第3話 勇者教育学校・第二講「公共物毀損と不法侵入」
三日目。
訓練場での剣戟を期待していた候補生たちが集められたのは、窓のない無機質な講義室だった。
教壇に立つエドガーが、黒板に大きく一言、「勇者とは」と書き記す。
「諸君、昨日の身体検査で自分の『器』は把握しただろう。では、その器をどう運用するか。今日はその初歩を教える」
期待に目を輝かせたフィンが、身を乗り出した。魔王を倒すための心構えか、それとも聖剣の真髄か。
だが、エドガーが吐き出した言葉は、あまりにも世俗的だった。
「まず、他人の家の箪笥を勝手に開けるな。そして、壺を割るな」
教室に、奇妙な沈黙が流れた。
セラが訝しげに眉をひそめ、挙手する。
「……事務官。それは、旅先での物資調達に関する比喩でしょうか?」
「いや、文字通りの意味だ、10001番(セラ)。かつての英雄譚には『勇者はどこへでも入り、必要な物資を徴収する権利がある』という歪んだ解釈が存在した。だが今の時代、それはただの住居侵入および窃盗罪だ。ましてや『中に何かあるかもしれない』という好奇心で民家の壺を破壊するなど、言語道断。損害賠償請求の対象になる」
エドガーは端末を操作し、壁のスクリーンに一枚の書類を映し出した。
「これは過去の失敗事例だ。ある勇者候補が『村人の力になりたい』と称して家々を回り、善意の押し売りの末に家財を破損させた。結果、その勇者局には多額の慰謝料請求が届き、候補者は除籍された」
「でも、緊急事態なら……!」
フィンが食い下がる。
「魔物に追われていたり、重要な手がかりがその家にあるって分かっていたら、迷わず踏み込むのが勇者じゃないのか?」
「10005番(フィン)。その判断を下した瞬間、君の足元には『私有財産権の侵害』という法的な落とし穴が掘られる。君が救った命の価値と、壊した壺の値段。それを天秤にかけるのは君ではない。裁判所と、再配置局だ」
カインが鼻で笑い、椅子の背もたれに深く寄りかかった。
「ケチな話だぜ。魔王を倒した褒賞で、壺の一や二、買い直してやれば済む話だろ」
「カイン。その褒賞が出るのは『任務完了後』だ。それまでの君たちは、ただの武装した公務員に過ぎない。予算外の支出は認められない」
講義は続く。
「感謝の印に貰える薬草の贈与税について」
「村の長から受け取る依頼書の法的拘束力」
「魔物を倒した際の死骸処理に関する環境基準」。
理想に燃えていた若者たちは、次第に死んだ魚のような目になっていく。
彼らが夢見ていたのは「世界の救済」であって、「行政手続き」ではなかったからだ。
ガルドは黙々とノートを取っていた。
「(……つまり、一番の敵は魔物じゃなくて、事後報告書の整合性ってわけか。面倒だな)」
彼は隣のフィンが、ショックでペンを止めているのを横目で見て、小さく溜息をついた。
その一方で、リオは、教科書の隅にある「標準的な壺の時価」という項目を、ただぼんやりと眺めていた。
彼は失望もしなければ、反発もしない。
「155番。君はどう思う」
エドガーが不意に、一番後ろの席で存在を消していたリオを指名した。
リオはゆっくりと立ち上がる。
「……割らなければいいと思います」
「ほう。理由は?」
「……片付けるのが、大変そうだからです」
あまりにも当然すぎる、そして志の低い回答。
教室に失笑が漏れる。セラは呆れたように首を振り、カインは「これだからモブは」と吐き捨てた。
「……正解だ、155番。座れ」
エドガーだけは、表情を変えずにそう言った。
講義が終わる。
教室を出る生徒たちの会話からは、「正義」や「宿命」といった言葉が消え、「賠償責任」や「過失割合」といった言葉が混じり始めていた。
リオは一人、静かに廊下を歩く。
彼の頭の中には、伝説の剣も魔王の呪いも浮かんでいない。
ただ、講義で示された「他人のプライバシーに踏み込まない」という一線を、どうやって守り続けるか。そのことだけが、彼にとっての「勇者の心得」として刻まれていった。
勇者教育学校。
そこは、英雄の羽をもぎ取り、地面を這うための規則を教え込む場所。
その檻の中で、最初から飛ぶ気のないリオだけが、最も「優秀な生徒」として、静かに二限目の教室へと向かっていった。
次の更新予定
勇者は量産される 済美 凛 @slamdank
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