少し、怖い顔をしてた」


 ブルートが歯を食いしばる。何か言おうとして、息が詰まる。


 マックスは背後へ回り込み、腕をねじり上げた。縄を取り出し、手首を縛る。縛り方は手慣れている。賞金稼ぎのそれだ。


 縛りながら、マックスは淡々と口を動かす。


「落ちぶれたな、ブルート」


 縄を締める。


「それでも部隊長を名乗るなら、部下くらいは鍛えておけ」


 ブルートが呻く。


「……」


「今の時代、誰もが鈍ってる」


 マックスは縛り終え、肩を掴んで立たせた。


「――あんた含め崩壊に汚染されたのは土地だけじゃないらしい」


 ブルートの顔が歪む。怒りなのか、恥なのか、あるいは単に息苦しいのか。判別するほど、マックスは興味を持たない。


 マックスはブルートを引きずるように部屋を出た。


 通路には死体が転がっていた。官給品の胸当て。破れた袖。血に濡れた部隊章の縫い跡。――崩壊前の軍隊が、崩壊後の獣になった証拠。


 マックスは死体を跨ぎながら進む。


 出口の光が見える。


 洞窟の外の白い光。荒野の乾いた匂い。風の音。


 あと一歩で外、というところで。


 背後から、ギリ、と弦の軋む音がした。


 生き残り。


 洞窟の影に伏せていた男が、最後の力でクロスボウを構えたのだろう。目が血走り、歯がむき出しになっている。官給品の腕当ては割れ、指先が震えていた。


 矢が放たれる。


 矢はマックスの脇をかすめ――外れた。


 だが次の瞬間、鈍い音。


 矢はブルートの頭に突き刺さっていた。


 ブルートの身体が一瞬だけ硬直し、そのまま前へ倒れた。縄が引かれ、マックスの手が引っ張られる。マックスは舌打ちし、縄を離した。


 撃った男の顔が凍りつく。


 勝った笑いはなかった。

 そこにあったのは、後悔だ。


 ――やってしまった。

 そう書いてあるような表情。


 マックスは足元に落ちていたナイフを拾い、無言で投げた。


 刃は男の額に深々と刺さり、男は音もなく倒れた。


 マックスは、倒れたブルートを見下ろす。


 生きていようが死んでいようが、賞金の額は変わらない。

 ただ、荷物が増えるだけだ。


「……クソったれが」


 呟きは、洞窟の外の風に消えた。


 荒野は、何も答えなかった。

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